いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第22週

2024年08月24日 20時01分39秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第22週

■ 今週の筑豊境

▼ 筑紫洲で見た「仙台帰り」


菓匠三全 萩の月 (google

■ 今週のずれ

⇒ 戸田屋 和菓子詰め合わせ(google

■ 今週の「基地外氷菓」

ココナッツサブレ<島パインココナッツ味>(web site)を食べた。「「ココナッツサブレ」のバースデーを盛り上げる「ブルーシール」との初コラボ!!」とのこと。

ブルーシールをおいらは知らなかった。<荊の簪を挿した御方さま>は知っていた。<南の島>へ行く途中<本島>を乗り継ぎのため行き泊りもしたが、知らなかった。そして、ググると、基地外氷菓であるとわかった。

 引用元

■ 今週の烏賊


アカイカレアステーキ (google)


沖縄県産そでいか (web site


福井県水揚げ 漬けほたるいか

■ 今週の理解できる誤解、あるいは、今週借りて読んだ本

彼の出身地である大阪中津は、」とある。ここで、彼とは福沢諭吉のことである。もちろん、福沢諭吉は現在の大分県(当時豊前国)の中津にあった奥平家の家臣であった。豊前国中津の奥平家(中津藩)の家臣である諭吉の親が、中津藩の大坂の米蔵で働いていた時生まれたのが諭吉。現在の大坂市福島区福島一丁目(ソース)。一方、福沢諭吉とは関係なく、大阪に中津という地名がある。

この本、佐藤明子、『幕末外交事始 文久遣欧使節 竹内保徳』での誤り、「彼の出身地である大阪中津は、」というのは豊前国中津と諭吉の誕生地である大坂が混合してできた誤解に基づく。

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福沢諭吉は3度欧米に行った。いずれも、明治維新前。つまり、徳川幕府が派遣した外交団としての洋行。1度目と3度目は米国。2度目が欧州。その諭吉の2度目の洋行(1862年)は文久遣欧使節であり、その最高責任者が竹内保徳(wiki)。竹内保徳は、勘定奉行兼外国奉行。諭吉は使節団の末端の通訳。門閥制度のあらわれだ!というかと思うと、そうでもない。竹内保徳は旗本だが、200俵だったという。1石は2.5俵らしいので、80石。諭吉の家は14石。雲泥の差でもないだろう。竹内保徳はそれ以前に函館に7年いて、開港の対策として、五稜郭建築の責任者であった(上記wiki)。

この『幕末外交事始 文久遣欧使節 竹内保徳』の著者佐藤明子さんは子孫。内容に自家の未公開資料が紹介されているとかそういうことはない。むしろ、佐藤明子さんの近代日本の欧化に関する随想が多い。武士とは何かとか。第1章は「士という生き方があった」とある。新島襄、内村鑑三、三島由紀夫、高田屋嘉兵衛、大塩平八郎、朱子学などが語られる。生き方が鍵語だ。そこで、佐藤明子さんとはどういう人かというと、本書の著者紹介にある:1965年京都生まれ、出版社勤務を経て情報誌などに執筆。著書『ミックジャガーという生き方』(2006年・青弓社)、『沢田研二という生き方』(2008年・青弓社)。現在横浜市在住。文久遣欧使節団正使竹内保徳の子孫にあたる。

   右端 竹内保徳

出版社勤務、『ミックジャガーという生き方』というから、「ロンドンに行きたい」系(←古い!)の人かとおもった。

この『幕末外交事始 文久遣欧使節 竹内保徳』で初めて知った。現在の英国の警察官は拳銃を携帯していないと。知らなかった。

正使、副使、目付、組頭の使節幹部。 左から、wikipedia:松平康英竹内保徳京極高郎柴田貞太郎

(現代日本人にほぼ知られていない)彼らが今の世を見たら、あの福沢がお札の顔となって日本人で知らぬ者がいないことに驚くだろう。もっとも、お札=全国共通紙幣通貨を理解できないかもしれない。

◆ 諭吉の性格の悪さ

福沢諭吉について知らなかった情報があった。でも、情報源は明記されていない。諭吉の息子は結婚直後、嫁に逃げられた。その逃げた嫁に宛てた諭吉の手紙が残っているという。その手紙では、身分が違うのを承知で嫁にしてやったのに不届きだと批難しているとのこと。

■ 今週の超政治

われらが 愚民党 LDPの歴代総裁絵巻。政治家の群像だが、この配置、顔の大きさを決めることこそ党内大政治問題ではないか(な?)。印象は多々あるが、一番は、角栄でかいな、だ。あと、当時の政治力の割に小さいのが竹下登。さて、占領軍に追放された経歴をもつ自民党総裁に〇を付けた。さて、□を付けた自民党総裁の属性は?

答え:自由民主党結成に参加していない佐藤栄作と池田勇人。

■ 今週の訃報:松岡正剛

「編集工学」の方法論や、書籍紹介サイト「千夜千冊」などで知られる著述家の松岡正剛さんが今月肺炎のため亡くなりました。80歳でした。ソースgoogle

2010年に東京駅の丸善で「松岡正剛の千夜千冊」というブックフェアをやっていて、行った(愚記事:デリー化する東京で、松丸本舗参拝)。回顧 web siteがあった:「松丸本舗」のオープン ~常識をくつがえす実験的書店空間~

 

 



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