いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

散 種 と 愛 国

2013年09月22日 19時29分36秒 | 日本事情

    
     -  『散種と愛国』  -

ヒステリーで考えよう。 というのが愚ブログの意向である。

噴出してうれしい、自分のヒステリー。 みていて楽しい、他人のヒステリー。

最近のみていて楽しい「他人のヒステリー」は、婚外子問題最高裁判決に応ずる”自称”「保守派」、「愛国派」の方々で生じたものだ。

婚外子問題最高裁判決は、婚外子は自分が好きで婚外子に生まれてきたわけでもないのに差別されることは不当であるというものだ。

これに「ヒステリー」をおこしたのが、”自称”「保守派」の方々だ。

例えば、櫻井よしこさん。週刊ダイヤモンド(櫻井よしこ/オピニオン縦横無尽)のコラムにおいて、

「子は平等」「子に罪はない」「子は親を選べない」と言われれば、反論のいようはない。すべての子が等しく幸せに育ってほしいと思わない人はいない。

と正論を述べつつも、

 結婚と子育てを含む家族のあり方はその社会とそこに住む人々の価値観を最も濃密に示している。社会の基盤は家族にあるという価値観を日本が尊重するなら、現行民法には十分な合理性があると、私は思う。

と、婚外子の遺産相続は半分という考えを支持している。

そして、櫻井よしこさんの面白いのはその身の上ばなしと、ほとばしる「何か」である。 櫻井よしこさんは書いている;

 「正妻」と「嫡出子」の「葛藤と悲しみ」である。 ただし、なぜ、婚外子を持つ男の 「本妻」と「嫡出子」が「葛藤と悲しみ」に襲われないといけないのか説明がない。文脈から推定するには、自分に婚外子の異母兄弟がいる「嫡出子」が「葛藤と悲しみ」に襲われる理由は、嫡出子を中心とする家族を基盤とすることが日本の価値観であるはずという条件に照らし合わせ、婚外子を持つ男の 「嫡出子」である自分がおだやかではいられないということなのだろう。

もしそうであるなら、「嫡出子を中心とする家族を基盤とするという日本の価値観」を有していなかったのは、結婚している女性である妻以外に、外で「私の知る限り」少なくとも二人の女性に なまなかだし して子供をもうけた淫蕩な櫻井よしこさんの父親である。別に事業家であることはどうでもいいことではないか。つまりは、櫻井よしこさんの父親は、"「保守」派"ではなかったのだ。櫻井よしこさんは「裏切られたという悲しみ」をもったというのであるから、かわいいはずの実子を裏切り悲しませた男が紳士のはずはなく、むしろ、ろくでなしということだ。

まさに、「子は平等」「子に罪はない」「子は親を選べない」のである。 なにも「葛藤と悲しみ」に襲われる必要はない。

櫻井よしこさんの御尊父は、 櫻井よしこさんや母親やお兄さんに「長い時間をかけて、私たちにつきつけられた、これ以上ないほど厳しいと、私たちが感じた現実」を与えた。 そして、櫻井よしこさんの父親は淫蕩であり、散種のひとであったのだ。

そんな「ろくでなし」から生まれた子供だけど、櫻井よしこさんは日本の伝統文化を理解し、美しい日本を語れるようになったらしい。

おかしくネ? だって、"健全な家族が社会の礎であり、その健全な家庭で家族を尊重する美しい日本の伝統に基づく家庭教育により育まれた子供たちが、美しい日本の伝統を担う日本人となる"という保守さまの鉄則によるなら、なぜ、「ろくでなし」から生まれ、育てられた子供が日本の伝統文化を理解し、美しい日本を語れるようになれるのだ? やっぱ、ガッコ教育なんだべか?

そして、おもわずおいらが、噴き出してしまったくだりがこれ;

私に与えられた父の遺産を、全部使い果たした。父の遺産は一円でも手元に残したくなかったのだ。

どひゃー! のしつけてお返ししたり、ドブに捨てんじゃないのか! 使ったのかよ。

それにしても、櫻井よしこさんはなんでこんな身の上ばなしを書いたのであろうか? この身の上話を聞くと、

彼女の日ごろ主張する美しい日本だの保守だのとは、非嫡出子に代表される「日本の価値観」を有しないと櫻井よしこさんが信じている勢力への、既得権を脅かされたことからくる正嫡意識の発露なのかね?と下種なおいらは勘繰りたくなる。

いやいや、賢女の櫻井よしこさんのことだから、美しい日本の伝統文化の基礎的要素である家庭という精神文化に恵まれなかったが、カネだけは手に入れたという自分の人生を語ることで、戦後日本の物語(カネ儲け至上主義で道義が廃れた戦後日本という「保守」派のステレオタイプ)を隠喩しているのかもしれない。  

そして、今の日本にメッセージを送っているのだ。全部使い果たせ! 戦後日本の遺産なぞ、1円も残したくないではないか!、と。 蕩尽を薦めているのだ。 蕩尽よしこ。

恐るべし、保守芸人の底力!

▼ 櫻井よしこさんのような「高級」発信者とあわせて庶民からもヒステリーの発信が目立った。

 
google {婚外子 外国人 愛人 遺産}

なぜかしら、彼らの脳内では、婚外子を生む女性は朝鮮人をはじめとする外国人女性なのである。

そういうことを、やまとなでしこたる「素敵な奥様」がどんなに心配しても、なまなかだし で種をまき散らすのは、ぬっぽんだんず(日本男児)なのであり、あなたの"旦那様"である。

それにしても、今回、ダンナが外で子供つくることに恐怖を覚えるやまとなでしこを、おいらは認識した。

そして、気づいたよ。 どうでしょう? こういうの↓


伊藤博文と朝鮮皇太子李垠

今の南北朝鮮の人たちは旧大日本帝国の臣民であったのだから、現日本国民とは「同窓会」をやるべき元共同体構成員同志であるはずだ。

でも、いわゆる「排外主義者」の人たちは、朝鮮人が嫌いだ。 つまり、いわゆる「排外主義者」の人たちは、大日本帝国意識がないのだ。

反帝主義者としての、「排外主義者」! ( ← いいやつなんじゃないか? 反帝なんだし。 )

おいらは、極右なので大日本帝国マンセーであり、幻の大日本帝国意識のrestorationをはじめたいと夢想している。

話を元に戻すと、「ダンナが外で子供つくる」ことの帝国主義版が上記伊藤博文である。 この朝鮮併合で日帝人が激増したのである。

中には、「痩せ老いさらばえた祖国のままでいるより、いっそのこと大日本帝国の栄光に浴した方がいと考えたからだ。その方が自分も幸せになると考えた[1]」朝鮮人もいただろう。

しかしながら、大日本帝国の「正嫡」たる内地人の一部である「排外主義者」は、二流の日帝人を蔑む気持ちを禁じ得ないのだ。

狭量なかれらは、正嫡性しか頼りにするものがないので、よそものの参入に恐怖しているのだ。

ところが、帝国の版図拡大は、よそものの内地への流入を伴う。

「排外主義者」! ⇒ 反帝主義者; ← いいやつなんじゃないか?

なお、伊藤博文は実生活でも異常な淫蕩家と知られ、婚外子の数は正確には補足されていない模様(⇒愚記事)。

■ さて、  散 種 と 愛 国

  
   散種の賜物;ひろひとさん

  
 - 明治天皇皇后肖像図 ―

 ひろひとさんの生物学的遺伝上のおじいちゃんは明治天皇・むつひとさんである。だが、ひろひとさんの生物学的遺伝上のおばあちゃんは昭憲皇太后(wiki)(上図左)ではない。ただし、ひろひとさんにとって昭憲皇太后は「嫡祖母」となる。ひろひとさんの生物学的遺伝上のおばあちゃんは柳原愛子(やなぎわら なるこ)[wiki]である。おいらはよくわからないのだが、「側室」という言葉は宮中用語ではないかもしれない。柳原愛子は典侍(ないしのすけ)だ。つまりは、江戸時代の朝廷~大日本帝国時代の宮中で天皇陛下は典侍(ないしのすけ)に なまなかだし =種まき散らしをしていたらしい。典侍(ないしのすけ)とは天皇陛下の"喜び組"のことなのだろう。もちろん、これはひどい中傷である。なぜなら、天皇陛下さまは快楽でセックスをしているのではなく、万世一系の維持のため神聖な義務をなされているのだ。これを散種の神技というのだ(???????)。

以上をふまえると、すくなくとも、明治、大正時代は宮中で「一夫一妻」ということではなかったのだ。(ところで、「側室」の廃止、つまりは、濫りに典侍(ないしのすけ)とセックスしない!とはひろひとさんが決めたこととされる。)

むつひとさんは、散種の  人  すめろぎさま であった。 その散種のおかげで、大正天天皇が生まれた。大正天皇なしに昭和天皇はない。

ところで、"自称「愛国者」の"やまとなでしこたる「素敵な奥様」たちは、「一夫一妻」こそが日本の伝統だと主張している。

 

google {一夫一妻 日本の伝統的な倫理観}

やはり、事実上の一夫多妻である昭和以前の伝統的皇室の婚姻制度に異をとなえているのだ。

帝(みかど)の婚姻制度は、一夫多妻制であり、「日本の伝統的な倫理観はズタズタに破壊される」といっているのだ。

やはり、反帝なのだ。

● まとめ;

「嫡出子を中心とする家族を基盤とするという日本の価値観をもち、非嫡出子遺産相続平等法は「日本の伝統的な倫理観はズタズタに破壊される」と危惧するやまとなでしこたる「素敵な奥様」たちやその賛同者たち、あるいは、旧大日本帝国臣民であった朝鮮人を「非嫡出子」扱いし、日帝から排外しようとする人たちは、反帝主義者なのだ。  ( ← やっぱり、いいやつなんじゃないか?!、って結論でOK?)


[1]

姜尚中、『ナショナリズム (思考のフロンティア)』