いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日もつくばで; さらば! 筑波山麓 ④ ひたち野うしく駅の八兵衛さん

2014年10月22日 19時53分56秒 | 筑波山麓

ちくしょう、転勤だ!ということになった今週、東京へ外勤だ。おそらく、筑波山麓からこのJRひたち野うしく駅を使って外勤のために東京へ行くのは最後となるだろう。 なお、見送りは、なかった。

JRひたち野うしく駅。 1998年開設。 元々は、万博中央駅である。 もちろん、あの1985年の筑波万博のための臨時駅。

おいらが、筑波山麓に来た1997年12月にはまだこのJRひたち野うしく駅は開設されていなかったのだ。

ポスドク時代は滅多に東京に行かなかった。その後、東京に行ったとしても高速バスを使っていたので、JRには乗らず、しかもJRひたち野うしく駅に縁がなかった。ちなみに、当時、今のTXつくば駅であるつくばバスセンターからの高速バスで東京へ行くことのリスクは高速道路での渋滞による遅延であった。おいらが実際に聞いた最大の遅れは8時間である。8時間も首都高でスタック(stack)されるのだ、拘束バス!

 なお、筑波山麓に投げ込まれたおいらの主観的認識はJR駅といえばJRひたち野うしく駅であった。実はそのJRひたち野うしく駅は(その当時からみて)つい最近できた駅なのだ!という認識はなかった。「おいらが、筑波山麓に来た1997年12月にはまだこのJRひたち野うしく駅は開設されていなかったのだ」というは後知恵=反省的獲得知識である。

さて、その元々万博中央駅であるはずのJRひたち野うしく駅で出会うものはコスモ星丸[google画像](関連愚記事;谷田部細川一万六千石)ではなく、八兵衛さんである。

はじめてこの anonymous peasant (google画像) が目に入ったときから10年くらいたっているのであろうが、特に探索したことはなかった。

そして、今日、さらば! さらば! 筑波山麓という今に至って知ったさ。この像は、エピソード1(第一場面;下記画像)だって。ほかに3像あるらしい。エピソードは続くらしい。

▼ なお、この行幸行啓駅である。

 そもそも、JRひたち野うしく駅はつくば市ではない。牛久市である。住井すゑが住んでいた牛久市である。住井すゑに用はない、われらが皇帝夫妻は、いわゆる「筑波学園都市」に行幸行啓されたのであった。

関連愚記事;再リンク:; おらほの街にKing&Emperor 

      :; いとやむごとなき 団体 様 

● JRひたち野うしく駅の思い出;

なによりおいらにとってのJRひたち野うしく駅の思い出は、成り空港に行くバスの発着駅としてである。

はずめて、インドに行った時、すなわちその時あのタージマハルに行くのであるが、やはり、このJRひたち野うしく駅からバスで成田空港に行った。このJRひたち野うしく駅までは、西大通りの稲荷前交差点付近のバス停から在来バス路線で、JRひたち野うしく駅まで、巨大なトランクを抱えて行った(関連愚記事; 憧れのタージマハル )。このとき、この八兵衛さんをどう見ていたのか?見なかったのか?覚えていない。