いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第13週目

2015年01月24日 22時54分43秒 | 草花野菜

■ 今週の購買

日常の仕事では三菱鉛筆社の uniball signo[0.38mm] (ユニボール シグノ)を使っている。2011年は同じ0.38mmではあるが、無印良品の「選べるフィルポリカーボネイト軸ゲルボールペン」を使っていたと過去の記録は示している(愚記事:最近のラボノートはずっと0.38mmのゲル・インキで書かれている)。いつから変えたかはっきりとおぼえていない。先週、その現在使っているuniball signo[0.38mm] (ユニボール シグノ)を床に落としてしまった。運悪く、ペンはペン先を下に向けて、地中に潜らんとするペネトレーターのように落下した。ペン先のボール部が床に直撃したようで、ジェルインクがでなくなった。つまりは書けなくなった。困った。新しいuniball signoを買わないといけないが、すぐに買いにいけない。何より、ここ相武斜面でまだ買ったことがない。そして、買い物はバスに乗って「街」にでなければいけない。

その時は1本100円のペンを通販で買うとは現実性が低いなぁとおもい、Amazonを見ると、uniball signo[0.38mm]には替え芯があるとわかる。

買う。10本、700円だった。送料込み。こんなんで商売になるのか?!と今でも疑問ではある。商品は茶封筒できた。

それにしてもuniball signo[0.38mm] の書きやすさ、細字をノートに実現する性能などは、「役に立つ」ものを作って「お金」に変えなければならない技術開発者であるおいらからみて、すばらしいのでるが、これが1本100円ほどなのである。利益を上げなければならない製作者・販売者はよくやってるようなぁと感嘆する。この性能で、100円。これから先、「役に立つ」ものを作って「お金」に変えるためには、超高性能、超低価格を技術的に実現しなけれればいけないということだ。 ふぅー。

■ 今週のお達者報告

西沢潤一インタビュー;日経産業新聞。西沢潤一は1926年生まれ。今年、89歳。
敗戦時19歳。理系だったので戦争に行かなくて済んだ。
ちなみに、三島由紀夫は1925年生まれ。

1/24のNHKの三島由紀夫に関する番組では中曽根康弘さん(三島事件の時の防衛庁長官だったので)がインタビューに答えていて、お達者(=ぼけてない)と知る。実に、97歳。番組後の来週の予告では梅原猛(1925年生まれ、兵隊に行った。文系だったから。)が出ていて、これまた、お達者(=ぼけてない)と知る。

不老長寿の秘薬、不老長寿というよりボケない秘薬があるらしい。

■ 今週の看猫

寝坊助うめちゃん。布団を上げる時間になっても布団にいる。掛布団を撤収しても、おふとんに執着。

■ 今週の予約開始

小谷野敦博士の新刊は『江藤淳と大江健三郎:戦後日本の政治と文学』であるとのこと。

江藤淳と大江健三郎といって思い出すのは、飲み会の帰りにゲロを吐く大江を江藤が介抱するエピソード。

改めて、その文章を読んでみた。記憶が違っていた。ゲロを吐いたのは江藤の方で、介抱したのが大江だったのだ。

なぜかおいらの脳内ではゲロを吐く、弱っちいのは、大江ということに変造されていたのだ。

 気がつくと、大江が私をかかえるようにして、背中をさすりながら何かいっていた。それはこんなふうに聴えた。
「エッ、江藤、しっ、しっかりしろよ。エッ、江藤、お前は堂々としているな。しっ、しっかりしろ。だ、だいじょうぶか。江藤。お、お前は本当に堂々としているなあ」
 大江はほとんどひとりごとをいっているのであった。私が聴いているなしにおかいまくなく、吃りをまるだしにして、背中をさすってくれながらそうつぶやいていた。それを聴くうちに、私の両の眼に熱いものがあふれて来た。そういえば、大江が「お前」といったのも私を「江藤」と呼び捨てにしたのも、このときがはじめてだったような気がする。 (江藤淳、「大江健三郎の問題」、初出 1966年 大江健三郎全作品2月報)

江藤淳と大江健三郎:ふたりの "「初体験」物語" である。

・江藤淳と大江健三郎と中共皇帝

小谷野敦博士、『江藤淳と大江健三郎:戦後日本の政治と文学』には書いてないだろうこと。いつものように、愚ブログでは奇を衒ってみる。

さて、その小谷野博士は「ネオナチがいけないなら毛沢東と写真撮ったやつなんかどうなるんだ」[出典]といっている。

大江健三郎は毛沢東と写真を撮っている。1960年だ。つまり、「江藤淳と大江健三郎と中共皇帝」、大江健三郎が会った中共皇帝は毛沢東である。


毛沢東と写真撮った健ちゃん(右端)。

1960年5月30日に大江健三郎は第三次訪中文学使節団として訪中した。つまりは、1960年の安保騒動の直前に離日していることになる。江藤はのちに書いている;

当時(1960年 いか@註)の中国は、中ソ対立の結果の国際的孤立と、「大躍進」の失敗がもたらした農業政策の破綻から、深刻な国内危機に直面しており、当然日米安保条約改定というこの新しい外圧に激しく反撥していた。
 そのころ、毎日のようにヒステリカルな対日非難を繰り返していた北京放送が、ある日思いがけないことに「日本人民の英雄的闘争を激励する」という在北京の大江氏らのメッセージを報じたときの名状しがたい違和感を、私をいまだに忘れることができない。
 そのとき私は、かならずしも大江氏が、ついに「デマゴーグに踊らされる一兵卒」になってしまったと思ったわけでもなければ、どうせデマゴーグに踊らされるなら、せめて中国製のではなく日本製の「デマゴーグ」に踊らされてほしい、と願ったわけでもなかった。 (江藤淳、「文反古と分別ざかり」)

ここで「デマゴーグ」と物騒な言葉がでてくる理由は、大江が中国に行く三日目 三日前 の江藤との対談で、「江藤さんのご意見は、リアリスティックだと思う。しかし、この問題に関する限り、ぼくは文学者としてのリアリズム信仰を捨てて、デマゴーグに踊らされる一兵卒になりたいと思うのです」といっている。なお、上記この問題とは、1960年の安保改定で首相を「非常に有力な中核団体が」「とりこ」にして、「引退という言質」をとるということである。

 ▼ 一方、「江藤淳と大江健三郎と中共「皇帝」」、江藤は小平に会っている。2度も会っている。1度目は江藤が北京に赴いている。自譜に書いてある。

昭和54年(1979年)10月4日、日中平和友好条約批准交換に先立ち、安倍晋太郎内閣官房長官の要請にて北京に出張、小平副総理その他要人と会談、10日に帰国。

 政府の要請を受けて訪中した江藤が小平副総理と何を会談したかの全貌は非公開である。

 会談は驚いたことに一時間半に及び、最初数分間の社交的な応酬を除いてはすべて実質的な話ばかりでした。異例に長時間にわたった会談を終えて、私が副総理の好意に感謝すると、小平氏は
「ひとつ約束をしてくれますか」
と身を乗り出した。さあ、おいでなすったぞ、と思っていると、
「今日の話はオフ・レコにしていただきたい。私はとかくはっきりものをいいすぎる傾向があって、周囲を心配させる癖がある、ワッハッハッハ」
と呵々大笑いしました。 (江藤淳、パンダ印の煙草、『江藤淳 パンダ印の煙草』)

 さて、当時の小平は副総理であった。総理や国家主席は誰であったのか?と疑問が湧く。現在は、習近平国家主席、李克強総理である。1970年代末期、中国には国家主席というポストは当時なかった。おそらく、毛沢東の死で国家主席というポストを廃止したのだろう。小平は副総理の時、総理が華国鋒。小平は形式上ナンバー2であった。でも実力としては事実上最高指導者であった。そして、小平は生涯、総理にも国家主席にもならなかった。永遠のナンバー2にわざと居続けたのであった。何がいいたいかというと、小平は中共「皇帝」だったのだ。1989年、6・4天安門の弾圧は小平の指示で行われた。

 江藤は「ウヨ」だから、嫌中だったのでないかと今の若い人は思うかもしれない。っていうか今の若い人は江藤淳を知らないだろう。その江藤は、1979年あたりは中国熱にかかっていたようで、小平との会談に大興奮。パンダ印のタバコ箱(江藤が1本喫った残り)を小平の許可を得てもらう。そして、本を出した。『江藤淳 パンダ印の煙草』。 なお、『江藤淳 パンダ印の煙草』には「北京秋天」という文章があり、「亡くなった奥野信太朗先生から、かねがね北京の秋は美しいときいていましたが、来てみるとほんとうに広々とした青空がひろがっていました。」と北京に大興奮。

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