いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ぐるっとパス使用記録5; 上野方面、(+旧江戸城方面: 片岡球子展)

2015年05月01日 19時51分28秒 | 東京・横浜

ぐるっとパス使用記録1; 新宿方面、 
ぐるっとパス使用記録2;目黒方面、  
ぐるっとパス使用記録3; 多摩方面、 
・ぐるっとパス使用記録4; 渋谷・日本橋方面、

に続く第5弾。

▼ 7; 恩賜上野動物園


ライオンor トラ [忘れた]のえさを啄(ついば)む雀


ジャイアントパンダ舎

 

おいらは生まれて初めてパンダをみた。

なお、今上野動物園にいるパンダは、リーリーとシンシン。現場にもカタカナで表記してある。しかし、支那文字表記が、おいらには、見当たらなかった。今ネットでしらべると、結構探すのに時間がかかった。(でも、なんのことはない、当局のサイトに書いてあるのだが)やっと、リーリー(力力)とシンシン(真真)とわかる。それにしても、彼らの元の名前は、「比力(ビーリー)」、「仙女(シィエンニュ)」らしいのだが、なぜか日本では同じ支那文字2連続の名前となる。蘭蘭、康康、以来そうなのだ。なぜなんだろう?

 あまり関連しない愚記事

▼ 1;下町風俗資料館

原子双六(google)なるものが昭和24年(1949年)に出たらしい。湯川秀樹のノーベル賞に便乗したものだ。この原子双六のあがりが「ノーベル賞受賞」なのだが、その数歩手前が「ビキニ環礁での水爆実験」である。なお、昭和24年(1949年)は日本は占領下であり、廣島・長崎の惨状は報道規制・検閲で広く一般には公開されていなかった。これは今の「若い人」は知らないことだろう。そして、湯川秀樹さんが戦時中海軍が京大に委託した原爆開発研究に携わっていたことは今の「あらゆる世代の日本人」はあんまり知らないことだろう[google]。

▼ 11; 一葉記念館

「一葉記念館」、って名前がいい。なまえもひとひら。 「恩賜上野動物園」とは違う。ぐるっとパスで行ける78ヶ所の中ですごいのが、例えば、「国立科学博物館付属自然教育園」など。

樋口一葉はモダニズム前の人なので、母親に「女は学問はいらない」と学校を辞めさせられる。これは林芙美子や片岡球子(後、登場)の時代とは違うのだ。

(▼24; 東京国立近代美術館、 片岡球子展)

国立近代美術館はぐるっとパスに入っているのだが、割引がわずかであるので、前売り券を買った方がまだ安い。

片岡球子。 おいらは、このあいだ知った。 針生一郎経由で知った。

元祖、ヘタウマ、(google)にほかならない。印象深い作品も多いのだが、ふざけんてんのか?と苦笑してしまう作品もある。

でも、初期の「枇杷」とか普通にうまい。「飼育」とか、すごい。 「守破離」を一瞬で駆け抜けたらしい。

 

そして、知ったさ。球子は札幌っ子だって。作風を見ると、北海道のイメージは全くない。特に初期の枇杷や曼珠沙華など、むしろ、北海道にはない植物。でも、逆に、道産子の目が、枇杷や曼珠沙華などに注目したのかもしれない。彼女にとって、目新しかったから。

球子(1905年生まれ)は、札幌北九条小学校。そして、札幌高女。さらに、上京。女子美術学校日本画科高等科へ。

実家は酒造業であり、プチブルの出だと今日知った。

なお、1905年生まれの片岡球子が(林芙美子は1903年生まれ)、戦時中どうしていたのか?は知る由もないが、本展示には1点示してあった。


片岡球子、『八風不動』 昭和18年(1943年)作