いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第249週

2019年08月17日 18時53分52秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の草木花実

■ 今週の智英さん

愚ブログでの智英さんは呉智英さんですが、智英ちがいです。

祸港黎智英:"民族败类,美国走狗,家族逆子"

日本語訳

黎智英(wiki)さんは、美国走狗=アメリカの走狗、だそうです。

■ 今週の商品

スーパーに行ったら、両班 (ヤンバン)、韓国海苔という商品が売っていた。

韓国だから両班(ヤンバン)なんだろうけど、両班(ヤンバン)は海苔と直接関係ないだろう。

一方、こういう発想は日本由来とされるものでもあるんだろうなと思いネットで調べた。あった。

サムライラーメン。Samurai Ramen.

■ 今週の発注した円本

「近代」はまず円本による予期せざる収入の増加というかたちでやって来た。円本とは一冊一円の定価で予約販売された大衆出版の全集ものであり、今日大繁昌の全集ものの原型ともいうべきものである。この収入はもちろん秋声に、もし望むなら今までとは違った生活を送るだけの経済的余裕をあたえた。
江藤淳、「徳田秋声」、1966/日本の文学第10巻「徳田秋声(二)」解説/中央公論社刊

2006年3月16日の愚記事で、もし漱石が戦争まで生きていたらどうなってであろうか?と書いた。漱石は1867年生まれ。1916年に49歳で死ぬ。日米開戦は1941年なので、生きていたら74歳。ありえたことだろう。そして、イギリス体験に独特なものを持つ漱石がどう反応したか?昭和16年12月8日の日米開戦で多くの日本知識人が喝采を叫んだことは知られている。もし、その時、漱石が生きていたら、どうしたであろう?思考実験としてもかなり興味深いと思っていた。そして、今週突然知った(再認識した)。

まず、漱石は作家・徳田秋声 [德田 秋聲](wiki)と交際があった。その徳田秋声は日米開戦に際し、「(日本の従来の)英米依存の不安の長い歴史を顧みる時、日本がはじめて強く自主的な巨歩を踏み出し得たことに、感謝の情を禁じ得ないであろう」と云っているとのこと[1]。そして、その徳田秋声の文章や日本人がアングロサクソンに対してもつ「奴隷根性を根底から叩き直す」と云った長与善郎[wiki]という人の文章も下記、『昭和戦争文学全集 <第4>』に収められていると知った。Amazonでみたら、円本だった。注文した。

[1] 入江昭、『日米戦争』1978年、中央公論社、上の赤字引用はこの本からの孫引き。
なお、この『日米戦争』を入江昭は丸山眞男に贈呈した。ちなみに、この『日米戦争』は第5章に"戦中と戦後のあいだ"という題をもち、まえがきで丸山に最大の謝辞を書いている。ところで、その贈呈に対する丸山から入江への礼状で、江藤淳の無条件降伏論について言及していることが平山周吉、『江藤淳は甦える』の四十一章に書いてある。


昭和戦争文学全集〈第4〉太平洋開戦-12月8日 (1964年)  Amazon

なお、おいらは、徳田秋声なぞ全く知らずその作品は見たこともない。しかし、江藤淳著作集の続2の『作家の肖像』の巻頭が徳田秋声。つまり、江藤淳にとって徳田秋声は漱石に次ぐ重要性をもっているのか?平山周吉、『江藤淳は甦える』の四十四章では”漱石よりもおそろしい秋聲”と題打って解説している。

江藤の德田 秋聲論では、秋聲は漱石と違い(大学教育を受けなかったから)世界像を持たなかった。その秋聲にとっての「近代」とは多情多淫な山田順子(Google)という女との関係でやってきたもの云々と解説している。

なお、この徳田秋声の時代の円本の値段1円は、今の貨幣価値で、約1000-1300円ほどらしい(google)。

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