いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第250週

2019年08月24日 18時25分07秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週のベトナム製

MADE IN VIETNAM というのをおいらは初めてみたので、載せた。

■ 今週の噴霧

5年ほど前は無かったと思う。今じゃ市街地で水ミスト噴霧。

■ 今週の賞

https://kangaeruhito.jp/article/9676

■授賞理由■

文芸批評的な手法ではなくジャーナリスティックに周到な取材を重ね、江藤淳の謎に迫った1500 枚。その結果、戦後日本と日本人のリアルで猥雑な自画像を浮かび上がらせた労作。

受賞理由は上記のようにある。つまりは、探偵のように江藤淳情報を集める。江藤淳をめぐる冒険!。「テクストの外部はない」という当世教条(?)に叛く真に" 文芸批評的な手法"としての博捜"ノンフィクション"。新たな"真実"や江藤の「作り話」が明らかにされる。

■ 今週気づいたこと、江藤淳の1971年米中交渉開始(ニクソンショック)の予想

1971年7月の米国キッシンジャー国務長官の秘密訪中とその後の7月15日のニクソン大統領訪中予定発表は、ニクソンショックとして知られる(wiki)。この米中交流開始は中共を米国に従い敵視してきた日本に衝撃を与えた。つまりは、予想をしていた人は極めて少なかった。

一方、江藤淳の本を見てみると結構書いてある。

例えば、1971年6月10日付けの「週刊現代」でズビグネフ・ブレジンスキー(wiki)との会話を載せている。この時点でブレジンスキーは元米国大統領(ジョンソン)顧問となる。その中で、

「それでは、アメリカが日本の頭をとびこして、中国と合作するという可能性はありませんか?」と江藤が質問。ブレジンスキーは、「ありませんね」「そんなことをしたら、アメリカの極東政策の根本が崩れます。アメリカは絶対に台湾を捨てるようなことはできません」との回答を得ている。

さらに、1966年7月26日の読売新聞で書いている。のち本(『アメリカ再訪』、1972年)になった時のタイトルは「米中合作の可能性」。主旨は先の大戦が日本と中国争奪をめぐる争いであり、かつそれに勝ったのに中国大陸での米国の夢が果たされていない。だから、米国は中国と合作するかもしれないと想定。米中合作となったら日本はどうなるか?「平和は戦争よりも生きにくい」と書いている。

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