▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第405週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週のメタセコイア
■ 今週の花葉
■ 今週のマメ
血豆をつくってしまった。
■ 今週のハサミで切ったもの
のし梅
■ 今週の半額
日頃は買わない瓶入り牛乳が半額だったので買う。低温殺菌牛乳。これでヨーグルトをつくったら、ゆるかった(固まり具合が低かった)。調べると、低温殺菌牛乳はある種の菌が生きていて、ヨーグルトの菌と競合し、ヨーグルトの出来に影響があるとのこと。知らなかった。
■ 今週借りて読んだ本
遠藤周作、『深い河』。おいらは、市立図書館(及び分館)には行かなくて(近くにないので)、予約して近くの公民館で受取、返却をする。その公民館には貸出図書(開架)があり、横浜市立図書館とは別の貸し出しカードで本を借りることができる。棚にあったので、借りる。遠藤周作の最後の作品だという。それぞれわけありの過去を引きずる日本人たちが(1984年に)ツアー旅行でインド(北部:デリー、バナラシ [ヴァーラーナシー wiki])に行く話。
この作品に関するweb siteは多く、解説、感想も多い。例えば、下記記事で作品の概要がわかる;
KEN書店 様 考察・解説・あらすじ『深い河』(遠藤周作)ー宗教・信仰・人生ー
▼死んでも教えを離しませんでした:大津。「義人」大津は「サタン」の試練に遭う。「サタン」は同じ大学(設定としては上智大学としか思えない)の仏文科の美津子から弄ばれ捨てられる。美津子が大津を弄び捨てようとした理由は大津が「義人」=神を信じる者だからである。なぜかしら美津子は神と神を信じる者が気になるらしく、ちょっかいを出す。「なぜ神など信じるのか」と美津子は大津に詰問する。<神に(実は異常な)関心があることを自覚しない、さらには、神を信じたいのだが素直になれない人間>という設定。この「サタン」美津子が大津ののちの人生を見届けるというのが『深い河』の一つの軸となっている。
▼とほほ・大津、あるいは、非欧州・耶蘇教(ヨーロッパ・キリスト教)的耶蘇教
耶蘇教はイスラエルで発祥した。なので、現在のヨーロッパにとっては外来宗教である。ヨーロッパへの耶蘇教普及には修道院が大きな役割を果たしたとされる。さらに、修道院は修道士から構成され一人ひとりが強い意志をもった禁欲的で克己的な人間たちであったとされる(佐藤彰一、『禁欲のヨーロッパ』)。これがヨーロッパの個人主義の源流ともいわれる(関曠野、『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか』)。そういう連中が後世、15世紀にイエズス会としておれたち日本人の前に現れたのだ。イエズス会以外の修道会も公然と世界征服を企画、実行した。
そういう耶蘇教での修道がうまくいかず、司祭になれず事実上追い出されるのが大津。でも耶蘇教をやめない。なぜなら、自分は耶蘇を掴まえようとしているのではなく、耶蘇が自分を掴まえているからだと認識している。そして、大津が所属修道会の教えに順応しないのかは、「心にもない嘘をつくことは決してしない」からである。「決して嘘をつかない」大津は司祭になれず、インド、ヴァーラーナシーのインダス川の火葬場の死体担ぎとなる。
▼遠藤周作の「インド像」
遠藤周作、『深い河』の虚構のひとつは、ヴァーラーナシーの寺院「ナクサール・バガヴァティ寺」のチャームンダー女神像。「ナクサール・バガヴァティ寺」は架空の寺院である(google)。チャームンダーという女神は実際にいる。1990年に遠藤はデリーの国立博物館の下記チャームンダー女神像で、この女神を知ったらしい。遠藤周作にとって、チャームンダー女神像はインドの象徴である。
Chamunda(wiki)
『深い河』ではツアーの添乗員の江波にチャームンダー女神像を解説させる;
江波はそれを遮ぎって、「ぼくの好きな女神像を見てください」と一米 にみたぬ樹木の精のようなものを指さした。
「灯が暗いから近寄ってください。この女神はチャームンダーと言います。チャームダーは墓場に住んでいます。だから彼女の足もとには鳥にに啄まれたり、ジャッカルに食べられている人間の死体があるでしょう」
江波の大きな汗の粒がまるで泪のように蝋燭の残骸が点々と残っている床に落ちていく。
「彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びたた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのがわかりますか。腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこには蠍が噛みついいているでしょう。彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているのです」 (遠藤周作、『深い河』)
遠藤周作が『深い河』でインド行きという設定を選んだのは、チャームンダー女神像に象徴される苦と悲惨の文明としてのインドで現代(設定は1984年)日本人がどう振舞い、考えるかを描くことを目的としたからだ。
▼ベタなオリエンタリズム?
愚記事より
チャームンダー女神像は、端的に「生病老死」を表している。ただし、貧と飢は含まれていないが。さて、18世紀半ばまでインドは総欧州と同じくらいの経済規模であった。別にインドがヨーロッパに比べ貧しかったわけではない。現在の「豊かな」先進国でも「生病老死」の問題はある。社会的貧困(格差、階層、差別に基づく)もあるだろう。したがって、チャームンダー女神像の苦悩は古今東西の悩みともいえるのではないか?近代以前のヨーロッパも「生病老死」+貧と飢があったはずだ。チャームンダー女神像はインドの苦の集積的象徴であってもインド全体の象徴とはいえないというインドに対する認識(インド像)もありうる。なお、遠藤周作がチャームンダー女神像に出会ったインド国立博物館で、おいらは「インド人は、おっぱい星人」というインド像をもった。
▼ 三條夫妻
遠藤周作が『深い河』の感想では、三條夫妻に言及するものはみない。脇役だからだ。三條夫妻は新婚旅行でツアーに参加。夫はカメラマン、妻は本当はヨーロッパに行きたかったがインドとなり不平不満を言いつのる。ヨーロッパ愛好の(当時の)普通の日本人の感覚の持ち主。それでは、なぜインドに旅行先を選んだ理由は夫が特ダネを撮りたくてインドに行くことにした。遠藤はこのカメラマンの三條をロバート・キャパに憧れキャパのような特ダネ写真を撮ることを熱望する。その熱望が結果的に大津を死に導く。遠藤は三條に「すべて要領、要領」という科白を言わせている。これは、「心にもない嘘をつくことは決してしない」との大津の言葉と対照的である。遠藤は三條に「ピューリッツア賞を目指す野心的な人物的属性」を与える。これは前述のようなイエズス会修道士的属性であり、大津と性格が対照的である。これは、遠藤の意図的な設定に違いない。
この若い軽薄な夫婦への沼田(1924年頃生まれ、遠藤と同時代)の科白が面白い;
「私たちの頃には外国に新婚旅行など、とてもできませんでしたよ。日本は繁栄して、若者も外人並みになったんです」
「若者も外人並みになったんです」のくだり。登場人物たちはそれぞれ悲運を抱えているが、登場人物の誰も戦後日本の「暖衣飽食」獲得の達成について、肯定にせよ否定にせよ、言及しない。そもそも、悲運を抱える登場人物が経たはずの「高度経済成長」について遠藤は特に書いていない。ただ、暗に水俣病が出て来るだけである。そういうなかで、「外人並みになった」と遠藤が登場人物に言わせているのが興味深い。「外人並みになった」のは、「高度経済成長」のおかげだ。この頃(1984年頃;プラザ合意が1985年)の日本で「外人並みになった」とよくいわれたとの設定は違和感がない。もっと実際にあった言い廻しは「欧米並み」か。「外人並み」という言い廻しは趣深く、「外人」にはインド人や中国人を含まないのだろう。字義上はそうではないのに。
なお、遠藤は「魂の救済」について、政治では解決できない故、文学があると云っている(下記YouTube)。経済については言及していない。「豊かになった」戦後日本を、福田恒存(『深い河』にはこの名が出てくる)のように「人間の不幸はすべて金で解決出来ると一途に思詰めている野郎自大の成上り者に過ぎない」というわけでもない。もちろん、『深い河』の敗戦前受難者の不幸は「高度経済成長」で癒えるものではない。でも、インドまで行けるのは「豊か」になったからである。
▼ 遠藤周作、『深い河』のメイキングもの。
遠藤がデリーの国立博物館のチャームンダー女神像を知った(案内されたのではなく、自らひとりで「発見」したらしい)経緯などが紹介されており;
遠藤周作 深い河 最後の旅
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