宮古そば
先日のソーキそばを食べた同じ店で今日は宮古そばを食べる。そばといっても、ソーキそば同様、うどんなのだ。だしもどうやら同じようだ。のっかているものが違う。骨なしのお豚とはんぺん/「さつまあげ」。ようするに魚の練り物。もっとも、南の島では「薩摩」は禁句らしいので、この魚の練り物は、南の島では、なんというのだろう?
南の島と言えば干戈のこと。
沖縄戦で死んだ我らが日帝兵士は北海道籍の者が最も多い。これは、北海道の部隊が沖縄戦を前に配備されたからである。北海道といえば近代日本の貧乏農場であるから、全日本の「喰いつめ者ども」のハイブリッド軍団である。オールジャパン・喰いつめ者および子孫の軍団。もちろん、決してクイツメモノではない、北海道先住民の青年たちも日帝兵士として参加していた。
Google; 第24師団 北海道 沖縄
日帝兵士として出征するアイヌ人青年
Google; 第24師団 アイヌ
■北から来るものは昆布 (南の島② ソーキそば) だけではなく、日帝兵士軍団も来ちゃうのであるから、沖縄の人たちは、迷惑な話である。
さて、ぬんげんが天から与えられた過酷な点は、なにがなんであれ、自分の運命は自分しか受け止めることができないことである。琉球/沖縄の人たちが善良であれ何であれ、その運命は琉球/沖縄の人たちしか生きるしかない。
近代において、琉球/沖縄が日帝や米国・戦後日本にされたことは、琉球/沖縄の人たちが受け止め、今後どうこうするしかない。もちろん、今後、米国・戦後日本にどうにか善処してもらうことを含めてである。
ろくでなしのおいらが、琉球/沖縄を見て思うのは、えりーと・えすたぶりっしゅめんとがまぬけだと庶民が受難するということである。つまり、日帝に呑み込まれた琉球尚王朝がまぬけなのだ。
で、さらにろくでなしのおいらが思うことは、琉球/沖縄のことなぞ何にも心配していなのであるが、日帝に運命を委ねた戦前の琉球/沖縄は、米国に運命を委ねている現在のぬっぽんに他ならない。
沖縄を踏みにじり日米が戦争をしたと同様のことが、この先この日本列島で、米中戦争という形で出来するだろう。そして、日帝陸海軍が現地琉球/沖縄人を殺したように、将来起こる米中戦争では、在日米軍は日本現地人を、作戦上やむを得ずといことで、殺すことになるだろう。もっとも、そんなことより中国軍にぬっぽんずんはたくさん殺されるだろうが。
これも、日本が、戦前の琉球/沖縄と同様、他人にクニの運命を委ねた結果でしかない。
日帝が沖縄を捨石にしたように、在日米軍だって日本国土と人民を米中戦争の手段にするだろう。当然のことだ。米軍というのは米国のためにあるのだから。征服者にいつまでも自分の運命を委ねているものに天は味方しない。
▼摩文仁の石碑(沖縄戦犠牲者「全て」の名前を刻んだと自称する石碑)は○、靖国はX、というのは、ちゃんちゃらおかしい。
それはなにも、その石碑にanonymous Koreansの名前が刻まれていないといことばかりではない。
おいらは、テレビのドキュメンタリー番組で、ある琉球/沖縄庶民が、親族の名前がその摩文仁の石碑に刻まれていることを、泣きながら、激怒、憤慨しているのを見た。
つまり、言い分は、日帝陸海軍の司令官どもと、並列視され、摩文仁の石碑に刻まれているのが許せないというのである。もっともである。この琉球/沖縄庶民の憤怒は、靖国神社に勝手に祀られていることに激怒する日帝戦没兵士を親族にもつコリアンのそれと同じである。
摩文仁の石碑も靖国もダメダメなのである。摩文仁の石碑○、靖国X、というのは、ばかサヨの典型的な言説に他ならない。
それでも、おいらは、摩文仁の石碑も靖国も、是としたい。なぜなら、その存在こそ上記の琉球/沖縄庶民やコリアンの憤怒の源泉であるからである。理不尽に死んだ戦争犠牲者を、パッケージ化して、追悼できると考えることが、おばかであることを、徹底して、告発するからである。
摩文仁の石碑も靖国も、理不尽に死んだ戦争犠牲者を、パッケージ化して、追悼する点で双子の兄弟である。
しかしながら、その反面、パッケージ化した追悼するなぞ決してできはしないということを、実際に、現実的に示し、今後戦争をしたい人は、犠牲者は追悼なぞ決してできはしないと、思い知って戦争することを自覚させるためにあるのであれば、その存在意義があるのではないかと、おいらは、愚考する。
そして、おいらたちは、パッケージ化できない、理不尽な死とともに、愚種としての運命を歩むと確信するのである。
■と、すんこくなぐちばかり言っても、さびしいばかりだ。
せめて、沖縄で没したわれらが北海道籍の日帝兵士に、ふるさとの昆布入りのソーキうどんを供えてくれ!
いま思うのは、そのことだけだ。
そして、おいらは、せめて、床上手になろう。(←なんでやね! 正義 性技のために!)
それには性技が必要だ。昆布入りの闘いうどんを武器に、この世に巣食う快楽を貪り食う、めくるめくような性技の世界を、どうか堪能したいものだ。
おいらは今日も、性技のために、闘いつづける。 闘いうどんは、泣きながら、啜れ!
こんな闘い、はじめてだ…
本ブログの「主カタキ役」たる「薩長ちんぴらにいちゃん」たちの赫々たる業績は2皇帝の奪取と3国王の生け捕り。
屯田兵、北へ南へ。あるいは、賊軍・官軍。
その5系統の皇帝と旧国王を「傀儡」として大日本帝国の版図を広げ経営。
「薩長ちんぴらにいちゃん」の生け捕りした3王朝とは、ぬっぽん徳川王朝(江戸)・琉球尚王朝(首里)・朝鮮李王朝(京城)。3王様は、自らの旧城をおん出され、大日本帝国において東京で皇族や華族となる。つまり、「薩長ちんぴらにいちゃん」は日本国王、琉球国王、そして朝鮮国王を無化したことになる。
昭和10年4月6日東京駅. 二皇帝@薩長の奪取したおもちゃ、の出会い
【日本国王・沖縄・白石】
日本国王; 日本国王とは、もちろん、徳川将軍のことである。この称号は6代将軍家宣の時に新井白石が改称した。それまでは、徳川将軍のことを支那や朝鮮に対し「日本大君」と称していたのを止めた。
沖縄; 「沖縄」という語を作ったのもこれまた白石。白石の時代、つまり17-18世紀には、清朝・支那は琉球王朝に宗主権を持ち、朝貢を要求していた。実際は薩摩の島津家が事実上支配していたので、2重支配ということになる。朝貢する琉球王朝は、清朝支那から見て、「琉球」。これに対し、白石は「沖縄」という視点と概念、つまり江戸からみた「琉球」を、作り上げたことになる。 事実、明治維新後の1875年の「琉球」処分による琉球王朝廃絶ののち設置されたのは「沖縄」県。(琉球併合!)
さらには、戦後、米占領軍がこの島に作らせたのが「琉球政府」である。そして、1972年に日本に「復帰」し、「沖縄」県となった。(琉球再併合!)
【北京の琉球官僚】
琉球王朝が清朝に朝貢していたということは何も儀礼的なものばかりでなく、その支那文明の受容を前提としていたようだ。一昨年、北京に行ったとき、国士監に行った。国士監とは清朝皇帝が直接、この堂にある玉座に座り、清朝官僚に講義をするのである。と、おいらは聞いた。どうやら、ヤマ感!霊感!コクシカン!、と言って国運を占うのではなく、孔子さまの原典を注釈することで、政治を導いたとのこと。
その清朝皇帝から講義を受ける清朝官僚はあの科挙を通った当時の人類で一番のスーパーガッコ秀才ちゃん@つんぽない、つまり宦官さまたち[1]である。一方、琉球官僚は別枠で国士監に来て「研修」していた。聴講生みたいものか。それにしても虎の群れに入り込んだにゃんこちゃんって感じだったろう。ところで、琉球官僚がつんぽをどうしていたのかはすらない。 誰かおすえて。[2]
後期;[1][2] どうやらおいらは誤解していたらしい。科挙に受かった官僚と宦官は違うらしいのだ。中国史知識薄弱です。
その日、この国士監の敷地には観光客はほとんどいなかった。そこに日本語で説明するガイドと観光客2-3人組に遭遇。勝手についていって、ガイドの説明を聞いた。その時中国人ガイドが琉球からの官僚もここで研修していたと聞いた。その時、ガイドが琉球と言ったのか、沖縄と言ったのかおぼえていない。とにかく、そこで初めておいらは琉球の朝貢というのは使節の派遣・歓迎だけでなく、もっとつっこんだものだと知った。その時自覚的にチェックしたのだが、その中国人ガイドの説明には、琉球/沖縄は本来支那に属するというニュアンスは全く無かった。たぶん留学とか言って説明していた。ニュアンスでいうと今、北京に中国語研修しにきている日本人とでもいった感じ。印象はむしろ日本人観光客に対し「卑屈」ではないかとおいらは思ったほどである。
北京、国士監
中国⑬ 孔子廟
【守礼;幻の東アジア共同体】
白石の時代、清朝は康熙帝という清朝時代最も充実し版図を拡大した時代。ただ幸いなことに康熙帝はふるさとの満州など陸地の奥深くの方が好きだったようで、ごりごり海へ出てきて琉球支配を貫徹させようとはしなかったのかもしれない。さらには、いけいけ最盛期の康熙帝は朝鮮王に康熙帝の息子を養子にするように強要。これに対し朝鮮王朝は、「そんなことしたら日本が黙っちゃいない」と日本をダシにして拒絶に成功。表向きは儒教・中華思想を基盤とする守礼外交で、日本と支那のパワーオブバランスは維持された。日本外交は白石の戦略である、支那・漢字教養に基づく小中華主義。つまりは中華の作法をもって中華を追い越そうというやり口である。だから、漢字運用、つまり上記の外交文書のターミノロジーにこだわるのである。
ターミノロジーにとどまらず、そもそも琉球/沖縄の文明的・地理的重要性に着目して情報収集と文明誌・地誌・言語の集成に尽力した(『南島志』、『琉球考』)。
【白石と琉球、そして君美】
とりとめのない話でおちがないので、適当につける。沖縄の語を、既存のオキナワという音に漢字をあてて、作った新井白石。白石はもちろん号。緯(いみな)は君美(きんみ)である。さて、犬彦センセによると、由良君美(きみよし)は死ぬ8年前にその父哲次の著書『古琉球語で解明する邪馬台国と大和』を完成させるため、その参考文献であるチェンバレンの『琉球語辞典』の翻訳をやったとのこと。これだ↓
「琉球語文典および辞典にかんする試論」(B・H・チェンバレン著、由良君美訳)
哲次さんも息子への名前の付け甲斐があったというものだ。
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小説を読むときに最初に気をつけることは、作者が登場人物にどのような名前をつけているかを考えることだ。