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いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

いか@、タコを思う。

2007年06月20日 21時18分07秒 | 札幌

タコ の造りたまいし赤レンガ。

 GHQ軍政部がタコ部屋の中止命令を出すきっかけは、真駒内事件にある。 1946(昭和21)年8月、札幌市外真駒内(現在市に編入)の進駐軍関係土木工事を請け負っていた新*組飯場で、土工夫の不法監禁、虐待事件があることを探知した道警察部と札幌検事局は、現場を臨検して土工夫3人を保護検束して内情を調べたところ、部屋にいた300人の土工夫は、いずれも周旋屋にだまされた者で、暴行・虐待をうけ、窓はすべて格子つきで、棒を持った監視人がおり、外出も許されない状態であることがわかった。 すなわち、敗戦後も依然存在していたタコ部屋が、真駒内で摘発されたのである。
北辺に斃れたタコ労働者の碑、ある親方の怒り

上記 タコ が従事した建築が今もなお残る、マッカーサー指揮下の占領軍の建物である。現在は、なぜかしら日の丸を掲げる、「米」衛隊の基地となっている。


タコ部屋を廃止したのは、マッカーサー将軍である。われらが地崎宇三郎センセは、地*さんは改進党の幹事長をつとめた方ですし、幣原さんは改進党総裁でしたから。 地*さんが北海道にもどられ、各組長を集めて。『あきらめろ、天皇陛下より偉いマッカーサーの命令だから、その命令をひっくり返して無罪ということはあり得ない。 幣原さんも、かけあったがダメだったからみんなに納得してもらえ、といっていた』と、いったと上記リンク先には書いてある。

あー、おいらの、となりの類族、タコ。


 将軍さまは、hard core slaveを解放し、ぬっぽんずんぜんぶを ソフトなドレイになさいました。
- - 将軍さまと、われらが!ソフトなドレイの酋長サマ - -
- - - あげくのはてに、ゲンバクやむなし!
- - -


現在、『性奴隷』が日本人の羞恥心と罪悪感をあぶっていることは、明に暗に貴殿たちの知るところである。日本人の羞恥心と罪悪感をあぶる火の手が上がるのは、これまた、マッカーサー将軍のふるさと、米国に他ならない。でも、ここで、『性奴隷』の特権性が、改めて、問わなければならない。なぜなら、文字通り、本当の 奴隷 については言及されていないからである。


それにしても、われらが、近代ぬっぽんの「貧乏農場」である北海道の、デージンさまは、今日言及した地崎センセをはじめ、なぜかしら、奴隷関連デージンである。

町村センセは、既に言及した。

今日新たにわかったことは、終戦直後内務官僚・警察は占領軍の指令を受けて、タコ部屋を摘発した。終戦前はタコ部屋を看過してきたことは、別に内務官僚・警察はタコ部屋を人道的・倫理的にどうこう思っていたわけではないことを示す。すなわち、日帝時代は日帝中枢の意向を受け、タコ部屋の維持し、タコ部屋を人権という見地から廃する占領軍が権力者となれば、その意向でタコ部屋を摘発する。

これすなわち、ある種の、奴隷、に他ならない。

もちろん、法制官僚はそんなものだ。法制官僚に、倫理や人道を求めてどうする。おまえは、あほか!? そうなのだ、おいらは、つい、すめろぎサマの臣たる日帝官僚に倫理や人道を求めてしまう、ないーぶなろまんてぃすと=薄ら馬鹿な夢想家ではある。

そんな、内務官僚・警察であったのは、戦後北海道知事となりあそばされる、町村元外相のご尊父であらせられる、町村金吾さんに他ならない。

ちなみに、こういう ぬんげんである、後藤田正晴さんについては、書いた。

ぬっぽん、ってなんだろう。

近代ぬっぽんの「貧乏農場」+ときどき/しばしば・奴隷=ほっけーどー!

マンセー!

■デージンになりそこねたよ。
   
主は奴、

   
奴は主。

主と奴は、同い年である。
あるじ と やっこ は、おないどしである。


偉大なるマオさんのお国の、奴隷問題。

2007年06月19日 20時18分59秒 | 中国出張/遊興/中国事情

↑数個の電球のタマが切れているのが御愛嬌。

乞食は、おいらずすん現認したよ。

汎日朝日の記事より;拉致された子、強制労働 中国当局600人保護



拉致された子、強制労働 中国当局600人保護 (含む、立花隆クン)


2007年06月18日17時29分

 中国各地で拉致された子供たちがれんが工場などで過酷な労働を強いられていた実態が判明し、山西、河南両省の公安当局は省内にあるれんが工場など1万カ所以上の一斉捜索を開始した。18日までに子供や知的障害者を含む約600人を保護、工場経営者や拉致実行者ら約170人を拘束した。同様に拉致された被害者は1000人を超えるとみられており、公安当局はさらに捜索を進めている。

写真山西省洪洞県で5月27日、れんが工場から保護され、警察署の前に立つ労働者たち=ロイター
写真摘発されたれんが工場内にある細長いかまど。拉致された子供らが、ここから高温のれんがを運び出していた=17日、山西省洪洞県広勝寺で

 国営新華社通信などによると、拉致グループは、鄭州市など大都市のターミナル駅周辺で未成年や職を探す労働者らに「仕事がある」などと誘い、拉致していた。被害者は400元(約6000円)~500元で工場に売り渡されていた。

 被害者はわずかな食事を与えられただけで、厳重な監視下で早朝から深夜まで15時間以上も無償で働かされていた。12歳の少年や70歳の高齢者も含まれていた。全身にやけどを負っている被害者も多い。

 親たちが自力で我が子を工場から救出した様子を地元テレビ局が放映したり、子供が失跡した父母約400人がネットを通じて救出を呼びかけたりしたことで問題が顕在化。長期間事態を見過ごしていた当局の姿勢に批判も出ている。

 ●「仕事遅い」殴打、体中やけど

 「現代の奴隷工場」――。一斉摘発の端緒となった洪洞県広勝寺のれんが工場を、内情を知る関係者はこう形容していた。ここで3カ月近く働かされていた河南省の男性(20)とその父親(43)が、朝日新聞記者に拉致や過酷な労働の実態を語った。

 調理学校を卒業した男性は3月7日深夜、鄭州市で料理店の面接を終え、駅付近の長距離電話がかけられる店で休んでいた。見知らぬ男3人が近づき、「何の仕事ができる」と聞いてきた。男性が「調理師の資格がある」と言うと、男たちは「ちょうどいい。レストランを経営しているから働かないか」と誘った。

 男性は誘いに応じ、ワゴン車に乗った。勧められた飲料水を飲むと、強い眠気に襲われた。睡眠薬が入っていたらしい。翌日午後に目をさますと、れんが工場にいた。

 山に囲まれ、れんがの搬出に使われる細い道が唯一の出入り口。経営者宅があり、出入りを監視していた。経営者は村の共産党書記の息子だった。12~60歳の約30人が働かされていた。男6人と犬6匹が常時監視していた。

 朝5時から深夜1時まで平均16時間以上働かされた。100度以上もあるかまどの内部に入り、焼き上がった高温のれんがを薄い手袋をはめただけで運び出した。仕事が遅いと棒で殴られ、体中にやけどを負った。

 食事は塩をふっただけの葉物野菜とおかゆ。就寝時間になると、窓がふさがれた粗末な小屋に押し込まれて施錠され、薄い布団にくるまって床に寝た。風呂はなかった。

 3月8日夜、父親は公安局に捜索願を出した。テレビや新聞に尋ね人の広告も出した。広告を見た男性から「息子が誘拐されて山西省の工場で働かされたが、自力で逃げ帰った」と連絡を受けた。父親は5回にわたり同省を訪れ、買い付け業者を装って200以上のれんが工場を訪れたが、消息はつかめなかった。

 不安が募る中、5月29日、突然息子から電話があった。公安当局の摘発で救出され、病院にいた。父親は全身の力が抜け、泣いた。久しぶりに会った息子はげっそりとやせ、全身やけどやあざだらけ。感情が抜けたように無表情だった。

 拉致された男性は「なぜ簡単にだまされたのか。両親に迷惑をかけてしまった」と自分を責める。父親は「救出が遅れたら息子は死んでいたかもしれない。こんなことは絶対に許されない」。

またけ 真竹

2007年06月18日 21時05分11秒 | 筑波山麓


農家直営販売店で またけ、真竹なるものを売っていた。「アクぬき不要です」と書いてある。 1本70円。





われわれになじみの竹は、孟宗竹とこの またけ らしい。孟宗というから支那由来なのか? (たぶん)これだ!。 そして土着の竹こそ真の竹、またけ、なのか。そういえば、上記またけは、かぐやひめが入ってそうな竹だ。おいらが買ったのは スカ だった。残念。

どうでもいいけど、へんちくりんな奴の、へんちくりんは、変竹林って知っちゅう?




ラッフルズ ホテル

2007年06月17日 20時37分48秒 | インド・3回目・シンガポール
シンガポール滞在はラッフルズホテル。







もちろん、ウソである。


ラッフルズホテルは、お上りさんにも広く開かれている。

シンガポールネタがなかなか終了しないのは、英支撃滅編、日帝躍動編、恨まれる日帝編に終始し、おいら@偽毛唐編の記事が書けなかったから。そもそも現世でおいらがシンガポールに業務命令でいったのはおいらが自分の偽毛唐性をすほんに売っているからこそである。で、やっぱ書けないので、ラッフルズホテルお上り写真を載せる。

日帝皇軍占領時も、もちろん、このホテルは最上画像のたたずまいであったのだ。たぶん数週間以上もお風呂にも入っていなかったであろうわれらが皇軍兵士もこのホテルにやってきたのだ。 その65年後、米国の属領民のおいらは、偽毛唐として、おとなしく、デジカメ画像を撮らせていただいたのだ。


ホテル内にはラッフルズホテルの歴史展示部屋がある。そこでの立体模型。ホテルの敷地はワンブロックくらい。広い。建物も多い。


中庭。宿泊者でなくてもアクセスできます。



ショップが入ったモール街があります。


展示室。おいらは、シンガポールで、「元フィリップ少年」と邂逅しなければならなかったのです。

会いました。

ジャン・ボダンと主権

2007年06月16日 20時55分12秒 | 
先日本屋に行って、下記の本を発見。もう随分前からこういう「入門書」はやめよう、解説書もやめよう。少しでも原典そのものを読もうと、自分に課しているつもりなのだが、ついつい手にとって見てしまう。触る前は、絶対買わないと思ったが、なんとボダンの解説があるではないか。

おいらはジャン・ボダンの詳細をしらない。だから、以前から気になっていつかは調べたいと思っていた。ジャン・ボダンは今のこの世界の混乱の元凶である、国家主権、あるいは主権概念を案出した人とされているからである。

著作の邦訳はなし。ボダンに関する日本人研究者による日本語の本は品切れ。という自己言い訳をして贖う。


哲学の歴史 4 15-16世紀 (4) (単行本)


いまのところの聞きかじりによると、ボダンの主権の定義は、慣習法を含むすべての法を自分の意志で改廃し、自分は法に拘束されることはない、っていうんだけんども、もす、そうだとしたら、日本史上にはそんな御仁や組織はひとりたりとも登場したことはないざんす。


征夷大将軍―もう一つの国家主権なんかみると、天皇主権と並び、それを置きかえるに至った政治主権、とか書いてある。並んだり、置き換わったりするのは、少なくとも、ボダンの定義する主権とは違うのだろう。日本語の主権って何だ? ちなみに、置き換わりの天王山は、家康による、禁中並びに公家諸法度。つまりは、東国の征夷大将軍こそ、この戦後民主主義のさきがけなのだ、といいたいばかりの生臭い本。

「そもそもこういう法律を制定したことが画期的であって、この形式それ自体が日本史上の革命憲法に相当するのである。」


うんこもぐした、革命家


そんで、そう、もちろん話しの行き先は、国民主権。 上記定義だと、国民に主権なぞあろうはずがないよね。

A sophisticated majestas chaseはすすむかな。

ブログなんかいくらやったって無駄だ!

2007年06月15日 20時26分19秒 | ぐち
課題。 下記命題にコメントしなさい。

ブログなんかいくらやったって無駄だ!

おいら;

んだ。だけんども、なぜ無駄なことをしてはいけない?

無駄だと切り捨てるなぞは、効率性にとらわれたいじましい世俗性に他ならない。



っていうか、

ブログなんかいくらやたって無駄だ!

がブログ検索になかったので、登録したかったのさ。

■今日の 大嗤いぬっぽんずん、 恥知らずぬっぽんずんは、 



田中派残党の正嫡、政治的不動産王!

こやつこそ、愚民党の最大の すけっと に他ならない。

愚民党の別働隊である。

公正な社会! 公正な社会! 公正な社会! 公正な社会!

大嗤い、である。

政治資金かき集めて、不動産買いあさり!

おまいとなんか、共に生きたくなんかねーよ。

美代子、打電しなさい。

「愚民党政権は安泰なり!」




闇に顕れ生きる

2007年06月14日 20時37分48秒 | 日本事情
少し前のことだが、つまりは憲法記念日の頃、おいらより10歳くらい年上のおじさん2人と話した時、山口判事の話になった。なった、というかおいらが振った。そのおじさん二人、日本のほとんどの人が名前を知っている大学を出で、年収千万以上もらっているに違いない状況のお人たちなのだが、山口判事を知らんかった。

なんで、そんな話になったかというと、昨今話題の

コンプライアンス

について話したから。コンプライアンスの杓子定規の適用で現場では現実にことが運ばなかったり、経営陣の都合のよいように杓子定規に適用され、多少なりとも不合理であるとの批判が出始めている。


 ちなみに、なんでおいらが山口判事を思い出したかというとちょうど憲法記念日の頃日本が法治国家であるかということや、日本人の順法精神を夜中にふとかんがえると、そういえばぬっぽんずんというのは、みんな闇米食って生き延びてきているんだな、と改めて気づいたたからにほかならない。つまりは、 「戦争に負けて天皇から赤ん坊まで闇米食うて生きてきたんじゃ。何が法律じゃ!」である。

コンプライアンスの話はおきざりにして、今夜は 闇 の話をする。「戦争に負けて天皇から赤ん坊まで闇米食うて生きてきたんじゃ。何が法律じゃ!」の件だが、ぬっぽんずんは、案外、知恵があるのではないかと思う。ただし、闇の世界で。その戦後の食糧難の時代、貧困層において餓死者が大量に出たという史実はない。つまりは、ぬっぽん人は 闇社会でこそ、貧乏人に至るまで、脱法をしながら、きちんとお互い餓死しないように食料を分配しあっていたなによりの証拠である。われらがぬっぽんずんの本領は闇にあるのではないか!?

「戦争に負けて天皇から赤ん坊まで闇米食うて、『みんなで天皇陛下から、赤ん坊まで闇米をお互いその出自や所得にかかわらず、均等に分け合って、そして、食うて』生きてきたんじゃ。何が法律じゃ!」、なのである。

一君万民、一+万民=みんなご飯食べるぬんげん、マンセー!。


大々々々々々々々々皮肉なのは、ぬっぽんずんで唯一人の順法の人・山口判事ひとりが、餓死した。山口判事は法曹界ではさぞかし恨まれているだろう。なぜなら、彼の餓死こそたの法曹人たちが闇米を食って生き延びていたことを示すからに他ならないからである。

さて、上記の10歳年上のおじさん。初耳である、おいらの山口判事についての説明を聞いたあと、法律の目的は社会や人間が幸せに生きることであるので、順法で餓死するとは本末転倒とのコメント。

よかったね、法曹界の人たち。


漫画一、もとい、万が一、おいらは子供を持つつもりは、さらさらないのだが、万が一子供を持って、そやつが検察官なぞになりたいなぞといったら、その場で一家心中である。恥知らずに育ったからである。つまりは、子供にぬっぽんはいかなる社会であるか全然説明してこなかったことを示すからである。それにしてもこんな社会で今日も検察官をやっているぬんげん、あるいは成りたい人間、そしてそんなぬンげんを産み育てる御仁がいるなんていうのは、まあ、大ワライである。なんずらの親やじっちゃん・ばっちゃんはみんな闇米食って生き延びてきたのである。ワラエルだけならいいが、こういう愚劣なぬんげんがいるから、イマダニ、ぬっぽんはぬっぽんであるのであるが......。薄汚いことをやっている自分を欺瞞して、平和だ民主主義だと偉そうなことを言う。それが ぬっぽん ずんだ。

公安関係者で法曹者である御仁が朝鮮総連がらみの取引で、何かとてつもなく 闇っぽい ことをなさったという、まだ詳細がわからない報道を聞いて、がんばれ! ぬっぽんずん! 君こそ日本人(支那文字)!、と「いか@サマ杯・日本人(支那文字)大賞」に勝手にノミネートしたおいらであった。

蛇足だが、米穀通帳 (ハルノートちゃうで)が正式に無くなったの中曽根内閣のじだいである。おいらのスカイラインが既に製造された後ではないか!



闇に顕れ生きる、おれたち、ぬっぽんずん、なのさ。

Google; 闇に隠れて生きる


おいしかったよ!、闇米。










世の中全てが敵に見える。  きち%いの繰言

2007年06月13日 20時11分11秒 | ぐち



先日、今月に入って十日過ぎて『諸君』を贖う。つまりは、随分本屋に行っていなかったのだ。さて、今月の諸君は、やはり、キチガイ特集である。

さて、このガイキチ3人。実は極めて明瞭に自分の考えを言語で述べている点が共通する。これこそが、狂気とは理性以外の全てを捨て去った境地である、という命題に他ならない。

■1.
世の中全てが敵に見える

っていう御仁がいたとしよう。たとえば、あなたの傍に。

どうだろう?

「世の中全てが敵に見える」って言うことは、キチガイの定義ではないだろうか?

つまりは、西尾幹二センセは、そういっているである。中国は敵だ! 韓国は反日だ!北朝鮮に至ってはいうまでもない! ところで、米国も敵だ! 敵だ! 敵だ! オーストラリアは最悪だ! タスマニア人を全滅させたのは、大英帝国に他ならない! 敵だ! 敵だ! 敵だ! 敵だ! 敵だ! 敵だ! 

日本は孤独だ! 日本は孤独だ! 日本は孤独だ! 日本は孤独だ!

おいらは、西尾センセの発言命題全てに、ごもっとも、と思わざるえを得ない。果たしてちゃんと、ぬっぽんの奴隷となった豪兵の画像も提示してきた。  大英帝国への我らが日帝の反逆も 耄碌国を撃ちてしやまむ

すかすながら、それは、おいらのような社会に対しなんら責任のない、きち%い野朗に許された『特権』に他ならない。 tax-eaterだった、年金生活者がそういう越権行為をしていいのか!?  日本政府に文部教官として飼われてきたのに、最近の米豪日の安全保障体制構築への努力を無視して、勝手なキチガイの繰言に節操があるだろうか? 

ちなみに今回西尾作文に言及されいなかったこと。日英同盟時代、豪、ならびにニュージーランドの制海権確保は、大日本帝国海軍の責務であったと、おいらは、記憶する。つまり、豪国諸君やニュージーランド諸君、彼らは先住民を殺しまくったのであるが、日英同盟時代、そして、あるいは現在、どこぞの国の清朝、あっ、もとい、伸張に伴う脅威に際し、ぬっぽんの助けを求める戦略的環境であること。このことは、知っておいて損はないかも。

そして二十世紀中盤において、豪国やニュージーランドの諸君が蒙った損害と恥辱は彼らの母なる大英帝国がわれらが日帝を敵にまわしたからこそ出来した事態であることこそ、豪国やNZの諸君は肝にめいずるべきで、おくんなまし。そんでもって、肝に銘じているから、豪国は日米豪安保に乗る気なのだろう。

■2.
蓑田狂気、あっ、もとい、胸喜についての、佐藤優と竹内洋の対談。

蓑田狂気と佐藤優の共通点は、不運な帝大教授。つまりは、二人ともずぶんこそ帝大教授であるべきで、そうでない現実はまちがっておる!というメンタリティ。 けっこう見え透いていると、おいらは、思うよ。 そういえば、今きずいたけど、西尾センセも不運な帝大教授だな。

■3.
連載である。保坂正康の磯田浅一論。彼こそ昭和屈指のキチガイにほかならい。おいらは心底、御そんけーもうすあげますだ。長州出。そのガイキチ性は、松陰に肉薄する。 マンセー! キチガイ! 

キチガイ! こそぬっぽん文明の真髄に他ならない!

最新のキチガイ@松陰(安倍ちゃんがPCで最も尊敬するとする)の正嫡!、薩摩で逮捕!

元都知事候補・外山容疑者、道交法違反で逮捕

【2007年6月13日】

時事通信によると、鹿児島県警鹿児島中央署は6月12日、熊本市在住で文筆家外山恒一(とやま・こういち)容疑者(36歳)が、一方通行の道路を逆送したなどとして、道路交通法違反(通行禁止・最高速度超過)の疑いで逮捕した。

読売新聞によると、警察の調べで外山容疑者は、2006年1月17日に鹿児島市内の一方通行の市道バイクに乗った際、それを逆送した他、同じ年の7月10日には同市内の国道10号で時速30キロの法定速度を20キロオーバーして運転したとされている。外山容疑者は一方通行の逆走は認めながら、「裁判で話す」として反則金5000円を納付せず、速度違反に関しても署名等を拒否した。調べに対し、外山容疑者は「(容疑は)全て黙秘する」と話している。

読売によると外山容疑者は2007年4月の東京都知事選挙を初め、同月の熊本市市議会議員選挙等に立候補したがいずれも落選した。







 


政府醜状

2007年06月12日 20時14分37秒 | 日本事情

夏野菜

ところで、茄子とトマトを同時に使う料理はあるだべか?
例えば、イタリアン・ピザ系の料理か? 加熱とチーズが要点か。

■もう、旧聞に属するかもしれないが、野依センセが、税金をちゃんと払ってなかったそうじゃいなか。Google 野依 脱税

旧こぶ平も税金をちゃんと払ってなかった。税金をちゃんと納めない人間を作った母親や、ちゃんと税金を納めない本人たちがやっているのが、政府教育再生会議に他ならない。 まずは、おめーさんたちが再生しろよ!っと御助言差し上げたい。

規範意識の確立!

藁!


松岡前農相がかかわったと邪推される天下り・税金食い物組織を、後任の赤城農相がすぐ廃止と宣言したが、御本人がそのいかがわしい団体からパーティー券を購入してもらっていたそうな。 藁!

どの世ににも、いかなる時代にも、おバカがいてもいいんだけど、っていうかおいらずすんがおバカなのであるが、おばかがこれだけ政府を占拠し僭主するとは恐れ入る。これも愚かな匹夫が入れ札をするからに他ならない。

と、ぐちって;

醜聞;
公衆は醜聞を愛するものである。(中略)「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知っている。」こう云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。 
--芥川龍之介 「侏儒の言葉」-- 

今夜も、豚のように眠るぞ! おいら。 熟睡マンセー! ぬっぽん、マンセー! おやすみなさい。

■規範意識の確立!

彼らの一に苦しみを恐れず、二に死をおそれない%%精神とすべての敵を圧倒し、決して敵に屈伏しない英雄的気概に学び、つねに勇敢で粘り強い%%の意思と戦闘の精神を保持すべきである。彼らの刻苦奮闘、無私献身、規律厳守、廉潔奉公の優れた作風に学び、永遠に&&党員の先進性を保持し、%民軍隊の政治的本領を保つべきである。


20年後、しっかりしこんであげるよ。


鹿島神宮ハタヤ号

2007年06月11日 20時36分32秒 | 日本事情

週末、製造されて四半世紀になんなんとする昭和の車で出かける。つくばを離れた頃、強烈なこげのにおいが車内に漂う。最初は車の外がくさいのだろうくらいに思っていたら、しまいに前方ボンネットに煙を見た。あちゃー、こりゃやばいとびびるもどうすることもできずただ国道6号、水戸街道を南下した。

ガソリンスタンドに入る。見てもらう。実は、エンジンオイルを随分と交換していなので、エンジンが焼きついのかと内心ひやひや。まずはオイル交換を頼む。そして、点検も。

最近は筑波山麓でもガソリンスタンドの廃業のうわさをよく聞く。理由は有人タイプのガソリンスタンドは人、つまりは従業員が集まらないとのこと。最近の景気上向きの状況では、あの賃金であの暑い中、あるいは寒い中、ガソリンスタンドで働こうと思う人は少ないのである。したがって、無人タイプのガソリンスタンドが増えている。

おいらが駆け込んだ取手のガソリンスタンドは国道沿い、それも旧五街道沿いの一等地にあるスタンド。従業員も充実してそうな、はぶりのよさそうなスタンド。車を預けると待合室でまてとのこと。よくあるでしょう、ガソリンスタンドに。自動販売機なんか設置されていて、ソファーやバーカウンターぽいのがあって、新聞なんかがおいてある。そして、なぜかしらテレビが大音量で付けっぱなし。

点検、修理の1時間はかかると説明された。煙噴いたのだから、いたしかたない。待つことにした。その待合部屋を見渡すと、戦闘機の白黒写真が入った額縁がかざってある。近寄って見ると、中島飛行機製、陸軍二式戦闘機、『鹿島神宮ヤハタ号』とある。何なんだ!? 中島飛行機といえば、今煙をふいているおいらの昭和のスカイラインこそ中島飛行機残党の創った車ではないか!


結論すると、その写真の戦闘機は、陸軍二式戦闘機、『鹿島神宮ハタヤ号』という献納機なのであった。その説明書きには「父、幡八仙三郎が献納した戦闘機の写真」とのこと。つまりは御子息がこの額縁を作り掲げたらしい。この時点でおいらは、このガソリンスタンドのオーナーの御尊父は戦闘機を献納したのかいな、と思った。

そんで、うちに帰り、『鹿島神宮ハタヤ号』や幡八仙三郎、のキーワードでググッテ見ると、果たして、幡八仙三郎氏は、小川町の元町長であり、戦後航空自衛隊の百里基地を誘致した人物に他ならないとおいらは知った。

Google, 幡谷仙三郎 百里基地

Google; 鹿島神宮ハタヤ号

Google; 百里基地訴訟


http://www.ne.jp/asahi/aikokuki/aikokuki-top/Aikokuki_4000-4999.htmlから勝手に掲載。この4547番が、鹿島神宮ハタヤ号

それにしても、この幡谷仙三郎さんこそ一身にて二世を経た御仁である。なぜなら、帝国陸軍航空隊と航空自衛隊は同じ系譜には連鎖しないからである。

なぜなら、航空自衛隊こそルメイの徒に他ならないからである。

自衛隊は「日本軍」なんだろうか?素朴な疑問である。自衛隊を「米」衛隊と喝破したのは江藤淳である。たぶんあの時、情報保全隊の3週間の命の文書には、反自衛隊言説として記録されたのであろう。藁!

あるいは、幡谷仙三郎さんこそ、源田実さんやひろひとさんとシンクロする、一身にて二世を経た昭和・戦後の尊皇正統派なのかもしれない。



ルメイの徒の情宣局長
↑great communicator & 魂無き専門人=大和心なき、対米従属・世俗で幸せ・理屈ばっかり・口ばっかり・対米従属改憲派!

でも、F1操縦できるんだぞ! エラいんだぞ! ルメイ恩賜の銀時計組!


ルメイとマッカサーが『諸悪の根源』って絶対言えない、ルメイ恩賜の銀時計組!


煙の原因はエンジンルームではなく、ブレーキのシリンダーがいかれて、車輪を挟んでブレーキの働きをする「挟む」部分がこげていたと判明。応急処置をしてもらう。ありがとう。

レシートを見ると、そのガソリンスタンドは冨士菱石油株式会社とわかる。オーナーが幡谷さん。やっぱ、献納家のスタンドだったのだ。