いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 38週目

2012年01月07日 09時40分57秒 | 草花野菜

【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。ランキングは上位10000件まで表示されます。

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2012.01.06(金) 1591 PV 170 IP 7385 位  / 1669985ブログ
2012.01.05(木) 1358 PV 220 IP 5294 位  / 1669630ブログ
2012.01.04(水) 1350 PV 176 IP 6795 位  / 1669288ブログ
2012.01.03(火) 1832 PV 178 IP 6008 位  / 1668898ブログ
2012.01.02(月) 1414 PV 157 IP 7209 位  / 1668592ブログ
2012.01.01(日) 1799 PV 165 IP 6280 位  / 1668285ブログ
2011.12.31(土) 1291 PV 159 IP 6946 位  / 1667969ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2011.12.25 ~ 2011.12.31 10531 PV 1168 IP 6987 位  / 1667969ブログ
2011.12.18 ~ 2011.12.24 10404 PV 1144 IP 7749 位  / 1666013ブログ
2011.12.11 ~ 2011.12.17 9439 PV 1174 IP 7133 位  / 1664214ブログ

初揺れ;平成24年01月01日14時37分

2012年01月04日 19時07分13秒 | 日本事情

今週日曜日の元旦の午後、大きな地震があった。初揺れ。棚の物が落ちるそうになるくらいの気配を呈する揺れだった。これは大きくなるかなとびびって、おいらはつい机の下にもぐった。去年の3.11の余震以降、こんなにびびったのは久しぶりだ。そして、その揺れ方が独特で、廻るように揺れた。地震の後、多少の嘔吐感を催すような嫌な感じだった。くらくらした。

すぐラジオをつけて、震源を確かめると、南鳥島、という。東北ではないのだ。でも、揺れたのは宮城から茨城と3.11の時とにたような地域だ。

 図1


http://www.jma.go.jp/jp/quake/20120101143714384-011428.html

結論からいうと、上の地震の詳細にもあるように、震源の深さが370kmの深発地震だったのだ。3.11の地震の震源は深さ24km。

あの独特の廻るような揺れ方の原因はこの震源のせいだったのだ。それにしても東北の真下と南鳥島などの域の真下では太平洋プレートの沈み込み角度が違うと気付く。南鳥島の真下ではプレートの沈み込みが急で、深さ370kmまで達している。一方、東北の下ではプレートの沈み込みの角度が緩かで、たかだか深さ200kmだ。

     

なおこの2012年元旦の地震は、屈指の深発地震らしい;

2012年1月1日 : 日本 鳥島近海(M7.0、深さ370km) - 震度分布は東日本の広域で震度3・4である。東北地方太平洋沖地震の余震域以外で発生し、東北・関東地方において震度3以上が観測された地震では最大規模。

 

■深発地震ゾーンを発見した日本人

今となっては地球の特定の場所では深い所で地震が起きること、そしてその地震の発生は沈み込んだ海洋プレートが破壊されることが原因らしいということがわかってきている(プレートテクトニクスモデル)。このプレートテクトニクスモデルは20世紀後半に発生、興隆した(らしい)。ところで、深発地震とその発生源が特定箇所であると気付いたのは和達清夫。1927年。関東大震災が1923年。おそらく関東大震災を受けて政府が地震計をたくさん設置したことの成果でもあるだろう。

ところが、不幸なことに、この深発地震をベニオフという米国で活躍した学者が1950年代に地震の観測データを集めて整理して、発表した。この後、米国を中心として深発地震が起こる地球上・内部の場所をベニオフゾーンと呼称している。よくて、ベニオフ-ワダチゾーン。ただ、和達清夫が1927年に気付いて発表していたことが知られるようになり、ベニオフ-ワダチゾーンが多数になっている。

今調べたら、違った。 

おー!21世紀では、Wadati-Benioff zone が多数はらしい。Benioff zoneで引いても→結果。Wadatiは復権していたのだ。

wiki; 和達-ベニオフ帯

■昭和末期、和達清夫は生きていた。

さて昭和末期。教科書にも出ているベニオフ-ワダチゾーン。そのワダチという学者さまがどういうお方であったかも特に興味もなかった。無意識に感じていたイメージは戦前の偉い学者さま。そしたら生きてたよ。この例に限らず、すごい偉い人なのでよほどお年寄り、さらには物故者だと勝手に思っていた人が普通に生きていたりする。改めて確認すると、和達清夫は1902年生まれ(wiki)。だから、1927年の深発地震面の発見は25歳の時の業績だ!。そして、1995年に他界したので、昭和末期は80歳ほどの高齢ながらまだ生きていたのだ。そして、70歳くらいでもものを書いていた。

なぜ、昭和末期に、その驚いたこと、すなわち和達清夫が生きていることを知ってかというと、呉智英センセの本で出てきたのだ。それは和達清夫大先生が「 南極 北極 の氷が解けると海水面が上昇します」みたいことを書いてしまっていたのを呉智英センセが見つけ、手紙を出したら、返事が来たという話。これはおいらの記憶に基づくもの。呉智英センセのどの本に書いてあったか今は探せていない。

といことで、今年元旦の深発地震で、こんなことを思い出しました、という話です。

【問題】さて、問題です。図1の震央(震源地の真上の地表点)は赤色のXで示されています。この赤X印から仙台も福岡も似たような距離です。なのに、なぜ、仙台の方が揺れるのでしょうか?

 

まとめ;外套(マントル)とはよく言ったものだ。波よけのマント。

 

 


謹賀新年2012

2012年01月01日 12時55分56秒 | その他

天誅です。米と芋を材にした薩摩の焼酎です。 もちろん、奇を衒ってネタにしてみました。ikagenki=いか@衒奇の本義です。

この薩摩焼酎は、昼間は小心翼々としたいじましい行動へとせかされてはいるが、夕暮れ過ぎて、一杯やればたちまち高潔な志士に変身。そして、憂さ晴らしの居酒屋談義では、多数の政治家さまに天誅をくだし、気持ちよくなった赤ら顔の高潔な志士の脳内において、天誅による奸どもの血しぶきを横溢させるという、「豊かな」社会のまぬけ者どもの稚戯において、彼らの中枢神経を刺激するエタノールを供給する役割を担っているのだ。

☆さっそく事例酒を飲んでいて

露と消える?か、元老院か?

この焼酎・天誅を醸造している白玉醸造においては、この天誅はあと2つの銘柄の3点セットである。

天誅のあと、露と消えるのか!?、元老院まで登りつめるのか!?、

酒っこくらって、夢想するのだ。

    

  天誅                 元老院   
 米+芋        芋                           麦+芋

(薩摩焼酎なのに、長州ばかりでごめんなさい) PS,以上の比較「研究」から、玉砕か!?、元老院か!?、を分けたのは、米か麦かであることがわかった。

今日の結論; 出世主義者 (魂のビンボー人) は、麦を  喰え! 飲め!

 


 

【後註】山縣有朋は元老のなかの元老とみなされていたが(wiki)、元老院の所属かは、おいらは、未確認。元老院というのは法制上しっかりした組織らしく(wiki)、山縣の名は見えない。