【横浜、東京、埼玉】
横浜に住んでいた頃、神奈川県や東京都にあるあちこちのむさしの森珈琲に行った。これは、株主優待券をもつ「荊の簪を挿した御方さま」が奢ってくれるからだ。
例えば、
・むさしの森珈琲 中央林間店(愚記事:座間散歩 2022年;座間駅 ⇒ 座間谷戸山公園 ⇒目久尻川の谷 ⇒中央林間駅)、
・同、 長津田みなみ台店(愚記事:横浜散歩:十日市場駅 ⇒ 長津田みなみ台 ⇒ 長津田駅)、
・同、むさしの森珈琲 浜田山店(愚記事:東京散歩:荻窪駅 ⇒荻外荘・近衛文麿邸 ⇒浜田山駅)、
・同、Diner ムスブ田町店(愚記事:東京散歩; 清澄白川 ⇒ 月島:[地下鉄・大江戸線]:汐留 ⇒ 芝増上寺 ⇒ JR田町駅)、
・同、世田谷オークラランド店(愚記事:東京散歩 世田谷 2022: 九品仏、三軒茶屋、松陰神社、豪徳寺、桜新町、愚記事:東京散歩:東急世田谷線・宮の坂駅⇒ 豪徳寺⇒ 世田谷城址⇒ 世田谷代官屋敷⇒ 馬事公苑⇒ 用賀駐屯地⇒ 桜新町駅)
・同、朝霞本町店(愚記事:東京・埼玉散歩;地下鉄光ヶ丘駅 / Grant Heights跡⇒ 和光樹木公園 ⇒ 朝霞駐屯地 / Camp Drake跡⇒ 東武朝霞駅)
に行った。
【福岡】
福岡県でのむさしの森珈琲は2店あるらしい。北九州市と大宰府市。北九州市は、むさしの森珈琲 北九州青山店。地図で見ると、八幡西区の筑豊電鉄・穴生駅付近。JR黒崎駅まで行き、筑豊電鉄に乗り換え穴生駅からむさしの森珈琲 北九州青山店へ向かう。穴生駅のまわりを散歩した。
1.筑豊電鉄・穴生駅、2.穴生鷹見神社、3.穴生二丁目公園、4.穴生1丁目交差点、5.荻原1丁目交差点、6.むさしの森珈琲 北九州青山店
■ JR黒崎駅 ⇒ 筑豊電鉄・黒崎駅前駅
JRは黒崎駅だが、筑豊電鉄は「黒崎駅前」駅と知る。ホームからホームへ直通する経路はないようだ。駅前デッキに一度出る。
案内に従い、1階へ。
▼ 「黒崎駅前」駅
電車の外装はきれい。車内もきれい。
■ 筑豊電鉄・穴生駅
■ 穴生駅 ⇒ 穴生鷹見神社
■ 穴生鷹見神社 ⇒ 山をぐるりとまわる ⇒ 穴生二丁目公園
▼ 穴生二丁目公園
■ ⇒ 4.穴生1丁目交差点
福岡県住宅供給公社:「県公社5」、穴生団地。
川を挟み西隣は瀬板の森公園で好環境。築古ですがリーズナブルで便利な団地です。※10年間の定期賃貸借での契約となります。(web site)
浄土宗、弘善寺(web site)
穴生1丁目交差点
■ ⇒ 5.荻原1丁目交差点
小山公園(八西)
■ ⇒ 6.むさしの森珈琲 北九州青山店
山手通り
■ 6.むさしの森珈琲 北九州青山店
レモンチーズケーキ(すかいらーく web site)
さわやかな味わい
ニュージーランド産クリームチーズを使用したほのかな酸味と舌ざわりのよい、レモン風味のレアチーズケーキです。
▼ マガジンハウス社の雑誌「ポパイ」、あるいは、政府補助金記事
むさしの森珈琲は雑誌を多く置いている。どの店舗に行ってもマガジンハウス社の雑誌「ポパイ」を見る。逆にいうと、むさしの森珈琲以外で見ることはない。見る動機は、「親米派」の鑑賞だ。この日、最近の号を見ていると「重松理」という人のインタビューが載っていた。知らない人だ。でも、経歴を見るとどういう人かわかった。「ブランドショップ」ビームスの立ち上げメンバー。ビームスって、つい最近まで知らなかった。ある日、武相境斜面に居たころ、知った。『三田評論』のある待合室でだ。『三田評論』にビームスの創業社長のインタビューが出てたのだ。その待合室以外で『三田評論』を見ることはなかった。今では、『三田評論』はネットでも見られる。設楽洋(wiki)。アメリカが好きで、アメリカ人のように生きたいと思い、実施した人だ。親米派。ビームスとマガジンハウス社、そして、雑誌「ポパイ」は縁が深いらしい。
ビームスを立ち上げた1976年当時、僕はまだ社会人1年目。物と情報が不足していた時代でしたが、電通にいたことでいろいろな新しい情報が入ってきました。勤務先の築地の近くに平凡出版(現マガジンハウス)があり、ある日、広研時代の友人と偶然会ったんですね。ビームスがオープンしたのは76年2月。ちょうど同じ年の夏に『ポパイ』が創刊され、僕は彼からファッションの情報をもらうことができました。(『三田評論』にビームスの創業社長のインタビュー)
そもそも、設楽 洋さんは;
思春期を過ごした60年代後半から70年代前半は若者がアメリカのモダンなライフスタイルに憧れた時代で、ドルが360円の時代にアメリカに憧れて、どうにかアメリカの雰囲気を味わうために、米軍キャンプに忍び込む方法を考えたり、どんなに有名人でも、高校時代の友人とはご飯を食べに行くだろうと考えて、その友人と友達になれば会えるかもしれないとか考えたりした。大学時代は湘南や横須賀のベースキャンプで遊んでいてアメリカの生活を目の当たりにしていた。そんな学生時代からの憧れを形がビームスの原型ととなる。 (wiki)
とのこと。つわものだ。
重松理(wiki):
出身地の逗子に米軍の居留区があり、米軍関係者が多く住んでいたことから、アメリカ合衆国の文化に触れる機会の多い環境で育ったことをきっかけに、幼少の頃よりファッションに興味を抱く。神奈川県立横須賀高等学校から明治学院大学経済学部に進んだ後、ダックやビームスを経て、畑崎広敏(ワールド)の支援のもと1989年10月にユナイテッドアローズを創業した。
そもそも(2回目)、雑誌『ポパイ』の初代編集長は、木滑良久という人とのこと(wiki)。この木滑良久さんは;
15歳で太平洋戦争の敗戦に遭遇し、進駐軍を通じアメリカの文化に接して強烈な憧れを抱く。(wiki)
筋金入りの「親米派」だ。
▼1976年に創刊され、48年経つのに、まだ続いているとのこと。誰が見ているのだろうと疑問に思い、ネットで調べた。だって、内容が上記、ビームス立ち上げメンバーとか横山剣とか、おっさんしか知らないのではないか!?と思ったからだ。
若い人が見ているらしい。一方。「60代以上の親世代と30代程度の子世代2代でのファンも多く安定的な人気があります」(google)との情報もある。
▼ 政府の意向を受けて
さらに、目を引いたのが、雑誌「ポパイ」のステロタイプを逸した内容。介護職の紹介。
どうやら、人手不足の介護職業界への人材流入を期待する、あるいは、促進したい「勢力」の「プロパガンダ 広告」!とわかる。
「改めてキーワード「シティボーイ」を前面に押し出し、コーディネート、インテリア、旅行、カルチャーなどに関する情報を」(wiki)受信しているはずの読者層は介護職に向かうのだろうか?
★ 一番気づいたことは、雑誌「ポパイ」の本文の字が小さいこと。おじさん、つらいよ。
■ まとめ 通過街
八幡西区:穴生、萩原、青山