草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

右翼団体による実力行使を支持した三島由紀夫!

2016年02月22日 | 思想家

三島由紀夫にとっての右翼とは、一口で言えば体をはる人間のことであった。口先だけでは右翼ではないのである。大東塾が靖国問題で実力行使に及んだことを三島は高く評価したのである。靖国の霊を国が神道の祭祀に従って顕彰すべきであるのに、それがねじ曲げられることを怒ってぶん殴ったのである▼三島の言い分は明快である。「政治家をぶんなぐることがいいかどうかはわからない。ただ影山氏の塾の人がやったことは、ある一つの思想をとおすには、どうしても法的にも、議会政治の上でも、どうしてもとおらない。しかしそれが日本にとって本質的なものだと考えたら、あの方法しかないんじゃないですか。その方法の良し悪しというよりも、あの方法しかないからやったんでしょう。そういうふうな、どうしてもやらなければならんことで、ほかに方法がないということをやるために右翼団体というものはあるんだと思うし、塾というものがあると思うんだ」(林房雄との対談「現代における右翼と左翼」)と述べたのである▼自らが決起することを計画していたから、ついつい本音が出たのだろう。とくに権力に対しては番犬にならずに、厳しく対応するのが本来の右翼なのである。サヨクにもしばき隊というのがあって暴力を肯定しているようだが、あくまでも二番煎じでしかない。これまでの経過からしても、右翼団体がその道ではプロなのである。

 

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70年安保騒動はナショナリズムの爆発であり権威への挑戦だった!

2016年02月22日 | 歴史

団塊の世代に連なる者として、70年安保騒動とは何だったのかといわれれば、日本のナショナリズムの爆発であると同時に、権威を保っていたアカデミズムを引きずり下ろすことであった。それは新左翼の理論家であった吉本隆明、黒田寛一、梅本克己、広松渉らの思惑をも超える異議申し立てとなった▼すでに当時においてマルクス主義は退潮を迎えていた。ソビエトや中共の現実が暴露され、マルクス主義は「現実を否定する運動である」との言い方がなされ、アナーキズム的な色合いが強かった。吉本が日本浪漫派に感化され、梅本には和辻哲郎の、黒田や広松には西田幾多郎を始めとする京都学派の影響が強いことを知ったのは、社会に出てからのことである▼中核派の「沖縄奪還」のスローガンは、革マル派などの「沖縄解放」とは違っていた。いくら表向きであっても「本土並み返還」を当時の佐藤栄作首相が口にせざるを得なかったのは、中核派の街頭での戦いがあったからだ。進歩的文化人が次々と糾弾されたのは、理論と行動に齟齬があったからだろう。「戦後民主主義の虚妄に賭ける」と言っていた東大の丸山真男の研究室が破壊されたのは、そのことを象徴している▼今の若者は保守的になっているといわれる。ナショナリズムの矛先がアメリカではなく中共に向けられ、サヨクが跳梁を極めていた大学はそのときから権威を失ってしまったのだから、それは当然の帰結なのである。

 

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