日本が間違った方向に歩み始めている。国家的な安全保障上の危機に対処せず、国論を分断するRGBT法をめぐって大騒ぎしているのは、あまりにも滑稽である。
それは政治が機能を停止しているからであり、そんな人間しか政治家に選ばれないからである。小池百合子都知事がいかに批判されようとも、知名度の上で彼女に優る者はおらず、選挙になれば圧勝するのは目に見えている。
議会制民主主義は絶対のものではなく、当初から数々の問題点を孕んでいた。よくいわれるように、多数決で決定したことには従うしかないのである。それこそがルソーが述べた「一般意思」であり、いかに反対であっても、逆らうことはできないからである。それが誤ることもあるという危険性を、私たちは忘れてしまってはいないだろうか。
だからこそ、理念としての国柄がなければならないのである。その時々の空気に支配されて、大衆は暴走しがちである。それにストップをかけるのが国柄であり、それを代表するのが歴史と伝統の上に立脚した皇室なのである。古き権威によってブレーキをかけるのである。
資本主義的原理は、欲得の世界であることは間違いがない。しかし、それのみで世の中が動いていたのでは、格差が拡大し、混乱が起きるのは必至である。
日本人の先祖の神々に日々奉仕しておられる天皇陛下は、無私に徹しようとされている。そのお姿を目指すべき理念として、政治が行われるのならば、過ちは最小限におさえられる。それはまた、政治家にとどまらず、選挙民としての、私たちの心構えでなければならず、まさしく「温故知新」の考え方なのである。