福田恆存の『常識に還れ』は昭和35年10月25日に発行されたが、60年安保騒動の混乱が冷めやらぬなかで、左右を問わず多くの人に衝撃を与えた。
福田とは反対の立場にあった、全学連主流派のブンド(共産主義者同盟)の学生たちも、浅はかな自分たちの論理を否定されたことで、逆に好感を抱いたのだった。
「私が最も好意をもつ主流派諸君に忠告する。先生とは手を切りたまへ。ついでに、共産党からもらったニックネームのトロッキストを自称する衒学趣味から足を洗いたまへ。歴史を手本とする教養主義を棄てたまへ。警官より物を知ってをり、郷里の百姓に物を教へうるなどといふ夢から醒めたまへ。あるいは、そんなことは十分心得てゐると言ふかもしれない。それなら『純粋な学生の心』に賭けて戦術主義をさつぱり棄てたまへ」
福田はリアリストである。言葉だけで、実際には行動しない、進歩的文化人に踊らされてはならない。日共から浴びせられるトロッキストという言葉に酔ってはならない。左翼の可能性を観念的に語っているに過ぎないからだ。下手な進歩主義のドグマを信じるのではなく、常識人の心を取り戻すべきであり、過激に走りがちな戦術主義と訣別することなどを、福田特有の語り口で説いたのである。
安保騒動の敗北が決定的となった段階で、福田は正論を述べたのである。西部邁がブンドのリーダーから、保守の論客に脱皮することができたのは、福田の感化を受けたからなのである。
昨今の左翼運動は、もはやかつてのような勢いはなくなってきている。しかし、国論を分断し、我が国を危機に貶めるような力はある。
福田が言うように、日本人には「異常事に興奮しやすい、緊張に堪へられぬ個人の弱さといふことに根本の問題がある」のは否定できず、だからこそ、マス・コミに扇動されやすいのである。
「日頃から『マス・コミ』を個人の生活の一部に位置づけ、集団的自我にそのつきあひをさせて、個人的自我は深部にとつておくといふ近代人の『精神の政治学』を心得てゐないことに、日本の近代史の弱点があるのだ」
60年以上前に福田が危惧した日本人の弱点は、未だに解消されてはいない。慎むべきは付和雷同である。福田の『常識に還れ』の主張に、今こそ耳を傾けるべきなのである。