草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

高市大臣の靖国神社参拝(招魂慰霊)は日本人の鏡だ

2023年08月15日 | 祖国日本を救う運動
  終戦記念日の今日、高市早苗経済安全保障担当相が靖国神社を参拝した。高市大臣の「国策に殉じられた皆さまの御霊に哀悼の誠を捧げてまいりました」という言葉に、多くの国民は胸打たれたに違いない。
 賢しらな者たちとは違って、私たちにとっては、靖国神社にお参りするのは、素朴な信仰心があるからだ。加地伸行大阪大学名誉教授は「日本、朝鮮半島、中国など東北アジアの人々に共通する死生観は招魂慰霊である」ことを重視する。それは丁寧に死者を葬送し、慰霊を続けることであるからだ。
 それを体系化したのが儒教であった。加地名誉教授は、そこに神道や日本的な仏教が影響を与えたとみる。日本の特徴として、中国などの儒教式招魂とは違って、仏教的対応がなされたために、平等の精神から怨みある者と親しき者とを区別しないのである。
 また、加地名誉教授の考え方にもとづけば、靖国神社が戦没者を祀るのは、明治維新によって、我が国が国民国家となったからで、国家意志の下に戦死した英霊に国家的敬意を表するのは、魂魄(こんぱく)のうちの魂の慰霊なのである。魄(ぱく)の方は遺骨が収められている場所での慰霊が行われている。
 あくまでも靖国神社は「日本人の死生観」に立脚したものなのである。それを否定することは、日本人の国柄をなきものにするということである。
 靖国神社で死者と対面するために、国家がその場所をつくるというのは、自然な成り行きであったのだ。亡き人の霊魂を招くという信仰と無縁な者たちが、それを裁くのは見当違いも甚だしい。
 高市大臣が、日本人であることを誇りに思うから、その信仰心を手放さないのである。次の総理大臣は彼女しかおらず、岩盤保守派は、実現に全力を傾注しなくてはならないのである。
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日本人を土民扱いにしたのが白人の占領軍だ

2023年08月15日 | 思想家
 78年前の今日、我が国は降伏した。その結果多くのものを失うことになった。日本人が不甲斐ない国民に成り果てたのは、それまでの歴史を否定され、自らのアイデンティティを確認できなくなったからなのである。
 戦い敗れた国家ほど惨めなものはなかった。葦津珍彦は『土民の言葉ー信頼と忠誠との情理ー』において多くの日本人の思いを代弁している。あたかも日本人を土民扱いにし、蔑視したことに怒りを覚えたからである。欧米の真似をすることが民主化であり、進歩的だという考え方は、日本の知識人においても同様であった。
「日本土民の感情思考を蔑視したのは、白人ばかりでなかった。日本人の中にも外人的な思考、感情を身に付けなければ、民主的、文化的になれないと思いこんで、日本人の信条を非難し嘲笑した者が多かった。それは占領中ばかりではなく、今でも日本のマスコミは、それらの外国人礼賛者に占領されている感がある」
 しかし、それは日本人のほんの一部なのである。葦津は「日本人の中での絶対多数を占める大衆は、日本人特有の気質、感情、信仰を有ちつづけている。土民は雄弁ではなく、理論の展開に匠ではないかもしれない。しかし私は、日本の土民であることに誇りを感じる」と言い切っていたからだ。
 保守派のネット民は、声なき声を代弁する土民の声なのである。グローバリズムに毒され、欧米が失敗したことを繰り返そうとしている。ドラスチックな変化よりも、堅実な積み重ねを望む保守派ネット民と一致するわけはない。
 日本人は今こそ土民であることを武器とし、日本を取り戻さなくてはならない。先祖信仰を維持し、家族を基盤として、過去との連続性を保つのが土民の生きざまなのである。そして、外敵に対しては、私たち同様に土民であった先人がそうであったように、心を一つにして立ち向かうのである。
 
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