草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

丸山眞男の説く8月15日民主化説は現実を無視

2024年08月11日 | 歴史
 戦後の日本をリードしてきた進歩的文化人の代表格が丸山眞男であった。丸山はわざわざ講演において8月15日を高く評価しました。
 朱子学の徒でもない丸山が「ものの本性、つまり本質にたちかえること」としての「復性復初」を説きました。しかし、丸山にとっては「初めにかえれということは、敗戦の時点のあの時点にさかのぼれ、8月15日にさかのぼれ」ということでした。
 そして、丸山は「私たちが廃墟の中から、新しい日本の建設というものを決意した、あの時点の気持ちというものを、いつも生かして思い直せということ、それは私たちのみならず、そのことは特に言論機関に心から希望する次第であります」と訴えたのです。
 そういった浅はかな見方に与しなかったのが、江藤淳でした。日米戦争の敗北を、日本の戦いが正義でなかったというのは、米国側の戦争観です。
 米軍が我が国にやってきたのは占領のためです、普遍的な正義を実現するためではありませんでした。江藤は進歩的文化人と違って、明るい面だけないことを指摘しました。敗戦という現実を直視したのです。「それは頭の問題であるよりさきに、日本の肉体の問題である。肉体が打倒され、しかも閉じ込められたという事実の問題である。あるいは個々人が体験自他生活上の生活上の問題である」というのを看取したのです。
 そして、進歩的文化人とは別に、実際に米軍と交渉せざるを得なかった政治家の方が、交渉の過程で苦労を強いられ、国際情勢の変化への対応を余儀なくされました。丸山のように、8月15日で時間がストップしたわけではなかったのです。
 時計の針を前に進めようとしない進歩的文化人の亜流と、現在もその影響下にあるマスコミに、日本の舵取りをさせるわけにはいきません。8月15日を前にして、その仮構された理想主義を否定する所から、戦後レジームからの脱却が始まるのではないでしょうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 岩盤保守が争っているときで... | トップ | 死生観なき戦後日本の不幸 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史」カテゴリの最新記事