SALTY(日本キリストオピニオンサイト)で去る19日、西岡力氏が「なぜ今なのかが不可解な旧統一協会解散命令請求」という一文を書いている。僕も同じ意見である。
西岡氏は「今回、文部科学省は解散命令請求の根拠として『法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと』(宗教法人法81条1項1号)だけでなく、『宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと』(同2号)に該当すると主張した。宗教団体に対する死刑宣言のようなものだ」と見方は正論である。
こともあろうに、岸田首相は「法律違反」の法令とは刑法に限られているとした政府見解を一夜にして撤回した。民法も含まれているとして、文科省に旧統一教会を解散させる方向に舵を切ったのである。
これまでも何度も旧統一教会が問題になったことはあるが、政府は「解散請求はすべきではない」と繰り返してきた。西岡氏はこの点を指摘するとともに、被害事例が判明したわけでもないのに、マスコミの批判を恐れて、立場を一転させた岸田首相を厳しく批判する。
このため、西岡氏は「安倍晋三元首相のテロ犯が旧統一協会を恨んでいたという情報が奈良県警からリークされるや、マスコミが旧統一協会たたきを始め、旧統一協会と関係があったという理由で自民党が激しく批判され、岸田政権の支持率が下がった。それが契機だったのではないか。そうだとすると、宗教団体に対する『人民裁判』ではないか」と憤る。
あたかもマスコミは、安倍元首相と旧統一教会が強い紐帯で結ばれていたかのように報道した。本来であれば、岸田首相は反論すべきであるのに、それもしなかった。宗教団体は政治活動をすることは自由であるのに、どうしてそれを問題視しなかった。
さに、ら西岡氏は「旧統一協会とその信者の信教の自由が大きく侵されている。それなのに「明日は我が身」である他の宗教から、信教の自由を守れという声がほとんど出ていない。強い危機感を覚える」と締めくくっている。
いかなる宗教団体であろうとも、刑法に触れなければ、解散命令を出すべきではない。「魔女裁判」に加担するような政治は、全体主義と同じである。「霊感商法」が問題になっていたときはお構いなしで、下火になっている現在、それを持ち出すというのは大衆迎合そのものである。岸田首相を支持できないのは、そうした無見識な節操のなさなのである。
西岡氏は「今回、文部科学省は解散命令請求の根拠として『法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと』(宗教法人法81条1項1号)だけでなく、『宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと』(同2号)に該当すると主張した。宗教団体に対する死刑宣言のようなものだ」と見方は正論である。
こともあろうに、岸田首相は「法律違反」の法令とは刑法に限られているとした政府見解を一夜にして撤回した。民法も含まれているとして、文科省に旧統一教会を解散させる方向に舵を切ったのである。
これまでも何度も旧統一教会が問題になったことはあるが、政府は「解散請求はすべきではない」と繰り返してきた。西岡氏はこの点を指摘するとともに、被害事例が判明したわけでもないのに、マスコミの批判を恐れて、立場を一転させた岸田首相を厳しく批判する。
このため、西岡氏は「安倍晋三元首相のテロ犯が旧統一協会を恨んでいたという情報が奈良県警からリークされるや、マスコミが旧統一協会たたきを始め、旧統一協会と関係があったという理由で自民党が激しく批判され、岸田政権の支持率が下がった。それが契機だったのではないか。そうだとすると、宗教団体に対する『人民裁判』ではないか」と憤る。
あたかもマスコミは、安倍元首相と旧統一教会が強い紐帯で結ばれていたかのように報道した。本来であれば、岸田首相は反論すべきであるのに、それもしなかった。宗教団体は政治活動をすることは自由であるのに、どうしてそれを問題視しなかった。
さに、ら西岡氏は「旧統一協会とその信者の信教の自由が大きく侵されている。それなのに「明日は我が身」である他の宗教から、信教の自由を守れという声がほとんど出ていない。強い危機感を覚える」と締めくくっている。
いかなる宗教団体であろうとも、刑法に触れなければ、解散命令を出すべきではない。「魔女裁判」に加担するような政治は、全体主義と同じである。「霊感商法」が問題になっていたときはお構いなしで、下火になっている現在、それを持ち出すというのは大衆迎合そのものである。岸田首相を支持できないのは、そうした無見識な節操のなさなのである。