日本が国家としての国益を主張することに対して、世界は冷たいようだ。68年前の敗戦が今なお尾を引いているのである。国家の根本である憲法をアメリカに委ねたこ時点で、日本は終わっていたのである。安倍政権は、戦後レジームを脱却するどころか、かえってそれを容認する方向に向かいつつある。ここは焦るべきではないだろうが、国民一人ひとりが、真の独立を目指す気概を持たなければ、安倍政権が誕生した意味はなくなってしまう。磯田光一は『戦後史の空間』のなかで、中野重治の『五勺の酒』に言及している。民族主義的な左翼が、日本国憲法の成立に対して、まっとうな感想を抱いていたのである。しかし、その大事な部分はアメリカの検閲によって削除されたのだった。「じっさい憲法でたくさんおことが教えられねばならぬのだ。[あれが議会に出た朝、それとも前の日だったろうか、あの下書きは日本人が書いたものだと連合軍総司令部が発表して新聞に出た。日本の憲法を日本人がつくるのにその下書きは日本人が書いたのだと外国人からわざわざことわって発表してもらわなければならぬほど、なんと恥さらしの自国政府を日本国民が黙認していることだろう。]そしてそれを、なぜ共産主義者がまず感じて、そして国民に、訴えぬだろう」。[]で削除された箇所からは、無念さが伝わってくる。日本人自らの憲法でないことに、中野は悲憤慷慨しているのである。しかし、現在のサヨクにはそれはない。憲法擁護を叫び、押しつけ憲法であることに触れようとしない。私たちの自主憲法制定の思いは、そこからの脱却なのである。現在は退却を余儀なくされているが、一歩でも二歩でも前進しなくては、永遠に日本は属国から抜け出せないのである。
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