草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

安易に尊厳死を選択すべきではない!

2014年11月04日 | 医学

尊厳死を認めてしまえば、それは際限なく適用されるのではないか。死は誰もが迎えるものであるとしても、意識がある限りは、生をまっとうすべきではないだろうか。アメリカのオレゴン州で、29歳の女性が尊厳死を選択した。もはや自分であり続けられないのに悲観して、自ら選択をしたのである。しかし、それは日本では容認すべきではない。そうでなくても、高齢化が進行して、年寄りの肩身が狭くなってきている。生きること自体が難しくなってきているのだ。健康で元気な者でなくても、生きる権利があり、誤った方向に誘導されるのを恐れてしまう。つい最近、親を亡くして痛感したが、子供にとっては、生きていてくれるだけでいいのである。病と闘っている姿が尊いのである。余命何カ月という言葉は、死刑宣告を受けたのと同じだ。奇跡や希望を持つことが、どうして許されないのだろう。日本人は共同体のなかで暮らし、それは過去から未来へと受け継がれていく命の流れである。そこで生き、そこで死んでいくのである。分断された個として、終焉を迎えるのではない。今の日本では152万人がガン患者だといわれている。百人未満に一人の割合なのである。医学の進歩による救済が待たれると同時に、その人たちの希望の灯を絶やしてはならない。安易な安楽死の選択は、その希望を奪うことになりかねない。子供や孫のために、必死に踏ん張っている人たちを、見放してはならない。奇跡がありうることも忘れてはならない。あくまでも命はミステリアスなわけだから。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 勝手な思い込みの幻影を信じ... | トップ | 揚げ足とりではなく建設的な... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

医学」カテゴリの最新記事