草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

権力者に媚びないのがネットの極意

2010年04月06日 | マスコミ評

 ネット上では熾烈な情報戦がくりひろげられている。仕事に出かける前と、帰ってきてからパソコンに向かう身としては、はなはだしんどいが、このまま見捨てておくと、日本はとんでもないことになるという思いから、やむにやまれず書き込んでいるのが本音だ。ネットを覗いてみると、いくつかの特徴があるのがわかる。小沢一郎民主党幹事長擁護のブログは、できるだけ上位にランクされるように、組織的なバックアップがなされている気がしてならない。しかし、あまりにも小沢幹事長を持ち上げすぎることから、逆にほめ殺しをしているようで、どことなくカルトっぽくて薄気味悪い。行動する保守とか、社会運動を名乗っている人たちは、自分たちの活動報告のPRの場にしている。動画をたくさん貼り付けているので、そこからある種のスターが出てくるのではなかろうか。マス媒体によらないパフォーマンスというのは、注目に値する。ともあれ、ネットの極意というのは、オリジナルな情報をたれ流すというよりも、それをおちょくることで、笑いの対象とすることではなかろうか。今のところのターゲットは、できもしないことを並べ立てている鳩山政権や民主党である。東大出を鼻にかけている連中が多いわリには無能で、彼らを皮肉れば、それこそ拍手喝采となり、お祭り騒ぎになって盛り上がるからだ。ジャーナリストの常として、時の権力者を批判して始めて、ネットはネットたりうるのである。

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真正保守の大義は自主憲法の制定

2010年04月05日 | 政局

 平沼赳夫元経済産業相と与謝野馨元財務相を中心した新党結成を断固支持したい。政策的に自主憲法制定を掲げたことで、この国の根本を明確に示すこととなり、祖国再建の道筋がはっきりするからだ。自民党は党是としておきながら、百年河清を待つかのように、これまで一歩を踏み出すことができなかった。それが経済中心の国家運営となり、諸外国から侮られることになったのである。新しい憲法によって、戦後体制から一日も早く脱却すべきだろう。日米関係においても、片務的な日米安保条約でなく、日本もまた応分の責任を果たすようにすべきだ。そうでなければ、米国が本当に日本を守ってくれるかどうか不安があるからだ。しかも、基地を日本が提供するだけでよいというのは、裏を返せば、安全保障は米国に依存するということだ。それで独立国家と呼べるだろうか。そして、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という言葉について、福田恆存が「途方も無い事実認識の過ちを犯している」(『日本を思ふ』)と述べているように、外国人が全て善人であるかのような書き方は、底抜けの楽天主義そのものだ。それでいて、自国民を信頼しないというのは、そもそも日本国憲法が、外国人の手でつくられ、押し付けられたものであるからだ。日本国憲法が公布された昭和21年11月三日の時点では、東アジアで、中国も北朝鮮も核武装していなかったし、拉致問題なども起きてはいなかったのである。さらに、憲法を新たに制定することで、日本の歴史や文化にもとづく国家観も打ち出すべきだろう。世界に対する貢献も大きなキーワードになるはずだ。第一弾ロケットはあくまでも起爆剤だろうが、それが二段、三段ロケットと続くことで、保守勢力の大同団結となり、危機に備えた救国政権が誕生するに違いない。その志をまずもって了としたい。

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反対派との共存望まぬ民主党独裁政治

2010年04月05日 | 思想家

 民主党がこの国の舵取りをするようになってから、羅針盤がないことや、小沢一郎幹事長による独裁であることが、誰の目にも明らかになった。そこで問題になってくるのは、民主党の議員たちの多くが、理念なきバラマキを政治だと勘違いしていることだ。だからこそ、自分たちが行っていることに、何の疑問も抱かないのだろう。官僚批判にしても、バラマキをを邪魔するから、排除にかかっているだけだ。とんでもない間違いである。政治家も官僚も、ノブレスオブリュージュ(高貴なる者の義務)を自らに課すべきであるのに、一般人と同じような凡庸さが通用すると思っているのだろうか。オルテガが「すぐれた人間は、自分の生を何か超越的なものに奉仕させないと生きた心地がしないのだ。したがって彼は、奉仕しなければならないことを圧迫だとは考えない。たまたま奉仕する対象が欠けると不安を感じ、自分を押さえつける、より困難で、より求めることの多い新しい規範を発明する。これが規律からなる生、つまり高貴なる生である」(『大衆の反逆』・桑名一博訳)と書いているように、精神的な貴族でなければならないのである。そして、精神的な貴族というのは、反対派の存在を認め、お互いの正当性を論じ合う対話を重視するのである。しかし、今の民主党政治は、国の根本を否定する法案も、数の力で無理に押し通そうとしている。議論などする気は、さらさらないのである。少し批判されると、飛びかかりかねない剣幕である。寛容さを第一と考える自由主義デモクラシーが、崖っぷちに立たされているのだ。それを阻止するためにも、今こそ保守派が結集して、バラマキと独裁に待ったをかけるべきだろう。

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色あせた左翼の民主党擁護論

2010年04月04日 | 思想家

 神保町の古本屋街で久しぶりに「現代思想」を手にとってビックリした。民主党による政権交代を必死に持ち上げようとしていたからだ。民主議員のインタビューまであったのには、またまた腰を抜かした。左翼が凋落して、そこまで落ちぶれたかと思うと、同情すらしてしまった。アカデミズムの権威を鼻にかけて、わけのわからぬ文章を書いて、自己満足に浸っているのはいいが、それで政治を論じようというのは、それこそおこがまし過ぎる。執筆者の名前は忘れてしまったが、鳩山首相を論じるのに、カール・シュッミットをやたら引用している論文が掲載されていた。鳩山首相が官僚制を批判しているのが、政治的ロマン主義と同じだとか、優柔不断なのも、それを物語っているとか、専門化特有の論理を弄んでいるだけで、観念論そのものであった。具体的にバラマキをどう考えのか、普天間基地の移設をどうすればいいかということなどは、まったく視野に入っていない。偉い外国の学者の文章を引用して、さもしたり顔に講釈をたれているだけなのである。田中美知太郎が「一般の庶民の床屋政談を馬鹿にできない」とどこかで書いていたと思う。そのレベルにまで達していないのである。反米ナショナリズムも見え隠れするから、鳩山政権はポナパルティズムそのものではないか。なぜそれを問題視しないのだろう。各階級の差異を「友愛」という理想論でチャラにしようとしているし、自らが典型的なブルジョアであるのを隠して、貧しい者や、少数派の代弁者のような顔をしているからだ。鳩山首相の出自からしても、反権力とか、反体制とかに、そもそも与するはずがないのである。にもかかわらず、幻想を抱くというのは、理解に苦しむ。資本主義のもっとも恩恵を受けてきた人間を、どうして持ち上げたいのだろう。さらに、小沢一郎民主党幹事長にいたっては、まさしくミニスターリンではないか。どうしてそれを弁護するのだろう。ソ連が崩壊して拠り所を失った左翼が、唯一期待したのが民主党というのでは情けない。一体この国には、まともな左翼が存在しなくなってしまったのだろうか。

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民族間の対立煽る鳩山首相の友愛政治

2010年04月04日 | 思想家

 日本人は大変な過ちを犯そうとしているのではなかろうか。それはアジアとの付き合い方である。梅棹忠夫が指摘したように、「日本はもう一つのヨーロッパだ」(『日本人とは何か』)という言葉をもう一度噛みしめるべきだろう。鳩山政権や民主党は、バスに乗り遅れまいとして、アジアと一緒になろうとしているからだ。比較文明論者の梅棹は、ユーラシア大陸から隔絶された日本が、歴史的に見てヨーロッパに似ているのを問題にした。明治維新以降にヨーロッパ文明を模倣したからではなく、「ヨーロッパとたいへんよく似た性質の文明をつくりあげた」のを重視したのである。そこで取り上げられたのが歴史的、地理的な条件の類似性だ。江戸時代にあっては、藩と呼ばれた数百の小国家群に分割統治され、それぞれに小国王が君臨し、武士という官僚家臣団がいた。それはまったくドイツの領邦国家と同じである。また、徳川幕府の中央政府は、ブルボン王朝に対比できる絶対主義王朝であった。そして、歴史的な平行現象がみられる理由として梅棹は「中緯度広葉樹林帯に属する気候的地理的共通性、あるいは内陸乾燥地帯から出撃してくる遊牧民の破壊的暴力から安全であったなどの、いわば生態学的諸条件による」と考えた。それだけに、ヨーロッパよりもアジアは、地理的には近いにもかかわらず、日本にとって異質な世界なのである。梅棹は「アジアは日本の苦手とする地域であります」と述べている。中国人や韓国人とコミュニケーションをするのが難しいということを、まず前提に出発すべきはなかろうか。鳩山首相のように、友愛政治を主張して、理想ばかり説いていると、かえって民族間の対立を煽ることになるのだ。在日と呼ばれる人たちと日本人が対立してしまうのは、根が深いのを知るべきだろう。異質な文明との接触にあたっては、お互いの違いをまず理解することだろう。それもしないで、地方参政権を与えようとするのは、日本国内に混乱の種を撒くだけである。

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平沼・与謝野新党と自民党で救国戦線結成を!

2010年04月03日 | 政局

 民主党を中心とした鳩山政権が誕生したことで、日本はかつてない危機に見舞われている。国家の根本を否定するような法案を次々と準備しているからだ。しかし、衆議院で民主党が300を上回る議席を得ており、そうした策動を阻止するのは難しい。保守派の一部が街頭に出て戦うのも、危機感があるからだ。与謝野馨元財務相、園田博之元官房副長官が新党結成に踏み切ったことで、野党の選択肢が増えるとすれば、それは歓迎すべきではないだろうか。残念ながら、今の国会では、真に野党と呼べるのは自民党だけである。社民党は民主党の言いなりで、国民新党は小沢一郎民主党幹事長にべったりだ。共産党ももうひとつ迫力に欠ける。公明党にいたっては、鳩山政権に擦り寄っている始末だ。みんなの党は先の選挙では反自民であった。それらの政党に共通しているのは、米国よりも中国に近いことである。だからこそ、鳩山政権の不始末を大目に見るのである。平沼赳夫元経産相や鳩山邦夫元総務相も加わるとみられる新党が、間違っても中国に媚を売ることはないと信じたい。「日本がチベットと同じになる」というのは、被害妄想でも何でもない。現実に日本の国会に議席を有する者の大半は、親中国であるからだ。平沼・与謝野新党は自民党と救国戦線を結成し、実力行使に訴えてでも、この国を守らなくてはならない。与謝野元財務相は鳩山首相を「平成の脱税王」とこきおろした張本人であるわけで、自民党と組んで、鳩山政権と徹底的に戦うべきなのである。

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保守勢力は小異を捨てて大同につけ

2010年04月03日 | 思想家

 与謝野馨元財務相と園田博之元官房副長官が、来週中にも自民党を離れるとみられている。離党するのはいいが、間違っても民主党の補完勢力になるべきではない。鳩山由紀夫首相は、朝令暮改がたたって、国民からそっぽを向かれてしまったわけだから、手を差しのべるだけ無駄である。アンドレ・モーロアが「国民というのものは優柔不断な指導者にはあまり喜んで従がってゆかないものだ」(『人生随想』)と書いていたように、そもそも首相の器ではないのである。小沢一郎民主党幹事長の策略に引っかかるなどということも、断じてあってはならない。ようやく自民党が反転攻勢に向かいつつあるときだけに、その足をひっぱるべきではない。最低でも野党共闘を行って、参議院の地方区では助け合うべきだろう。あくまでも、反民主の票の受け皿を二つにするということが大事であって、限られた保守票をめぐって争うのは、愚の骨頂でしかない。鳩山政権や民主党は、ことあるごとに長年政権を担ってきた自民党を批判することで、論点をすり替えようとしているが、新党結成によって、その矛先だけはかわせるはずだ。ことさら中国や韓国を重視したり、日本の家族制度を破壊しようとする鳩山政権の政策は、日本という国の根本を否定することだ。それを阻止するのが保守勢力の喫緊の課題というのを忘れてもらっては困る。大筋においては、小異を捨てて大同につくべきなのである。

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国民を怒らせてしまった子供手当の外国人支給

2010年04月02日 | 政局

 子供手当の外国人への支給の問題点を、テレビが取り上げたことで、国民の怒りが爆発してしまったようだ。2ちやんねるなどは、民主党批判一色になっている。目の前に民主党議員がいれば、それこそ怒鳴られ、詰め寄られかねない雲行きだ。いくら選挙目当てとはいえ、とんでもない不手際をしたもんだ。そうでなくても、国民は金にピーピーしているのに、外国人を優遇して、日本人を後回しにするのかという怒りの声に、どう民主党は対応するつもりだろう。4月1日から子供手当の申請手続きがスタートしたが、自治体の窓口は外国人への対応で大変な事態になっている。日本に住んでさえいれば、子供が日本にいなくてももらえるわけだから、多くの外国人が飛びつくのはあたりまえだ。さいたま市役所には、「母国の親戚の子供を養子にしたらば、100人、200人でも認められるのか」という問い合わせもあったそうだ。法的には何の問題もないわけだから、それを可能にした鳩山政権や民主党の責任は重大である。さらに、ここにきて、ようやく報道したテレビメディアも同罪だ。ネット上では前々から騒ぎになっていたのに、それを伝えなかったことで、国民は大変な不利益をこうむったからだ。立花隆が指摘したように、民主党の報道管制にまんまと引っかかったのだろうが、そんな弁解は聞いていられない。国民の怒りがどんなものか、民主党とテレビメディアは、これから思い知らされることになるはずだ。

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涙目でうろたえるだけの鳩山首相

2010年04月02日 | 政局

 鳩山由紀夫首相と谷垣禎一自民党総裁の党首討論は、明らかに谷垣総裁の勝ちである。いくら鳩山首相をヨイショしようとしても、それは無理である。動画であの討論を見た感じでは、鳩山首相は完全に涙目だったし、「しょうがないんじゃないですか」という言葉が、耳に残るくらいだから、完全にギブアップ状態だった。それから、ガッカリしたのは、質問にまともに答えていないことだ。あれでは討論の意味がない。話題をそらして逃げているだけである。そして、追い詰められた挙句に、ついつい「腹案がある」と口を滑らせてしまったのだ。視線も定まっておらず、おどおどしていたのが一目瞭然だった。今回の党首討論によって、鳩山首相が追い詰められていることが、誰の目にも明らかになったのではなかろうか。それでも辞められないのは、辞めない理由があるからだろう。総理大臣の特権によって、訴追をかろうじてまぬがれているのが真相なのである。自己保身だけで居直り続けるというのは、政治家として恥ずかしくはないのだろうか。しかも、日本という国家を解体させるような法案を次々と準備しているわけだから、心ある国民から批判されるのはあたりまえだ。それにしても、責め立てられたときの鳩山首相は、顔面蒼白で何かに怯えているようだった。もはや、限界を通り越しているのだろう。

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政治家を名優にするかどうかは国民次第

2010年04月01日 | 思想家

 国をメチャクチャにしているくせに、選挙のこととなると必死なのが民主党である。勝つためには手段を選ばないから、それこそ圧力団体の日本医師会の会長ポストを押さえたと思ったらば、参議院選挙向けのマニフェストとして、ばら撒き政策を色々と考えているようだ。餌だけをぶら下げれば、国民は付いてくると甘く見ているのが許せない。国家の根本を否定する法案を出しておいて、またまた目くらましをするつもりだろう。子供手当にしても、高校の授業料無償化にしても、色々と問題点が指摘されているのに、よくぞ懲りない面々である。最近は自民党の方がよかったという声をよく聞くようになった。そこまで言われては、もう民主党もおしまいだ。そう言えば、小林秀雄は「吉田茂」について書いたエッセイで、「民主主義という大芝居には、政治家という役者と国民という見物人がいる。比喩的な言辞ではない。実際に、政治家は見物のこわいことを知っている名優でなければならず、見物人は金を払ってきた見巧者でなければならない。政治的関心などというとぼけた言葉なぞいりはしない」と述べていた。鳩山首相は名優になるつもりがないから、国民に見放されるのである。国民も関心があるかどうかではなく、自分の生活にふりかかってくることもあり、もっと真剣に考えるべきなのである。鳩山首相を大根役者にした責任は国民にもある。厳しいい目で批判を加えるべきだったのである。役者を育てられるかどうかは、見物する者の力量次第なわけだから。

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