草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本留学中の香港人女子学生がSNS理由に逮捕される

2023年04月21日 | 国際問題
日 本を呑み込もうとしている全体主義国家は、情け容赦なく言論弾圧を強化しています。産経新聞の去る19日の電子版によると、日本の大学に留学していた香港出身の女子学生が、香港の独立を支持するスローガンをSNSに転載したことを理由に、香港国家安全維持法で逮捕されました。「国家分裂」に加担したというのです。
 その女子学生は身分証明書を更新するために一時的に香港にもどったところ拘束されたもので、民主活動家ではないといわれています。一般の学生のSNSまで香港当局はチェックしているのです。
 現在は釈放されていますが、パスポートは剥奪され、来日することは困難になっています。起訴されるかどうかは、5月以降に決定されます。
 香港国家安全維持法が香港人以外にも適用されると明記されています。香港人にとどまらず、日本人であっても、中国当局の意にそわないと犯罪者にされかねないのです。
 ヤスパースの哲学を持ち出すまでもなく「真理はコミュニケーションのなかでだけ成立する」わけですから、他者との自由なコミュニケーションを通して、人間は人間であり続けることができるのです。しかし、全体主義国家はそれを容認しません。中国の属国になるというのは、私たちが人間であることを否定されることを意味します。
 一度奪われた自由を取り戻すことは困難であり、日本が国家として身構えることは、あくまでも防衛的な反応なのです。「昨日の香港、今の台湾、明日の日本」といわれる危機は目前に迫っており、ここで私たちは怯んではならないのです。
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戦後の日本人は国家への忠誠心を失ってしまった

2023年04月20日 | 科学技術
 中国でスパイ容疑で逮捕された日本人が「公安調査庁の関係者に、中国に内通している者がいる」と本に書いたことが、センセーショナルな話題になっている。
 公安調査庁の人間が、外国の諜報機関と接触すること自体は否定されるべきではない。二重スパイということもあり、一概に利敵行為と決めつけることはできない。しかし、どんな人間にも隙があるし、とくに平和ボケで育った日本人を、手玉に取ることなどは、外国勢力からすれば、おちゃのこさいさいである。
 大熊信行は『国家悪』において忠誠対象を正面から論じていた。「戦後日本に精神情況」として「『天皇への忠誠』感情を放下すると同時に、忠誠問題一般を遺失したのである」との見方を示したのだ。いうまでもなく、それは占領政策に起因するものであった。大熊の主張は本質を突いている。
「国民の忠誠義務は、軍務において頂点を示すのがつねであるから、仮にもし日本に多少なりとも軍隊が残されていたとすれば、おそらく新しい軍隊組織の精神的支柱となるべきものが何であるかは、日本の『民主革命』と同時に、早急に解決されなければならない問題であった。ところが、日本の征服者としての占領軍総司令官は、日本人に絶対服従を要求しても、自己への忠誠を求めたわけではなく、また、平和憲法の制定によって『軍隊なき国家』が生れた以上、国民の献身と犠牲を要求する意味での忠誠問題は、表面上、永遠のかなたに遠退いたのである」
 いかなる国家であろうとも、祖国に献身し、ときには犠牲になることを個々人に強いてくるのである。当然のごとく忠誠対象は明確でなくてはならない。
 三島由紀夫の「命よりも大事なものがある」という言葉は、まさしくそれを意味する。三島は「天皇陛下万歳」を叫んだように、国柄としての菊を重視したのである。有事が迫りつつあるなかで、守るべき祖国とは何かを、私たちは今こそ問い返さなくてはならないのである。
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島田雅彦のお粗末な弁解文を嗤う

2023年04月19日 | 思想家
 島田雅彦が夕刊フジに寄せた弁解文は、あまりにもお粗末であった。暴力についてまともに論じることなく、小市民的な言い訳をしたのには、呆れて物も言えない。
 マスコミのくだらない報道に便乗して、いい子ぶったらば、ネット民の逆鱗に触れてビビッてしまったのだろう。自分の立場が危うくなり、それで泣き言を並べ立てているのだ。
 安倍さんを暗殺したテロリストに同情をしただけで、あくまでもそのレベルでしかなく、テロを肯定したつもりはない、との弁解は、物書きとして最低である。
 その程度の認識しかないのなら、わざわざユーチューブで発言しなければよかったのだ。岸田首相を狙った模倣犯が出たことに関しても、くだくだと言い訳をしているが、本心はまったく変わっておらず、よく読めばテロリスト擁護のままである。
 カール・シュミットにいわせれば「友敵」の論理が政治である。そこに一歩足を踏み入れれば、問答無用の世界が待っているのだ。「抹殺するか、抹殺されるか」なのである。その覚悟もないくせに、よくぞ言ったものである。
 日本におけるポストモダンの多くは、小難しいことを書きながら、スターリン主義国家の同調者のような立ち振る舞いをしている。まともなのは東浩紀くらいである。
 今もなお極左も極右も暴力を否定してはいない。そこに足を踏み入れる覚悟もなしに、島田が軽々しい言葉を口にするのは、サロン左翼だからであり、身のほど知らずなのである。
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日本を取り戻せるのは危機の時代だからです

2023年04月19日 | 思想家
 最近は想像を絶するような出来事が相次いでいます。橋川文三は『美の論理と政治の論理—三島由紀夫「文化防衛論」に触れて―』において、三島を論じた文章が思い出されてなりません。
 橋川は「ともあれ私は、最近の三島がそのままかつての『尊皇攘夷』派に似ているように思っているが、いうまでもなくそれは冷笑の意味ではない」と理解を示しながら、「私は、およそある一つの文化が危機にのぞんだとき、その文化が『天皇を賛美せよ!野蛮人を排斥せよ!』と同じ叫びを上げるのは当然のことだと思っている」と書いたのです。
 しかし、橋川は、戦争中は日本浪漫派に心酔したにもかかわらず、戦後に丸山眞男の門下として、近代主義に与したことで、ナショナリズムの爆発をアナクロニズムと決めつけました。
 東アジアの情勢は日々緊迫してきています。国家たりえない日本は、自立の道を封じられながら、有事に突入しようとしています。危機の時代だからこそ、日本国民の多くは、戦後失われてしまった歴史を取り戻し、国家を再建しようとするはずです。
 橋川のように悲観的に考えるのは間違っています。中国の属国にならず、アメリカのグローバリズムに屈しないためには、勇気ある行動が求められています。それは政治的にも文化的にも、日本に回帰することであり、その流れは誰も押しとどめることはできないからです。
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義のために死ぬのが右翼やアナーキストのテロだ

2023年04月18日 | 思想家
 三島由紀夫と林房雄が「現代における右翼と左翼」と題して対談をしています。昭和44年12月号の「流動」に掲載されたものです。そこで2人は、政権という合法的暴力に対して、政権に与しない勢力の暴力について論じたのでした。
 共産党からの転向組であった林は「右翼も頭山満の玄洋社、内田良平の黒竜会から北一輝、大川周明に至るまで暴力肯定です。頭山さんは伊藤博文をおどかしたし、来島恒喜は大隈重信に爆弾を投げるし、昭和の国粋派は、クーデター未遂、政府要人の暗殺をやってのけた」と述べつつ、「右翼も暴力否定などといいだしたら右翼じゃなくなる」と言い切っていました。
 三島も「それがなくなっちゃだめだ」と応じています。そして、三島は「つまり義のために死ぬというのは人間の特徴で、動物にはない。義のために死なないのは、動物と人間の境目がつかないやつ。ロシアの場合テロリストは立派でしょう。ロシアの場合はちゃんとその人間が出ていますよ」とまで語っています。
 つまり、テロというのは、そもそも右翼やアナーキストによるものが大半であり、死ぬことが前提だということです。山口二矢少年も自死しています。断頭台の露と消えることを覚悟しているからです。
 しかし、安倍さんを殺害したとされるテロリストも、岸田首相に爆発物を投げたテロリストも、何をしても許されると勘違いしています。そこに違いを感じてしまいます。民主主義にテロは付きものです。為政者は絶えず命を狙われます。根絶することは困難ですが、リベラルとか左翼とか自称する者たちのテロ肯定の意見は、あまりにも安易過ぎるのではないかと思います。
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本棚からも安倍さんは生粋の長州人

2023年04月17日 | 読書
 安倍元首相は自らが長州人であることを意識し、吉田松陰を尊敬し、乃木希典に心酔していた節があります。
 山口県の大丸下関店で、下関ゆかりの文化人や財界人の書籍を集めた「わたしの本棚」として、安倍さんのコーナーが設けられ、5月7日まで展示されていますが、その写真がネット上にアップされています。
 僕の2歳下なので、同じような傾向がありますが、吉田松陰の語録を枕頭の書にしていたことが分かります。古川薫は直木賞作家であると同時に、下関在住の郷土作家として知られています。『斜陽に立つ』では、長州人の乃木希典と児玉源太郎について取り上げています。
 また、僕などとも共通しているのは、松本健一と三島由紀夫の本があることです。「現代の眼」に連載されてから、昭和48年に発行された、松本の『若き北一輝 恋と詩歌と革命と』を読んだというのを、安倍さんが直に、書き手の松本本人に語ったのでした。
 また、政治学者としては、高坂正堯の弟子である中西輝政の本が2冊あります。自由主義者であった河合栄次郎の伝記、エドモンド・バークの『フランス革命の省察』があるのも、それなりに頷けます。
 興味深かったのは、宏池会に関する書籍があったことです。沢木耕太郎の『危機の宰相』と田中六助の『保守本流の直言』です。宏池会の発足時のリーダーは池田勇人でした。沢木は愛国者としての池田の一面を指摘しており、親中派と化した今とは違っていました。
 本棚をみれば、その人が何を考えているかが一目瞭然といわれますが、安倍さんらしいと思いました。生粋の長州人であり、政治的には、リアリストに徹したのが安倍さんだったのだと思います。僕は会津人ですが、白虎隊士から東京帝国大学総長になった山川健次郎がそうであったように、吉田松陰の精神を是とする立場です。
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責任も覚悟もないテロリストは厳しく処罰すべきだ

2023年04月16日 | 科学技術
 一国の首相が白昼堂々とテロリストに襲撃される。もはや我が国は有事なのである。民主主義の根幹である選挙の場において、国民に握手をすることすら危険になってしまっている。岸田首相のすぐ近くに爆発物が投げ込まれたのである。すぐに爆発し、殺傷能力が高ければ、大惨事になったことはほぼ確実である。
 マスコミが安倍元首相を殺害したテロリストを英雄視した結果、予想された通りに模倣犯が出たのである。マスコミによるアベガ―はあまりにも異常であった。
 テロリストの名前は公表すべきではなく、動機などを詮索する必要もないのである。しかし、解せないのは、とんでもないことをしでかしながら、何の後ろめたさを感じないという神経である。
 三島由紀夫は『奔馬』において、財界の大物藏原武介を刺殺した飯沼勲を自刃せしめた。三島自身も自衛隊に決起を訴えてから、自ら刃に伏したのである。
 橋川文三も、右翼と呼ばれる人たちについて「概して常人よりも熱烈な死の願望をひそめているという感じのタイプが多い」(『増補日本浪漫派批判序説』)と書いている。
 しかし、昨今のテロリストはそうではないようだ。刑場の露となることを望んではいないし、あろうことか、出所後のことまで考えているのだ。
 本来であるならば、テロリストにも値しないのかもしれないが、覚悟もなしに他者を殺めようとする輩は、なおさら厳しく処罰すべきなのである。
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今度は岸田首相を狙ったテロが発生

2023年04月15日 | 治安
 マスコミが安倍さんへのテロを正当化するような報道をするから、今日もまたとんでもないことが起きたのではないか。いかなる理由があろうとも、テロを容認してはならないのである。
 幸いなことに無事であったが、岸田首相が選挙の応援に出かけたのを狙うというのは、あまりにも悪質で、まさしく民主主義への挑戦である。一部には発煙筒という見方もあるが、あれだけの爆発音がするものだろうか。
 それにしても日本は物騒になってきたものだ。宮古島での陸自ヘリの墜落、日本を狙った北朝鮮のミサイル、そして岸田首相を標的にしたテロである。関連性はないだろうが、今の日本は徐々に有事に向かっているのではないか。我が国は国家として、危機に対処するために、内外とも身構えなければならないのである。
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小林秀雄は当たり前の常識を説いていた

2023年04月15日 | 思想家
 喧騒としている世に惑わされないためにも、僕は常識を重んじたいと思っています。突拍子もないことを書くとか、あっと驚くようなことを口にしないと、世の中から相手にされないような風潮には、僕は付いていけません。
 国民文化研究会が主催した、昭和39年夏の鹿児島県桜島合宿で、小林秀雄が学生たちと交わした、質疑応答のテープや文章が残されており、そこで小林は常識の大切さを説いています。
 学生が「なぜことさら常識を取り上げられるのですか」と質問したのに対して、小林は「俺は何を信じて書いているかというと、つまりは、それは常識という言葉になるという考えが私にはあるからです」と本心を吐露しています。
 さらに、小林はソクラテスの「無知の知」や孔子の「あらざるを知らずとせよ。これ知るなり」という言葉を例に挙げ、「偉い人の言葉はみな同じようなことになるのが不思議です。そしてみな大変やさしいことをいっています。本当にいい音楽とか、本当にいい絵とかには、何かやさしい当たり前のものがあるのです。真理というものも、本当は大変やさしく単純なものではないでしょうか」と語ったのです。
 ことさら難しく考えるのが立派なのではないのです。「大変やさしく単純なものが真理」という小林の考え方に共感を覚えるのは、僕だけではないと思います。
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自由諸国家に突き付けられた極限の選択

2023年04月14日 | 思想家
 日本がどこに向かおうとしているのか、今の政治の体たらくをみていると、心もとなくなってしまいます。我が国が危機であることを、まったく理解できない国民も多いようです。
 北朝鮮の弾道ミサイルは、もはや実験段階ではなく、実戦配備されているのです。中国が日本に発射できる中距離ミサイルは2000発ともいわれています。
 ヤスパースは1956年の時点で「自由諸国家が、原爆の使用なしには全体主義国家の世界支配に反抗することができない場合、これに屈して自由の抑圧を甘受するか、それとも、これに反抗して自由を守るために、原爆を使って人類絶滅の危機をおかすか」(『原爆と人類の将来』)と二者択一を迫りました。そうした極限の状況に私たちは直面しているのです。  
 このままでは日本も、ウイグルやチベットの人たちのような目に遭うことはほぼ確実です。暴力の海で難破し沈没しないためには、それなりの覚悟が求められるのです。「奴隷となるか、それとも死を選ぶか」なのです。
 今の我が国の現状は、中国の属国化を歓迎するような人たちが、政界や産業界、さらには学会やマスコミをも支配しています。これに抗するためには、防衛力を強化するとともに、自由の大切さを再確認しなくてはなりません。
 さらに、ヤスパース研究の日本における第一人者であった、武藤光朗が主張していたように、私たちは「内なる祖国」を再建し、荒れ狂う大河の氾濫を阻止するための防波堤を築き、その流れをコントロールしなくてはなりません。
 暴力に対して、暴力で対抗する選択しかないのは、不幸であり、あまりにも悲劇的ですが、そのなかで活路を見い出すしかないのですから。
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