丸山眞男が日本の思想界を揶揄して、タコツボ型と書いていた。マルクス主義とか、実存主義、分析哲学とか色々あるが、どの考え方も同じ者同士の仲間意識が強く、それ以外のグレープとは、コミュニケーションが成立しないというのだ。
最近の立民は、お騒がせ左翼の溜まり場と化してしまい、それ以外の政治家の出番はなくなりつつある。分けの分からない文書で、放送法の解釈を変更し、マスコミに圧力をかけようとしたとして、高市大臣の首を取ると言っていた小西議員。あろうことか、自分の意にそわないマスコミを訴えると恫喝した。
これで小西議員議員は、参議院憲法審査会の野党筆頭幹事を更迭されたが、その後釜が杉尾議員というのには、ネット民もビックリ。高市大臣に対して「あなたの言うことは信用できない」と挑発した張本人である。
そこでしか通用しない言説を捨て切れないのであれば、立民の泥舟は沈没して海の藻屑となるしかないのである。
旅先でいま毎日新聞を読んで、やっぱりと思った。国会の論戦で安全保障問題がメインにならなかったことを批判していたからだ。まともなことを書いていると思ったら、やっぱりピントがずれていた。
岸田首相や政府を批判していたからだ。小西文章で時間をつぶした責任は、野党第一党の立民にあるからだ。平和安全法制のときには、あれほど騒いだのに、あのときと比べると隔世の感がある。
台湾有事は日本有事ともいわれる。尖閣諸島や先島諸島をめぐる危機にどう備えるか、自衛隊の配備で対応できるのか、米軍との合同作戦は万全であるか、公表できることは、国民に知らせるべきであった。
しかし、立民は、ことさら危機感を煽ることを恐れたのではないだらうか。小西議員のホームランに期待したのは、そうした事情があったからだろう。毎日新聞は、山口二郎法大教授のように、立民に苦言を呈するべきであった。トリックスターである小西議員に振り回されるようでは、なおさらじり貧なるだけなのである。