つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

(想い出)柳沼元太郎さんについて

2022年04月28日 | 友人
 花に囲まれた柳沼元太郎さんの遺影

 躰道の親しい友人がまた先に逝ってしまいました。柳沼元太郎さんは東海大学で躰道部に入部して活動していました。馬越晃さんが創部した躰道部の草創期にリーダー的な立場でクラブを発展させた功労者でありました。私が東海大学躰道部の監督をしていた時に、柳沼元太郎さんはコーチとして指導を補佐してくれました。

 大学卒業後は自宅のある豊島区内の小学校体育館を利用して二人で躰道団体をスタートさせて小学生をはじめ多くの会員に指導をしてきました。柳沼元太郎さんは5段教士で、躰道着を着用して体を動かして汗をかくことがとても好きな人でした。
 全国学生躰道優勝大会では東海大学を4回総合優勝(15回、17回、18回、19回)の栄光に導き黄金時代を築いてきた指導者でありました。

その柳沼元太郎さんが病気療養中に逝去されてしまった。葬儀告別式に参列しました。東海大学の関係者や躰道の指導者が多く集まり、最期の別れを惜しみました。葬儀場には生前の写真が多く飾ってありました。どの写真も笑顔の素晴らしい元太郎さんの写真でありました。
 奥様の昭恵さんが一枚の写真を指差して「この写真は亡くなる前日に写した記念の写真です」と話してくれました。それは病院のベッドのところでお二人が笑顔で抱き合っている写真でありました。

 落合斎場には、東海大OBで柳沼元太郎夫妻に結婚式の仲人をしてもらった香取良平さんと共に同行して、元太郎さんのお骨を拾ってきました。初七日法要では、献杯の時に元太郎さんとの思い出を語りました。
 娘の理恵子さんから写真を見せて頂きました。それは今年の夏のお盆休みの時に千葉の海に家族旅行をした時に可愛い3人のお孫さんと一緒に撮った写真でした。お孫さんに囲まれて笑顔いっぱいの元太郎さんの元気な姿がありました。

 柳沼元太郎さんは、いつも明るく大きな声で話す人でとても華のある男性でありました。人の話もよく聞くことの出来る人でした。天国に行っても、躰道の祝嶺正献最高師範や仲の良かった同い年の湯浅俊一氏、東海大学の後輩の天野修一さんなどと話が弾んでいることでしょう。合掌((2010.10.23)


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