つれづれなるままに

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勝鬨橋の中央部

2024年08月23日 | 名所
 勝鬨橋の中央部

 かつて東京は「水の都」と呼ばれましたが、東京にはいったいいくつ橋があるか知ってますか? 東京都建設局が管理する道路橋は、なんと約1200もあるそうです。
 そのなかでもっとも人気なのを独断で決めれば、どう考えても隅田川にかかる「勝鬨橋(かちどきばし)」です。

 勝閧橋は、東京都中央区の築地と月島を結ぶ全長246mの可動橋で、船を航行させるため、橋の中央が「ハの字」に開きました。国内に現存する最古の「跳ね上げ橋」ですが、残念ながら、交通量が増大するにつれ開閉は減り、1970年11月29日午前7時すぎに橋が閉じて以降、2度と開いていないのです。

 勝鬨橋は、昭和15年(1940)に開催予定だった万国博覧会にあわせ造られました。博覧会は「紀元2600年」を記念し、東京オリンピックと並んで世界に日本の実力をアピールするために計画されました。
 現在の中央区晴海から江東区豊洲あたりを会場にする予定で、そのメインゲートとして作られたのが勝鬨橋でした。
 総工費418万円(当時)をかけ、1940年6月14日に開通。当時、その美しさと壮大さから「東洋一の跳開橋」と呼ばれました。

 勝鬨橋データ
 ●長さ246m、幅22m、可動部25.8m×2、固定部86m×2
 ●着工1933年6月10日、完成1940年6月14日(工事に7年間)
 ●1日5回開閉。昭和22年から1日3回、昭和36年から1日1回。最盛期(1950年)の開閉回数は年829回。
 ●安全装置として3系統のブレーキ
 ●設計:安宅(やすみ)勝(東京市技師)
 ●施工:東京市、錢高組、石川島播磨重工業、川崎重工業、横河ブリッジなど。外国の支援を断り、完全に国内企業だけで建造しました。



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