西郷隆盛と勝海舟会見の地(三田)
1868(明治1)年3月14日、旧政府を代表する勝海舟は江戸の薩摩藩邸に新政府を代表する西郷隆盛を訪れて、国内では一揆や打ちこわしが起こっており、戦争は国を混乱させ、内戦の拡大が国家の独立を危うくする事を説き、 無血で江戸城を明渡す事で両者の話し合は合意に達した。こうして新政府軍と旧幕府軍との全面的 な武力衝突は回避され江戸の町は戦火を 免れた。
勝海舟は、篤姫からの親書を携えて皇居から三田の西郷隆盛の在所である薩摩藩邸に出向いた。西郷は、3月15日を江戸城攻撃の日と定めて準備をしていた。勝が訪れたのは、前日の14日であった。この二人の会見がなければ、日本の歴史も大きく変わったものになっていた。
勝海舟が、江戸城を出発して三田の薩摩藩邸までどのくらいの時間がかかったのか、自分の足で確かめてみた。皇居から内堀通りを進む。皇居の周りをジョッギングする人たちがたくさんいる。皆、皇居の周りを左回りに回っているので一方通行となっている。反対方向に走る人はいない。
祝田橋で皇居外苑と別れ、愛宕通りを進む。右側には、法務省、弁護士会館、厚生労働省、人事院と官庁が並んでいる。左側は日比谷公園。愛宕神社は愛宕山の上にある。通りから石の鳥居をくぐると85段の急な石段となっている。講談などで大馴染みの間垣平九郎が馬で駆け登った石段である。曲垣平九郎が将軍徳川家光から日本一の馬術の名人と讃えられたのは、馬で愛宕神社の男坂を駆け上がったからだった。二つある坂のうち男坂のほうが、間垣平九郎が馬で駆け上がったと伝えられる有名な坂で、出世の石段とも呼ばれている。
芝増上寺から日比谷通りを進む。日本電気本社は、大きなビルである。この下は都営三田線の三田駅である。第一京浜と交わったところが、薩摩藩邸のあった場所。江戸開城 西郷南州・勝海舟会見之地の丸い碑がある。ここは明治時代は芝浜の海に接していたところ。落語の人情噺「芝浜」の舞台となったところでもある。皇居から三田まで1時間30分だった。歩数にすると9000歩ほどであった。江戸城無血開城となった歴史のひとときを感じてみた。