つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

(思い出)イリュージョン

2022年04月11日 | TAMC
(思い出)白鳥勝彦さんのイリュージョン

 新百合ヶ丘駅近くの麻生文化センター大ホールにて、麻生マジック同好会の奇術発表会が行われていて、TAMCメンバーの白鳥勝彦さんがゲスト出演していたので観賞に出かけました。白鳥勝彦さんはイリュージョンを得意としています。

 箱の中に女性を入れて蓋をする。外の大きな針で箱を突き刺す。箱を開けるとそこには女性がいない。箱に大きな布をかぶせると箱に入った女性が出現している。なんとダイナミックなマジックなのか。場内割れんばかりの拍手が送られていました。

 特別ゲストは日本奇術協会最高顧問の松旭斎すみえさんでした。マジックの音楽としておなじみの「オリーブの首飾り」のミュージックを定着させた仕掛け人でもあります。花を次から次へと出現させていくマジックは、女性マジシャンの出し物としては華やかさがあっていいものだ。(2008.7.28)




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世田谷線

2022年04月10日 | 池さんぽ
 世田谷線

 松陰神社駅から世田谷線沿いに下高井戸まで歩いて散歩をしました。世田谷線は東急電鉄唯一の軌道線です。以前は 旧玉川線(通称:玉電)の一部でしたが、1965年5月、同線の渋谷~二子玉川園間が廃止された際、三軒茶屋~下高井戸間が独立して残り、名称も「世田谷線」となりました。その名のとおり、世田谷区民の身近な足として親しまれています。

 世田谷線はとても絵になる電車です。映画やテレビドラマの撮影にはよく利用されています。宮ノ下駅には旧玉電の車両が展示されていました。世田谷の歴史が車両に染み込んでいるようです。


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勝木弘幸さんと落合雅治さん

2022年04月08日 | 友人
 大学の同期で躰道部創立のメンバーである勝木弘幸さん(1期生)とシンガポールでビジネス活動を成功させた落合雅治さん(4期生)と3人で第一ホテル東京でお会いしました。
 今回、落合さんがぜひ勝木弘幸さんを紹介してほしいとの依頼があったからです。その内容は、落合さんが国内外で活躍しているTIU東京国際大学同窓生の紹介をしている「TIU Sparks-グローバルに活躍するTIU Alumni」の取材が目的です。以前に勝木弘幸さんが出版された自叙伝「激浪の人生」を知ったことによるものです。
 二人は名刺交換をした時から意気投合して話は順調に進みました。偶然にも二人には共通点がいろいろとあり盛り上がっていました。TIU Sparksには既に50名ほどの霞会員(TIU同窓生)の掲載があり、貴重な資料となっております。
 勝木弘幸さんからは米国アトランタで活躍をしている内田光信さん(4期)の活動内容についての詳細な紹介もありました。

 取材の後、3人で食事をしながら懇談のひとときを持ちました。銀座にある大相撲の白鵬の経営するちゃんこ料理店「鵬(HO)」に行きました。岩崎悟店主の創る美味しい料理を堪能しながら、話の内容も盛り上がっていき、落合雅治さんはとても満足しておりました。

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勝鬨橋について

2022年04月07日 | 名所
「勝鬨橋模型」(かちどき橋の資料館)

 隅田川が東京港へ出る最後から二番目の橋が「勝鬨橋」です。日露戦争に勝利した日本は勝どきを挙げたことがこの橋の命名の由来です。築地と月島を結ぶ橋として建設されました。勝鬨橋は橋長246m、有効幅員22mで、形式はシカゴ型固定軸双葉跳開橋であり、センタースパンに跳開橋、サイドスパンに鋼ソリッドリプタイドアーチが用いられています。

 東京市を事業主体とする東京港修築工事の一環として昭和15年(1940年)に建設された勝鬨橋は、我が国初の双葉の跳開橋であり、現存する大型双葉式跳開橋としても唯一です。可動方式においては、片方の可動葉が、もう片方の可動葉と無関係に開閉するシステムになっており、当時世界でも最先端の技術として特許を取得しています。

 建設当初は跳開橋を70秒で開くことができ、1日に5回、最盛期には1日に7回、20分ずつ開いていましたが、現在では橋上の交通量の増加などが伴い、昭和45年(1970年)を最後に開かずの橋となっています。

 勝鬨橋は海運と陸運の両立を図った特殊な構造形式を備え、現在もその状態が残っている数少ない可動橋の一つです。また、我が国最大の可動支間を有する大規模なかつ、技術的完成度の高い構造物であり、我が国の技術史上重要なものとなっています。建造物の重要文化財に指定されております。

 小学生の時の遠足で勝鬨橋の開閉の場面を見学したことを思い出しました。


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マネーゲーム

2022年04月06日 | マジック

 マジック教室「マネーゲーム」

 マジック教室では「マネーゲーム」の研修をたっぷりとしました。
 「マネーゲーム」は、1から6までの数字の前に、客は、マジシャンの準備した1万円札、5千円札、千円札、5百円玉、百円玉、十円玉をそれぞれ好きな場所へ置いていきます。好きな場所だからどのように配置されたのかわかりません。その後、マジシャンが指示する通りにお客はお金を移動していきます。

 例えば、4番のお金と2番のお金の場所を置き換えてください。10円玉と1万円札を置き換えてください。6番のお金を私に返してください。などと展開をしていき、最後に残った一つのお金を客が貰えるというスリルのあるマジックです。

 客は目の前に1万円札や5千円札があるのでそれが手に入るかと期待感を持たせます。最後に客が手にしたのは?・・・。ゲームの前に百円を出してもらい、「最高1万円が当たる賭けを行いましょう!」と言えば、臨場感が増します。研修している参加者は、とても不思議な現象であると面白がっておりました。マジックは演者と客とのコミュニケーションを図る対話が入ると一体感が増してその場が盛り上がります。




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思い出の写真「山田洋次監督」

2022年04月05日 | 芸能

 松尾芸能大賞の山田洋次監督

 松尾芸能賞は、松尾芸能振興財団(日本の伝統ある劇場芸能の助成と振興、文化・芸能の保存と向上に寄与することを目的として、1979年(昭和54年)に松尾國三が私財を投じて設立)が創設した日本の芸能賞。毎年その年に活躍した舞台芸能の関係者を顕彰して「優秀賞」「特別賞」「新人賞」が贈呈され、また年によっては「大賞」「功労賞」「研究助成」などが贈呈される。
 第20回(1999年=平成11年)には、新国劇の島田正吾氏が特別顕彰、第23回(2002年=平成14年)には、五代目中村勘九郎氏が大賞を受賞しております。
 第24回(2003年=平成15年)の松尾芸能賞授賞式は東京全日空ホテルで開催されました。大賞は、映画「男はつらいよ、寅さんシリーズ」作品などで活躍している山田洋次監督でした。尚、研究助成は、新国劇の精神を継承する劇団若獅子が受賞しました。
 授賞式後、山田洋次監督と南條瑞江さん(劇団若獅子)と一緒に撮影をした思い出の写真です。(2003.3.28)

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劇団ムジカフォンテ公演

2022年04月04日 | 芸術
 劇団ムジカフォンテ(知久晴美代表)の豊島区ミュージカル第7弾「としまの光に向って~未来への約束」を観劇しました。会場はとしま区民センター多目的ホールです。
 劇団ムジカフォンテは、豊島区の文化歴史をテーマに豊島区制施行80周年より連続ミュージカル公演を披露してきました。「80歳のいけふくろう」「ソメイの愛」「蝶がくれたすすきみみずく」「谷端川の物語」「ぼくらの町にふじの山」「トキワ荘のユメ・未来へ」の6作品です。今作品はそれらの6作品のダイジェスト版として演出されています。4人の児童たちが主演で、池袋西口のえんちゃん(いけふくろう)、駒込染井の里、鬼子母神、谷端川、氷川神社の富士塚、トキワ荘などの豊島区の名所や文化歴史を巡っていくストーリーです。舞台後方に映し出された映像が臨場感を増しておりました。最後は東京なな丸隊がよさこい踊りで盛り上げていました。このように素晴らしいミュージカルが一公演のみというのは惜しいことであるとの声がありました。
 次回の豊島区ミュージカル第8弾は、豊島区制施行90周年記念公演となり、池袋駅東西を結んでいる「雑司が谷隧道」(通称:ウイロード)がテーマであると案内がありました。ウイロードの天井と壁面を制作した美術家の植田志保さんと高野之夫豊島区長が紹介されてコメントをしておりました。
 劇団ムジカフォンテの益々の発展を願いながら会場を後にしました。
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板橋区議会議員の山田貴之さん

2022年04月03日 | 友人
板橋区議会議員に初当選したときの山田貴之さん(34歳)

 私の友人で山田貴之さんがいます。元気印そのもので板橋区に住んでいます。地元で生まれ幼稚園から中学校までは家の近くの学校で育ってきました。小石川高校、日本大学芸術学部で学ぶ。在学中は英国ケンブリッジ大学、米国イリノイ州立大学の留学では、異文化を肌で感じ、日本や日本人について考える機会となりました。日本大学大学院在学中にはワシントン州立大学の留学では、9.11テロ直後のアメリカで政治に強い関心を持つようになりました。
板橋CITYマラソンにも出場して2度完走している。テニスも愛好するスポーツマンでもあります。

 子供たちの未来のために住民を大切にする住民参加型の地方自治で板橋から日本を元気にしようと新しい政治を目指しています。
(1)子供たちの「夢」をサポートできる教育環境の実現に取り組む子育て支援
(2)美術館学芸員という経験を生かして力を注いでいるのが文化振興
(3)高齢者、障害をもっている人たちが親しむ文化及びスポーツ事業の充実をはかる生きがいづくり。等を目標に掲げて献身的に活動をしています。

 自分の夢を実現するために、板橋区議会議員選挙に立候補をしました。その結果、多くの方から支持を得て、得票数3,813票で第11位の好成績で当選を果たしました。スタッフには選挙のプロは一人もいなく、近隣のボランティアとして参加した普通の人たちが献身的に協力してくれました。毎朝、毎夕駅頭で通勤客に顔と名前を覚えてもらうように継続して訴えてきました。予想を超える多くの投票結果で関係者は喜びにあふれていました。当選報告会が事務所で開催され、若い人たち、女性達が多く参集して山田貴之さんの当選を共に祝っておりました。選挙に勝つことと政治活動は別。区民のためになる政治活動をしてもらいたいとエールを送っていました。山田貴之さんは、政界に目標を設定したときの「初心を忘れず」に謙虚に進んでいきたいと力強く宣言をしていました。

 選挙演説の指南者である森陽一郎先生から選挙に対する心構えの手ほどきも受けて、演説も上達をして多くの人をひき付ける感動を与えるスピーチをするようになりました。若い人や女性達の支援者も多く今後の板橋区での政治活躍が大いに期待されています。(2011.4.26)

 現在、山田貴之さんは板橋区議会議員として3期目を迎えて活動をしております。区民の為になる実績も多く残しております。益々のご活躍を祈念申し上げます。


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自由学園「明日(みょうにち)館」

2022年04月01日 | 名所
 重要文化財「自由学園明日館」

 豊島区西池袋にある重要文化財「自由学園明日(みょうにち)館」に行きました。自由学園は、羽仁吉一・もと子夫妻により大正10年(1921年)に女学校として創立されました。校舎はアメリカの建築の巨匠フランク・ロイド・ライト(旧帝国ホテル設計者)の設計になる建物です。

 幾何学的な建具の装飾は、「プレーリーハウス(草原様式)」と呼ばれるライト作品の意匠を象徴しています。他の日本建築には見られないライトの作風を示す典型的な建築です。明日館は使いながら文化財価値を保存する「動態保存」のモデルとして運営されています。

 メインの「ホール」は、礼拝をした部屋で幾何学模様の窓があります。「食堂」は外光を巧みに取り組み、内部空間はライト建築の特徴をよく表しています。

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