ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.7.15 新聞のコラムから

2010-07-15 06:46:17 | 日記
 昨日の朝、ホテルのレストランで朝食時に新聞を読んでいたら、こんなコラムが出ていて、いきなり涙腺を攻撃されてしまった。

  “残り時間”の過ごし方を綴って忘れがたい文章がある。〈「いのち」の終りに三日下さい/母とひなかざり/貴方と観覧車に/子供達に茶碗蒸しを〉(高知県・下元政代)。日本一短い手紙『一筆啓上賞』の秀作集にある◆残り時間が無情にも区切られるのは「いのち」だけではない。「ひかり」のときもある。いつ失明しても不思議でない――医師からそう宣告されたとき、人は何をするのだろう。その人は土俵に立つことを選んでいる◆この名古屋場所に力士としてデビューした大相撲の序ノ口西29枚目、「徳島」(15)(本名・田中司さん、香川県出身、式秀部屋)の記事を読んだ◆まだ有効な治療法のない目の難病、レーベル病によって徐々に失われた視力は現在、左目0・01、右目0・3、「目が見える限り、土俵に立ちたい」という。歴史学者、津田左右吉の歌を思い出す。〈明日いかにならむは知らず今日の身の今日するわざにわがいのちあり〉。その人には今日の突き一つ、押し一つが“わがいのち”に違いない◆今場所は中止でもいい、と考えたことがある。開催されてよかったと、いまは思う。                            〔読売新聞 編集手帳(7月14日)〕

 私は残された最後の時間が、あと3日、と言われたら誰と何をするのだろう、と考えた。
 もちろん最後の時間、というのはなんとか元気で普通に動ける最後の時間、ということであって生きていても殆ど寝たきりで意識がないような状態ではない。

 先月まで放映されていた「MOTHER」というテレビドラマでも、余命いくばくもない主人公の実母が、娘(主人公)と彼女が理由あって誘拐してきた子供と一緒に観覧車に乗り、この「1日」の思い出だけがあれば、それを持って幸せに逝ける、というシーンがあった。

 観覧車、みんな好きだなあ・・・と思う。
 我が家で観覧車といえば、近くは多摩テックやよみうりランドの観覧車、何度も良く乗ったのは横浜みなとみらい地区のコスモクロック。遠方ではイギリスのロンドン・アイか、国内では沖縄のアメリカン・ヴィレッジか、北海道の円山動物園か。
 息子が小さかった時は、メリーゴーランドとか観覧車というのが安全で家族一緒に楽しめたものだった。今や親でもパスする絶叫ものに一人で駆けていくけれど。ただ、夫はどうも高所恐怖症の気があるので、シースルーのものは絶対乗らないし、観覧車はいまいち、のようだ。
 だから、貴方と観覧車に、というのは我が家では多分ないかな・・・、とも思う。

 母とひなかざり、母と一緒に雛人形を飾った記憶は殆ど風化している。確かに赤ん坊のころから毎年7段飾りを飾ってもらっていた写真があって、いつも背比べをしてだんだん雛飾りが小さくなって(いや、私が大きくなって)とうとう抜かしてしまう、ところまであったかどうか、記憶が定かではない。

 子供たちに茶碗蒸しを・・・子どもは後にも先にも息子1人だけだが、そういえば買ってきた茶碗蒸しをチンしたことはあっても、一から茶碗蒸しを作ってあげたことがないなあ、と反省。息子が私の料理で好きなものって、なんだろう。時間だけが勝負の少ないレパートリーの中から一度こっそり聞いておこう、と思う。いや、「そりゃあ、ネットで注文するあの冷凍餃子だよ!」と言われる確率が高そうなので、やはり辞めておこう。

 あと3日・・・いのちの終わりがそんなふうに区切れたらいいけれど、「いのち」も「ひかり」も限りがあるといわれていきなり大切にするのでなく、とにかく毎日を大切に、今やりたいことをそして今出来ることを素直にやっておきたい、と強く思う。
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