一人でお茶をしたり、食事をしたり、映画を観たり、買い物をしたり・・・という時間が好きだ。皆でわいわい遊ぶのはもちろん楽しいけれど、小さい頃から雨の日などは、一人で本を読んだり、絵を描いたりしていれば時間を忘れたし、一人遊びには昔から困らなかった。
確かに来る日も来る日もずっと一人・・・、というのではちょっと淋しいけれど、振り向けば一緒に食事をし、一緒に過ごしてくれる人がいるからこそ、気持ちをニュートラルにするために、一人の時間が大切であると思う。
大昔、海外研修で半年間一人で動き回ることになった時、「(自分は)〔毎晩夕食が一人〕というのが一番辛かったし、(あなたもきっと)辛いと思うよ」と、前の年に同じ研修に出かけた先輩に言われた。確かに欧州でレストランに入ればみんなカップルだ。一人で、というのはあまり見かけないので、入りづらいのも確かである。ただ、そんな格式の高いレストランに入るわけでもなし、ファストフードに毛の生えたようなファミリーレストランのようなカジュアルなところならそれほど問題にはならない。もちろん、食べ終わってしまったら、そそくさと退散するしかないのだけれど。
一人で入れそうなところはピッツェリア等イタリアンのお店、中華、和食等限られている。そしてホテルの部屋で一人で食事をするよりも、まわりに沢山の人がいるレストランで一人で食事をする方が、不思議なことにより一層孤独を感じるものだ。
いきなり予約の必要なコース料理の三ツ星レストランには入るまい。もちろんお腹にも重たいし、お財布は軽くなるから毎晩レストランというわけでもなく、サンドイッチ等を買ってホテルの部屋で簡単に済ませたりもした。それでも、いつもいつも冷たい食事ではあまりに味気ない。もちろん半年間ずっとホテル暮らしだったわけではなく、ホームステイだったり、アパートを借りたり、といろいろなパターンがあった。研修先で知り合った方から夕食にお呼ばれしたり、一緒にレストランに連れて行って頂いたり、他の研修生と落ち合って一緒に出かけたりもし、そこそこバランス良く食事ができたので、とりわけ一人が辛かった、という思い出は特にない。
確かに美味しいものを食べて、感想を言いあいながらあれこれお喋りするのはとても楽しいし、それ自体が料理をよりいっそう美味しくしてくれるものになるだろう。せっかく美味しいものを食べても、それについて分かち合える相手がいない、ということはやはり淋しいことだ。一人だったらろくな料理を作らないことにつながるかもしれない。
映画を見て、「面白かったね、ここが良かったね」と言い合うことができる相手がいない、というのも、特に凄く良かった・・・というときはちょっと不完全燃焼かもしれない。
それでも、一人で過ごす時間はやはり大切。
特に子育て中は一人の時間など殆ど皆無に等しかったから、結構きつかった。母にそんなことを言うと、「そんなのは贅沢でわがまま。私たちの年代は、子育て中はひたすらどこにも行かず我慢した」と言われたけれど、時代はやはり当時とは違っている。
専業主婦で朝から晩までずっと乳幼児と対峙しているのは精神的にかなりきついだろう、と思う。私は働いていたから、日中は保育園様々だった。息子とは保育園以外のオフの時間だけつきあえば良かったのだから、ずっと恵まれていたのだろうけれど。わが身を振り返れば、息子にとっても新米母である私とだけ対峙していたより保育園でいろいろ悔しい思いもしつつ、沢山の先生とお友達に囲まれて過ごした時間はかけがえのない時間だったに違いない。
昔からあまり大勢でつるむのは得意ではなかった、と思う。そうそう、女の子同士トイレに行く時まで「付き合って」というのは苦手だった。なかなか正面切って言えなかったけれど・・・。今もそうなのだろうか。女の子がいるお母様とお話する機会があまりないのでわからないのだが。
友人と買い物に行く、というのもやはりどうか。ウインドウショッピングだけならまだしも、つきあいで無理をして買う羽目になり、後悔したことは数知れず。夫に付き合ってもらうのも申し訳ないし、落ち着かない。買い物は一人で伸び伸びと気のすむようにするに限る。
今は昼食環境にあまり恵まれていないので、一人で静かに持っていったお弁当を食べて、その後は本を選びに行ったり読んだりして過ごすのが、ささやかな幸せだ。ブログのネタがぽろり、と出てくるときもある。
一人の時間は午前のリセットと午後からの仕事に備えての大事なチャージの時間である。
もちろん、今回のように会議の前にホテル前泊というのも、夫には申し訳ないけれど息子ともども私自身も羽を伸ばす大切な時間だ。
確かに来る日も来る日もずっと一人・・・、というのではちょっと淋しいけれど、振り向けば一緒に食事をし、一緒に過ごしてくれる人がいるからこそ、気持ちをニュートラルにするために、一人の時間が大切であると思う。
大昔、海外研修で半年間一人で動き回ることになった時、「(自分は)〔毎晩夕食が一人〕というのが一番辛かったし、(あなたもきっと)辛いと思うよ」と、前の年に同じ研修に出かけた先輩に言われた。確かに欧州でレストランに入ればみんなカップルだ。一人で、というのはあまり見かけないので、入りづらいのも確かである。ただ、そんな格式の高いレストランに入るわけでもなし、ファストフードに毛の生えたようなファミリーレストランのようなカジュアルなところならそれほど問題にはならない。もちろん、食べ終わってしまったら、そそくさと退散するしかないのだけれど。
一人で入れそうなところはピッツェリア等イタリアンのお店、中華、和食等限られている。そしてホテルの部屋で一人で食事をするよりも、まわりに沢山の人がいるレストランで一人で食事をする方が、不思議なことにより一層孤独を感じるものだ。
いきなり予約の必要なコース料理の三ツ星レストランには入るまい。もちろんお腹にも重たいし、お財布は軽くなるから毎晩レストランというわけでもなく、サンドイッチ等を買ってホテルの部屋で簡単に済ませたりもした。それでも、いつもいつも冷たい食事ではあまりに味気ない。もちろん半年間ずっとホテル暮らしだったわけではなく、ホームステイだったり、アパートを借りたり、といろいろなパターンがあった。研修先で知り合った方から夕食にお呼ばれしたり、一緒にレストランに連れて行って頂いたり、他の研修生と落ち合って一緒に出かけたりもし、そこそこバランス良く食事ができたので、とりわけ一人が辛かった、という思い出は特にない。
確かに美味しいものを食べて、感想を言いあいながらあれこれお喋りするのはとても楽しいし、それ自体が料理をよりいっそう美味しくしてくれるものになるだろう。せっかく美味しいものを食べても、それについて分かち合える相手がいない、ということはやはり淋しいことだ。一人だったらろくな料理を作らないことにつながるかもしれない。
映画を見て、「面白かったね、ここが良かったね」と言い合うことができる相手がいない、というのも、特に凄く良かった・・・というときはちょっと不完全燃焼かもしれない。
それでも、一人で過ごす時間はやはり大切。
特に子育て中は一人の時間など殆ど皆無に等しかったから、結構きつかった。母にそんなことを言うと、「そんなのは贅沢でわがまま。私たちの年代は、子育て中はひたすらどこにも行かず我慢した」と言われたけれど、時代はやはり当時とは違っている。
専業主婦で朝から晩までずっと乳幼児と対峙しているのは精神的にかなりきついだろう、と思う。私は働いていたから、日中は保育園様々だった。息子とは保育園以外のオフの時間だけつきあえば良かったのだから、ずっと恵まれていたのだろうけれど。わが身を振り返れば、息子にとっても新米母である私とだけ対峙していたより保育園でいろいろ悔しい思いもしつつ、沢山の先生とお友達に囲まれて過ごした時間はかけがえのない時間だったに違いない。
昔からあまり大勢でつるむのは得意ではなかった、と思う。そうそう、女の子同士トイレに行く時まで「付き合って」というのは苦手だった。なかなか正面切って言えなかったけれど・・・。今もそうなのだろうか。女の子がいるお母様とお話する機会があまりないのでわからないのだが。
友人と買い物に行く、というのもやはりどうか。ウインドウショッピングだけならまだしも、つきあいで無理をして買う羽目になり、後悔したことは数知れず。夫に付き合ってもらうのも申し訳ないし、落ち着かない。買い物は一人で伸び伸びと気のすむようにするに限る。
今は昼食環境にあまり恵まれていないので、一人で静かに持っていったお弁当を食べて、その後は本を選びに行ったり読んだりして過ごすのが、ささやかな幸せだ。ブログのネタがぽろり、と出てくるときもある。
一人の時間は午前のリセットと午後からの仕事に備えての大事なチャージの時間である。
もちろん、今回のように会議の前にホテル前泊というのも、夫には申し訳ないけれど息子ともども私自身も羽を伸ばす大切な時間だ。