気がつけばずっとドタバタと走り続けてきて、40歳の声を聞いたかと思ったらあれよあれよと病気になった。1度体調を崩すと、不思議なことに負の螺旋。薬の副作用から病気が病気を呼び、病気の百貨店になる。だから少しでも早く元の生活に戻ろう、とまたドタバタ暮らしていたら、今度は再発・転移した。
もちろん再発なんかしなくても生身の人間の命だから、当然限りがあるのだけれど。何の病気もない健康な人よりも間違いなく短くなった自分の人生の残り時間を、思った。
だから、これからは少しのんびりまったり、と構えよう。日々に追われるドタバタ生活は一つしかない自分の体のためにもう辞めよう、ロッキングチェアに揺られるように、ちょっとくらい居眠りしたっていいじゃない、というつもりでこのブログの名前をつけた、というのは最初の頃書いたとおりだ。それなのに、気がつくとまた貧乏症がしっかりと顔を出している。当初予定では治療日プラスアルファで週2くらいのペースの更新で、と思っていたのが、今や更新は日課になっている。
こうなってくると、根が単純なので、なんとなく1日ぐらいは、といっても休めない。書くことがなければ無理して書くことはないのだけれど、不思議と何かかにか浮かんでくる。以前週1、週2のペースで書いていた頃、あれもこれもと書きたいことが沢山あり、1回分がかなりの長文になってしまっていた。内容はやはり治療日記がメインで、日々考えること、思うことには殆ど触れられない感じだった。
それでも毎日更新となると、テーマを絞って書けるのである程度の長さで止まる。もちろん1日800字とか1200字とか字数制限が設けられていると、それほど好きには書けないし、推敲にも時間がかかる。しかし、あくまで自由な話題で、自分が書きたいことを書きたい分量だけ書く、という極めてゆるい設定。だからこそこうして日々続けられるのだと思う。
仕事ではないし、書かないからと言って原稿料が入らないとか、どなたかにご迷惑をかけるものでもない。ただ今の自分の気持ちを整理しておくため、私を案じてくれる友人・知人に今の自分の状況をお伝えするため、また、面と向かってはなかなか言えない感謝の気持ちを夫に伝えるため、そしていつか読んでくれる日が来るであろう(ことを期待して)息子のために書いている。
それにしてもちっともロッキングチェアに揺られて・・・なんかいないなあ、と思う。トレーニングルームのランニングマシーンに乗っているようなものだ。そして、それも仕方ないのだな、と苦笑する。
哀しいけれど、人間の本質などそうそう簡単には変えられないものだと思う。半世紀近く生きてきて、病気になったからといっても、そんなに急にコペルニクス的転換をするようには変われない。
ただ、そのこと-少しでもペースダウンすること-を意識しているのとしていないのではやはり違うだろう。だから、いつもドタバタと駆け足でいる自分でなく、ロッキングチェアに揺られた自分をイメージしながら、日々折り合いをつけていく、ということなのだろう。
息子は夏休みの理科の課題のため、友人と5人で上野の国立科学博物館に出かけるそうだ。去年の自由研究もなんともコメントのしようのない出来栄えだった。カメラだけ持っていけばいいんだ、と上野駅に写真でも撮りに行ってしまいそうな気配。ノートと筆箱だけ強引にバックに入れさせた。せっかくの友人との遠出、お天気が良くないのが気の毒だけれど。
もちろん再発なんかしなくても生身の人間の命だから、当然限りがあるのだけれど。何の病気もない健康な人よりも間違いなく短くなった自分の人生の残り時間を、思った。
だから、これからは少しのんびりまったり、と構えよう。日々に追われるドタバタ生活は一つしかない自分の体のためにもう辞めよう、ロッキングチェアに揺られるように、ちょっとくらい居眠りしたっていいじゃない、というつもりでこのブログの名前をつけた、というのは最初の頃書いたとおりだ。それなのに、気がつくとまた貧乏症がしっかりと顔を出している。当初予定では治療日プラスアルファで週2くらいのペースの更新で、と思っていたのが、今や更新は日課になっている。
こうなってくると、根が単純なので、なんとなく1日ぐらいは、といっても休めない。書くことがなければ無理して書くことはないのだけれど、不思議と何かかにか浮かんでくる。以前週1、週2のペースで書いていた頃、あれもこれもと書きたいことが沢山あり、1回分がかなりの長文になってしまっていた。内容はやはり治療日記がメインで、日々考えること、思うことには殆ど触れられない感じだった。
それでも毎日更新となると、テーマを絞って書けるのである程度の長さで止まる。もちろん1日800字とか1200字とか字数制限が設けられていると、それほど好きには書けないし、推敲にも時間がかかる。しかし、あくまで自由な話題で、自分が書きたいことを書きたい分量だけ書く、という極めてゆるい設定。だからこそこうして日々続けられるのだと思う。
仕事ではないし、書かないからと言って原稿料が入らないとか、どなたかにご迷惑をかけるものでもない。ただ今の自分の気持ちを整理しておくため、私を案じてくれる友人・知人に今の自分の状況をお伝えするため、また、面と向かってはなかなか言えない感謝の気持ちを夫に伝えるため、そしていつか読んでくれる日が来るであろう(ことを期待して)息子のために書いている。
それにしてもちっともロッキングチェアに揺られて・・・なんかいないなあ、と思う。トレーニングルームのランニングマシーンに乗っているようなものだ。そして、それも仕方ないのだな、と苦笑する。
哀しいけれど、人間の本質などそうそう簡単には変えられないものだと思う。半世紀近く生きてきて、病気になったからといっても、そんなに急にコペルニクス的転換をするようには変われない。
ただ、そのこと-少しでもペースダウンすること-を意識しているのとしていないのではやはり違うだろう。だから、いつもドタバタと駆け足でいる自分でなく、ロッキングチェアに揺られた自分をイメージしながら、日々折り合いをつけていく、ということなのだろう。
息子は夏休みの理科の課題のため、友人と5人で上野の国立科学博物館に出かけるそうだ。去年の自由研究もなんともコメントのしようのない出来栄えだった。カメラだけ持っていけばいいんだ、と上野駅に写真でも撮りに行ってしまいそうな気配。ノートと筆箱だけ強引にバックに入れさせた。せっかくの友人との遠出、お天気が良くないのが気の毒だけれど。