今日も朝から強い日差し。予想気温は35℃だった。電車は久しぶりに定刻通りで予定通り病院に入る。受付後、レントゲン撮影。それほど待たずに呼ばれたが、なにぶん熱風のような外気の中、僅か徒歩10分でも、病院に到着して椅子に座ると汗が噴き出す。なかなか汗がひかず、脱衣に手間取ってしまった。
内科へ移動、ほどなくして診察室へ入った。今週も快食快便で特に変わったことはありません、とご報告。体重も特に増えず何とかキープしている。
レントゲンの結果は、前回に比べ左右とも影がまた少しはっきりしている感じ。ホルモン薬を変更して1ヶ月になるが、まだ結果がどうこう、という時期ではない、とのことだ。また、新しくもやもやしている部分があったが、前回のCTで該当部位に特に変わった病変はなく、骨転移の可能性もなさそう、ということで、もうしばらく治療続行である。ちょっとがっかりだが、そうそう劇的に良くなることを過度に期待してはいけないのだろう。
処置室へ移動。窓側の点滴椅子が1つ空いており、確保した。ベッドで横になった姿勢で針刺を行ったところ、椅子に座って体を起したまま斜めの姿勢で刺されるよりも(看護師さんも私も後ろへ逃げないためか)痛みが少なかった。次回から無理に椅子で刺してもらわず、ベッドでお願いしようと思う。
今日はゾメタも含め4本の点滴。血圧測定後、薬の到着を待ってお昼前には無事開始した。
看護師さんから「ご主人は薬の変更のことなど全部ご存知なのですか?」と訊かれたので、「話しています。(薬の名前を覚えているかどうかはわからないけれど)ブログに治療日記を書いていますから、それも読んでもらっているし。」と答えた。「一緒に診察室に来られたことはないですよね。」と言われ、「確かに、病棟の方には入院の際は来てくれているけれど、ここ(外来)には(好中球減少症で)緊急入院になった時、ご挨拶したくらいですね。」「あ、そうでしたね。お会いしてましたね。」と、思い出して頂いた。
確かに診察室にご主人や家族の付き添いの方と一緒に入る方が多い。私自身としては一人で通院できなくなったら、かなりまずい段階だ、と思うけれど、CTの結果等を聞く時だけは一緒に来られる患者さんも多いようだ。病院もインフォームドコンセントでお知らせすることややることが沢山あって、本当に大変そうだ。
今日は3冊読めた。
1冊目は楊逸さんの「ワンちゃん」(文春文庫)。日本語を母語としない作家として初めて芥川賞を受賞した著者のデビュー作。中国人女性・ワンちゃんが「婚活」のために悪戦苦闘、のお話。前から気になっていたので文庫になったのを待って読んだ。本当に日本人が書くより巧い日本語、という部分が沢山あった。もう1作は書き下ろしの「老処女」。面白うてやがて哀しき・・・という感じ。ちょっと身につまされてしまった。それにしてもおばさん読者としては、どうして若いということだけでそんなに尊ばれないといけないのだろう、と思ってしまう。
2冊目は本田一成さんの「主婦パート 最大の非正規雇用」(集英社新書)。その名のとおり、の書である。「その数800万人!主婦パートが壊れていくとき日本の社会がダメになる!」の帯。主婦パートは大卒が増えても平均時給は男性正社員の半分以下、パートなのに3人に1人は週1回以上、残業!。4~6歳児の母親の3人に一人は主婦パート、夫の1日の火事・育児時間、最短なのは主婦パートの夫・わずか28分などなど、主婦パートはなぜつらいかのオンパレードである。「サラリーマンの夫に扶養されているお気楽な短時間ワーカー」という像は過去のもの、企業から正社員なみの貢献を求められているにもかかわらず、歪んだ社会保障制度の作り上げた低賃金・低待遇は放置され、彼女たちは疲弊していくばかり。企業と家庭を下支えしている主婦パートの苦境を無視したときに起きる危機を回避するための処方箋の書だ。私の職場でもアルバイトさんたちに負っている部分がとても大きい。職員がどんどん異動、退職する一方で、アルバイトさんが過去の経緯も知っているのは事実だが、監査のときに「それはアルバイトさんがやっています。」と言い放つ職員がいる事態はなんともはや、である。
3冊目は白波瀬佐和子さんの「生き方の不平等―お互いさまの社会に向けて」(岩波新書)。「なぜ、こうも生きにくいのか? 子ども・若者・勤労者・高齢者、それぞれに見る『日本の不条理』」との帯。終章での著者の主張「社会的想像力のすすめー追体験できない我が身をしっかり受け止め、他者をおもんぱかること。他者を他者とし、当事者でないことの限界を感じつつ、他人ごととしてでなく、社会の問題をとらえようとすることこそ、我々に切に求められている社会的想像力ではないか。」「教育を受けることの最終的な目標の一つは、この社会的想像力を研ぎ澄ますことだと考える。人はすべての現実に関わることが出来ないからこそ、そうした現実をどれほど見ようと努力し、感じようと試みるかが重要になる。これこそが私が考える『学問のすすめ』である。」にはとても納得した。
今日もおやつの時間間近ではあったが、ランチタイムに滑り込みで間に合った。3食後ヒスロンを飲むために暑くてもきちんと3食しっかり食べている。
息子のキャンプは順調に進捗しているようだ。学校のホームページに昨日の訪問先や宿での写真が掲載されていた。3年目で初めて息子らしき姿が写っていたのを夫と2人で確認した。
内科へ移動、ほどなくして診察室へ入った。今週も快食快便で特に変わったことはありません、とご報告。体重も特に増えず何とかキープしている。
レントゲンの結果は、前回に比べ左右とも影がまた少しはっきりしている感じ。ホルモン薬を変更して1ヶ月になるが、まだ結果がどうこう、という時期ではない、とのことだ。また、新しくもやもやしている部分があったが、前回のCTで該当部位に特に変わった病変はなく、骨転移の可能性もなさそう、ということで、もうしばらく治療続行である。ちょっとがっかりだが、そうそう劇的に良くなることを過度に期待してはいけないのだろう。
処置室へ移動。窓側の点滴椅子が1つ空いており、確保した。ベッドで横になった姿勢で針刺を行ったところ、椅子に座って体を起したまま斜めの姿勢で刺されるよりも(看護師さんも私も後ろへ逃げないためか)痛みが少なかった。次回から無理に椅子で刺してもらわず、ベッドでお願いしようと思う。
今日はゾメタも含め4本の点滴。血圧測定後、薬の到着を待ってお昼前には無事開始した。
看護師さんから「ご主人は薬の変更のことなど全部ご存知なのですか?」と訊かれたので、「話しています。(薬の名前を覚えているかどうかはわからないけれど)ブログに治療日記を書いていますから、それも読んでもらっているし。」と答えた。「一緒に診察室に来られたことはないですよね。」と言われ、「確かに、病棟の方には入院の際は来てくれているけれど、ここ(外来)には(好中球減少症で)緊急入院になった時、ご挨拶したくらいですね。」「あ、そうでしたね。お会いしてましたね。」と、思い出して頂いた。
確かに診察室にご主人や家族の付き添いの方と一緒に入る方が多い。私自身としては一人で通院できなくなったら、かなりまずい段階だ、と思うけれど、CTの結果等を聞く時だけは一緒に来られる患者さんも多いようだ。病院もインフォームドコンセントでお知らせすることややることが沢山あって、本当に大変そうだ。
今日は3冊読めた。
1冊目は楊逸さんの「ワンちゃん」(文春文庫)。日本語を母語としない作家として初めて芥川賞を受賞した著者のデビュー作。中国人女性・ワンちゃんが「婚活」のために悪戦苦闘、のお話。前から気になっていたので文庫になったのを待って読んだ。本当に日本人が書くより巧い日本語、という部分が沢山あった。もう1作は書き下ろしの「老処女」。面白うてやがて哀しき・・・という感じ。ちょっと身につまされてしまった。それにしてもおばさん読者としては、どうして若いということだけでそんなに尊ばれないといけないのだろう、と思ってしまう。
2冊目は本田一成さんの「主婦パート 最大の非正規雇用」(集英社新書)。その名のとおり、の書である。「その数800万人!主婦パートが壊れていくとき日本の社会がダメになる!」の帯。主婦パートは大卒が増えても平均時給は男性正社員の半分以下、パートなのに3人に1人は週1回以上、残業!。4~6歳児の母親の3人に一人は主婦パート、夫の1日の火事・育児時間、最短なのは主婦パートの夫・わずか28分などなど、主婦パートはなぜつらいかのオンパレードである。「サラリーマンの夫に扶養されているお気楽な短時間ワーカー」という像は過去のもの、企業から正社員なみの貢献を求められているにもかかわらず、歪んだ社会保障制度の作り上げた低賃金・低待遇は放置され、彼女たちは疲弊していくばかり。企業と家庭を下支えしている主婦パートの苦境を無視したときに起きる危機を回避するための処方箋の書だ。私の職場でもアルバイトさんたちに負っている部分がとても大きい。職員がどんどん異動、退職する一方で、アルバイトさんが過去の経緯も知っているのは事実だが、監査のときに「それはアルバイトさんがやっています。」と言い放つ職員がいる事態はなんともはや、である。
3冊目は白波瀬佐和子さんの「生き方の不平等―お互いさまの社会に向けて」(岩波新書)。「なぜ、こうも生きにくいのか? 子ども・若者・勤労者・高齢者、それぞれに見る『日本の不条理』」との帯。終章での著者の主張「社会的想像力のすすめー追体験できない我が身をしっかり受け止め、他者をおもんぱかること。他者を他者とし、当事者でないことの限界を感じつつ、他人ごととしてでなく、社会の問題をとらえようとすることこそ、我々に切に求められている社会的想像力ではないか。」「教育を受けることの最終的な目標の一つは、この社会的想像力を研ぎ澄ますことだと考える。人はすべての現実に関わることが出来ないからこそ、そうした現実をどれほど見ようと努力し、感じようと試みるかが重要になる。これこそが私が考える『学問のすすめ』である。」にはとても納得した。
今日もおやつの時間間近ではあったが、ランチタイムに滑り込みで間に合った。3食後ヒスロンを飲むために暑くてもきちんと3食しっかり食べている。
息子のキャンプは順調に進捗しているようだ。学校のホームページに昨日の訪問先や宿での写真が掲載されていた。3年目で初めて息子らしき姿が写っていたのを夫と2人で確認した。