ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.7.29 片づけられないのか片づけないのか

2010-07-29 19:53:16 | 日記
 とにかく紙の洪水である。机の上の表面がすぐに見えなくなる。いくらクリアファイルを与えようが、フラットファイルとパンチを渡そうが、一向に整理されない。どんどん堆積層のように重なっていくばかり。せめてもらったプリントには日付を入れておけ、と言ってもそれもしないから、どのプリントが新しいのか何の科目なのか、あたりはつけられても実際のところこちらにはわかりかねる。お手上げだ。

 こうしていろいろなサイズのプリントやらテスト類がこれでもか、これでもかと配られているが、一体どのくらいの生徒が自分できちんと整理整頓できているのだろう。とにかく息子にいたっては折り紙の基本ではないけれど、きちんと2つに折るところからしてなっていない。適当に、斜めに、ほぼ半分に折ってあるから、ただでさえ統一されていないサイズがもうプリントの数だけある、というレベル。思わずため息が漏れる。

 本人も私に触られることを嫌がるし、なるべくなら足の踏み場もないような息子の部屋に行きたくないし、片づけ出すとイライラするので、本音を言えば、美容と健康のために手を出したくないのだが、それでも見るに見かねてまとめたり、重ねたり。そしてもらったはずの試験範囲のプリントの捜索等、同じことの繰り返し。穴のあいたバケツに水を汲む囚人の刑を思い出す。徒労である。

 夫はエイヤとなんでも捨てるが、一方私はなかなか物が捨てられないたち。夫からは「あなたは今に病気で死ぬより早く紙類につぶされて死ぬのではないか。」とまで言われている。家事で何が不得意か、と言われれば掃除かなあ・・・とも思う。

 息子本人はいたって何も感じていない。なければないで、いいのだ、と開き直れるのが羨ましい。小心者の私はそれが出来ないのが、情けない。なんともはや、とほほ、である。

 さて、職場にも、近くにお片づけのとても苦手な職員がいる。机の表面が見えないのは息子と同じだ。机の下もどこもかしこも堆積層となった書類だらけ。ゴミ箱も溢れている。周りの人たちがいくら言っても本人はどこ吹く風。まあきちんとどこに何があるか解っていて書類をなくさない、というのなら問題ないのだが。それでも良好な職場環境を考えると決していいことではない。

 どうも息子がこの先こういうふうになるのでは・・・、と横目で見つつ気が気ではない。そんなことを思い患うとはやはりどう考えても過保護なのだろうが・・・。

 今日は久しぶりに朝から雨が降ったりやんだり。真夏日からも解放された。それでもかえってこれまでの暑さ疲れが出た感じで、体が重く感じる。
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