ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.7.16 無理・ムラ・無駄と三無主義

2010-07-16 06:23:13 | 日記
 かつて若者の三無主義(無気力・無関心・無責任)が言われていた頃。
 私自身はかなり熱い高校時代を送っていたので、少なくとも私の周りはそんなこととは無縁!と思っていた。

 その後はそれらに「無感動」が加わって四無主義。
 さらに現代の若者に至っては「無抵抗」「無批判」「無能力」「無作法」「無学力」「無教養」「無節操」「無定見」「無思想」を加えた“十三無主義”とまで言うそうだ。そこまで言うか・・・、という感じである。

 「無理・ムラ・無駄の3つの“ム”がないように、迅速、確実、正確」とずいぶん昔(実に40年も前!である。)、小学校3,4年でお世話になった恩師(今も年賀状のやりとりをさせて頂いている)に言われた記憶がある。

 「無理をすると長続きしないから、ムラっ気を出さずにコツコツと細く長くやること、無駄は自分で工夫しながらなるべく省いて、迅速、確実、正確にやろう」ということだったと思う。
 確実と正確って、ちょっとダブっているんじゃないかな・・・、とそのころは素朴な疑問を感じていたけれど。

 今、思春期真っ盛りの息子を見ていると、決して無理はしないけれど(何かあるとすぐに無理をしがちな母から見れば大変素晴らしい!)、実にムラがあるなあと思う。当然試験等の結果もジェットコースター並みの急降下、乱気流で、酔いまくっている私である。もちろん、無駄な時間は若さの特権だし、無駄な時間をすべて排除したらそれはそれで淋しい人生だし、無駄な時間がなくていいとは決して思わない。さらに本当のところ何が本人にとって無駄だったのかは、結局ずっと後になってみないとわからないものだとも思う。それでもコツコツ地道に何かに向かって愚直なくらい努力する、という言葉は今のところ彼の辞書にはないらしい。

 何かあれば五月蝿いほど喋るから、感動はそれなりにしているようだし、学年主任厳重注意に呼ばれるくらいだから、相手から何かされたときに無抵抗では決してないし、自分のことを置いておきつつ、批判だけは一丁前にしている。無作法に気付けば、私なり夫なりの常識の範囲内で注意しているし、学力と、特に教養については学校で身に着くものとは言い切れないし、実際かなり問題がありそうだが、とりあえず学校には毎日通っている。あとは節操があって思想があって・・・、と潰していきつつ、逆に、既にこの時点でこの13ポイントをすべてクリアできていたら、もはや中3男子ではないか、とちょっとほっとする。

 さて、昨日「自己発見シート」という将来のキャリア設計のための自己分析シートが返ってきていた。(しつこく問いたださないと出さなかったというのが本当のところであるが)自分の将来の希望と自分の性格や特技の比較が記載されていた。これを見てかなり影響を受けて進路変更する生徒もいるようだが、本人はいたって無関係のご様子。

 どうやらいつの時代も年長者は「今の若いやつは・・・」というものらしい。私も言われてきたのに(共通一次世代、新人類等と呼ばれていたような気がする。)いつの間にやら“したり顔”で言っているのだから。しかも自分の若気の至りについては都合よくもすべて忘れつつ。

 時代は巡る、因果は巡る、わけである。

 さて、今日は母の77歳の誕生日、喜寿である。
 もう30年以上も前、健康自慢だった母方の祖母が喜寿を迎え、親戚一同でお祝いをしたところ、その後ぽっくり亡くなってしまったので、以来、父は何があってもわざわざ祝いじみたことはしないでくれ、をモットーにごくごく地味に生きている。いつだったか義母から「もうお迎えが近いんじゃないの?」と言われたほど、傍目にも体調を崩したことがあった。先日実家を訪れたとき、確かに腰は曲がって痩せてすっかり老人にはなったけれど、何とか無事にやっているのを見て、安堵した。
 一方、母は一病息災で小さい体ながらも元気にしている。本当にありがたいことだ。
コメント
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