ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.3.3 過剰な謙遜は美徳にはならない

2016-03-03 20:53:23 | 日記
 楽しみに録画して視たドラマが終わった。NHK/BSプレミアムで50分枠の8話連続ドラマ「鴨川食堂」。京都ロケのドラマで、ここ2年近くですっかり馴染んだ四季折々の風景と、毎回出されるお任せの京料理が大きな魅力だった。

 「思い出の食、捜します」という一行広告のみを頼りに、京都・東本願寺近くに看板もなくひっそりと建つ鴨川食堂にそれぞれの悩みを抱えた人たちが訪ねて来る。板前の父・流さん(かつて刑事ドラマで一世を風靡したショーケンが渋くなっていてびっくり!)と看板娘こいしちゃん父娘を中心に、1話ごとのゲストがやって来て物語は進む。

 探偵社の社長はこいしちゃん。彼女が依頼人から話を聞いて、少ない手がかりをもとに元刑事だった流さんが取材をし、思い出の食をみごと再現する、というストーリー。全編を通じて父娘の来し方も絡んでいたが、最後にはその謎も解け、ハッピーエンドになって、ほっとした。やはり物語はハッピーエンドがいいなと思う。

 ということで、標題の台詞は最終話、作法教室の師匠で食堂の常連、妙さんを演じる岩下志麻さんのものだ。これには唸った。こいしちゃんの女子校時代の親友・初子さんが言った台詞に返したもの。初子さんはモデルをしているのがさもありなんという長身の美人。
 妙さんが「さすがに(モデルさんだから)いるだけで華がある」と褒めたところ、「いえ、背が高いのだけがとりえで」と返す。そこでこの言葉が発せられたのである。その後に続けて、美人さんに生んでくださったお母様に感謝やね、と。

 そう、日本ではとりわけ謙譲が美徳。謙遜することこそ素晴らしいという風潮があるように思う。だから何か褒められると「いえいえ、とんでもない」と返すのがお約束といったところか。けれど、せっかく褒めてくださっているのに、それを否定してしまうことは果たしてどうなのだろう。私たちの脳には、いくら沢山褒められても、ちょっとだけけなされるとそのネガティブな言葉だけが延々と残ってしまう、という困った癖があるらしい。

 褒めて頂いたら、「わあ、嬉しい、ありがとうございます」と答える方が清々しいようと思うが、どうだろう。誰だって褒められて嫌な気はしない。もちろん社交辞令のこともあるかもしれないけれど、いかにも見え透いたお世辞でない限り、必要以上に謙る必要はないのではないか。
 しかも、そこにもし「どうせ私なんか・・・」といった自己卑下の台詞を暗に込めてしまっているとしたら、せっかくの幸せ気分も逃げてしまうような気がするのだけれど。

 素直に生きる。褒めて頂いたら有難く受け止め、現実にそうあり続けられるように振舞う。自分を大切に思い、自分を好きでいながら生きること、自己肯定感は幸せに生きていく上での必要な知恵ではないか(もちろん何の裏打ちもないものはNGで、それが出来るように努力を怠らないことは必要だと思う。)。

 皆が自分をポジティブに受け容れる。それが出来れば、自分は自分、人は人、と考えるだけで不必要な妬みや嫉み、僻みのようなネガティブな感情はなくなるように思うのだけれど、どうだろう。

 綺麗なお雛様のお顔を想い出しながら、そんなことを思う桃の節句の夜である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする