ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.3.11 本気の言葉は人を動かす

2016-03-11 20:25:09 | 日記
 巷で話題になっている「保育園落ちた日本死ね」ブログについて述べた文章2つが目に留まった。
 
 因みに我が家で夫とこの話題で話をした時のこと。私が「そもそも大人が、親がこんな感情的に“死ね”なんて言葉を使っていいの?」と言ったところ、夫は「そのくらい切実なんだよ」という応答だった。とはいえ、同じブロガーの端くれとして、“死ね”という言葉を大の大人が、しかも、未来を担う子どもの親になった人が公然と使うことについては、どうしても違和感が残っている。もちろん、公序良俗に反しない限りは表現の自由なのだろうけれど・・・。

 けれど、ただの言いっぱなしの感情的な雑言だったら、それはここまでの動きにはならなかっただろう。本気の言葉、ナマの人間の奥底から絞り出された本心の言葉は他人(ひと)を動かす力があるのだ、と思わざるを得ない展開になっている。
 以下、かいつまんで転載させて頂く。最初は読売新聞に連載中、白河桃子さんの「スパイス小町」の最新号である。

※    ※   ※(転載開始)

「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログはついに国を動かすのか? 白河桃子(2016年03月09日)

 (前略)
 さて、いま話題の「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログは、保育園に入れなかった人による怒りの匿名ブログです。同じ境遇の方たちの共感とともに拡散され、さらに専門家が「なぜ保育園が足りないのか?」を発信し――どんどん広がっていきました。
 おそらくこれまでならネットだけで盛り上がって終わる騒動。しかし、2月半ばに書かれたブログはその後、共感の輪の広がりとともに思わぬ展開を見せていきました。テレビで地上波の報道番組が取り上げ、国会でも民主党議員がブログを紹介しながら与党側に質問しました。
 さらに3月5日には、ついに国会前に母親らが集まりアピールしました。ブログが匿名だったことから、国会では「誰が書いたんだ!」などというヤジが飛びました。「本当であるかどうか確かめようがない」という趣旨の発言もあったため、それが保育園に落ちた人たちの気持ちに火をつけたのです。ツイッターでも呼びかけが広がり、「保育園落ちたの私だ」というプラカードを手に、母親らが集結。「当事者は本当にいる」「こんなに大勢いる」と訴えていました。
 行動に出た彼女たちに対して、政治家も「対処します」「真摯に受け止める」「虚心坦懐に分析を」と次々と表明。またそれが報道番組で紹介されるという展開となっています。
 小さな子どもを連れて、国会前まで行くのは大変なことです。突き動かされるだけのものがあったということです。そして真摯な声は届くのです!
 フランス人の知り合いから、「とっくにフランスならデモが起きている。なぜ日本人はこんなにおとなしいの」とよく言われますが、それは「どうせ何を言っても変わらない」というあきらめの気持ちがあるから。しかし、「行動すれば届く」という成功体験が積み重なったら、もの言う人もどんどん増えていくのではと思うのです。(以下略)

(転載終了)※     ※     ※

 今を遡る20年以上前の平成7年のこと。息子の妊娠がわかって、通えそうないくつかの保育園の下見に行った。「フルタイムで働いているし、おそらく大丈夫でしょう。でも実際に出産してからきてくださいね」と言われた。もちろん、まずは無事に出産することだけれど、次なる段階として希望の保育園に入れなかったら・・・という事態は私にとって切実な問題だった。

 おりしも4月に昇任を控えていて、育休を取らず産休明けから働くことを選択していた私は、「1月中に出産しないと4月入園は無理、2月1日以降に生まれたら5月入園だ」と言われ、何が何でも1月中に出産したかった(これも今思えば誕生してくる“命”に対して随分傲慢な物言いである。)。

 予定日は2月2日。遠距離通勤で身体に負荷もかかってているし、おそらく出産は早まるでしょうと言われていたが、お腹の中の居心地が良かったのか、なかなかその兆しがない。1月28日にやっと陣痛が来たけれど、そこからが大変で、結局1月30日の夜遅く、直前に帝王切開に切り替え、ヨレヨレのヘロヘロでなんとか息子をこの世に送り出すことが出来た。

 文字通り滑り込みセーフで、翌1月31日に夫が出産届を出しに行ってくれて、息子は4月1日から生後2ヶ月で保育園児となった。職場の方からは「お腹を切ってまで1月中に間に合わせたとは、執念だね」と言われ、苦笑したことを覚えている。

 出産はしたものの4月から元職場で復帰となれば、夫と2人して都心まで遠距離通勤、常時残業あり。同居している親がいるわけでなし、夫と私が残業続きの状況ではとても育児など出来ない、と私は職住近接の今の職場に異動希望を出し、それが叶い、今に至っている。

 その後、まがりなりにもワーキングマザーを続けてこられたのは、何より保育園に入所出来て、その後学童保育のお世話にもなりつつ、職住近接の環境だったからこそ、と本当に感謝している。そして、それが如何に恵まれた環境であったのかも重々承知している。

 続いて、以下はどちらかといえば、男性目線、それも物書き専門家のいわばかなり上から目線の文章だ。こうしてきちんと文章に整えらえる人の責務として、ただ素人が感情的に言っているだけ、と突き放すのではなく、絞り出された生の声をうまく整え直して広めていかなければならないと思うのだが、どうだろう。

 「自分で問題を解決することを当然と思う」というのならば、解決方法の一つとして生の声で叫ぶことで世間を動かす、というのもありだろう。
 保育園不足による待機児童、ひいては少子化問題が喫緊の課題とされながら、実際にはそれほどの政策効果はあがっていない。「保育園落ちた」人にとっては、日本は結局のところ何もしてくれない国と感じるのも止むを得まい。

※   ※    ※(転載開始)

「保育園落ちた日本死ね」ブログをほめるな(アゴラ 言論プラットフォーム)石井 孝明(経済ジャーナリスト)

感情的な文章を称える愚行
 子どもが保育園に入れなかったママが書いたとされる「保育園落ちた日本死ね」というブログが話題となった。これを、山尾志桜里衆議院議員が衆議院の予算委員会で取り上げ、安倍首相に迫った。また3月4日には「保育園落ちたの私だ」というプラカードを掲げ国会前をデモする人がいた。いつもの通り組織化された政治行動であり、デモ写真には共産党議員が映っていた。同党が政治的揺さぶりをかけるために、この騒動を利用しようとしているのだろう。
 この文章を読んでみた。同情はする。しかし物書きの端くれである私から見ると幼稚な文章だ。「死ね」「子ども生むのなんかいねーよ」「税金使ってんじゃねーよ」という感情的な言葉の羅列だ。どこに共感すればいいのだろう。そして何も学ぶものがない。もちろんブログに個人的な感情を吐露するのは表現の自由であり、変に騒ぐ周囲の人々が問題だ。

(中略) 
 
 自分で問題を解決することを当然と思う。他人に施しをもらうことは、自由と活力と尊厳を失う面があることを認識する。権力には頼らない。こうした発想が社会の根底にあれば、国と個人は依存関係がなくなる。一言でまとめれば、明治の思想家福沢諭吉が強調した「独立自尊」の信条だ。

 「独立自尊」を信条に持つ人が自律的に運営する社会。「アベ悪い」「日本死ね」と感情的に叫び、国を批判しながら国に頼る人ばかりの社会。どちらが健全だろうか。子どもの健やかな成長をもたらすだろうか。もちろん前者だが、日本で後者にしたがる人が目立つのは心配だ。

 社会問題に声を上げて変革を促しながら、自己責任で問題解決に向き合うのは当然だ。しかし「保育園落ちた日本死ね」などと叫ぶ文章を称え、感情に流れ、適切な思考に基づかない社会混乱を作り出していけない。それは問題の解決を遠ざけるだけだ。

(転載終了)※   ※   ※

 それにしても、このままでは日本という国では万人が活躍しようにも出来ないのだろうか・・・と思ってしまうのだが、どうだろう。
 
 今日は3月11日、あの東日本大震災から5年が経った。もう5年なのか、まだ5年なのか、未だによくわからない。今も2,561人もの方が行方不明だという。
 非力な私が出来ることはこの日を決して忘れないでいること、そして被災地の生鮮品を選んで購入し、応援することくらいだ。

 ちょうど5年前と同じ曜日の並びで今日も金曜日。朝から冷たい雨がそぼ降る一日になった。14時46分、あの日と同じ席で、今年もまた黙祷した。あの日に生まれた赤ちゃんたちはちゃんと元気に育っているだろうか。もう年長さんになっているのだろう。保育園問題からいろいろな思いを馳せる5年目の日である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする