ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.3.1 親不知雑感

2016-03-01 20:50:29 | 日記
 居候中の息子のこと。
 先月、「親不知が生えてきたんだけど、どうしたらいい?」と久しぶりに連絡があった。「痛いの?」と訊くと、そうではないという。帰省したら、どんな生え方をしているのかいつもお世話になっているクリニックでとりあえず診て頂いた方がいいね、と今日の朝一番で予約をしていた。

 おかげさまで右上の親不知は特に問題なく、溝だけ埋めてもらって帰ってきた。その後、土曜日にお友達との約束を優先して後回しにしていた花粉症のクリニックへもハシゴ。帰省中なので、と処方して頂ける最大限の薬を頂いてくるように、と言ってあったのだけれど、ケロリと忘れて2週間分だけで帰ってきた模様。
 自分が辛いのに、と思うがあとは下宿近くのクリニックに行ってもらうしかない。とりあえずこれで、こちらでのクリニックの予定はコンプリートである。

 “親不知”といえば、文字通り親がその生え始めを知らないものだと思う。息子が小さかった頃は、乳歯のどの歯が生えた、あの歯が抜けたとその都度写真を撮ったり大騒ぎだったけれど、20歳ともなれば当然のことながらハイ、あーんして、と言うわけにもいかない。

 かくいう私は、親不知にはとても酷い目に遭ったクチだ。
 上の歯は大学生の頃、今は亡き伯父に抜いてもらった。こちらはそれほど酷くはなかったけれど、疲れが出ると腫れて痛み、熱っぽくなるのに悩まされた。1度に2本抜くわけにもいかず、2回に分けて抜歯した。歯茎に出来た大きな穴が塞がるまでには随分時間がかかったのを覚えている。

 下の歯は就職してからの抜歯だった。性格と同じなのか、はたまたそうではないのかは判らないけれど、顎に余裕がなかったらしく、とても曲がってというか殆ど寝そべって生えてきていた。下の歯は根もしっかりしており、抜歯は一筋縄ではいかず、切開して手術になった。職場内のクリニックで1泊入院せよと言われたけれど、その当時はプライベートな予定で休暇を頂ける環境ではなかった。

 やむなく日帰りで抜歯して頂いた。ヨレヨレで自宅に帰ったけれど、口は上手く閉じられないわ、出血がなかなか止まらないわで、朝起きたら枕がよだれと出血で一面ピンク色に染まっていた。そして鏡を見れば瘤取り爺さんよろしくプックリと腫れて人相が変わっていた。
 当然、食事も水分やせいぜいヨーグルトを飲み込むのがやっと。なんとか出勤したけれど、普段はなかなか表情を変えない当時のボスが、私の顔を見て目を見張っていたのを覚えている。ちょっと歩くだけで脳天までズキズキ響くし、腫れが引いて収まるまでは結構悲惨だった。

 これはもう30年近くも昔のこと。親不知もまっすぐ生えて腫れたり虫歯になりさえしなければ、そうそう問題にはならないと思うけれど、はて、息子はどうなのだろう。
 息子に親不知が生えてきた、と知らせてもらえるまで、こうして命を繋げてこられたことを改めて有難く思う。

 さて、今日から弥生3月。お昼休みに学内の生協まで新刊の文庫を物色に行ったら、リクルートスーツに身を包んだ沢山の学生に遭遇した。息子も来年はこの時期に就職活動をスタート出来ればよいのだけれど・・・。

 例年書いているけれど、1月はき、2月はげてしまった。3月もあっという間にってしまわないように、年度末の1ヶ月、日々を大切に過ごしたいと思う。

 帰宅すると今月初めてのお花が届いていた。ピンク、黄色、オレンジのスナップが1本ずつ、デンファレが3本、ヒペリカムが1本、ルスカスの枝が2本。花言葉はそれぞれ「おしゃべり」、「美人」、「きらめき」だという。春らしいお花が沢山だけれど、外は“春は名のみの風の寒さや・・・”の一日だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする