ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.5.18 自己申告の季節

2010-05-18 19:07:06 | 日記
 今年も自己申告の季節がやってきた。
 年に3回提出がある。1回目は申告基準日4月1日の当初申告、2回目は申告基準日12月1日の中間申告、そして申告基準日3月31日の最終報告。申告に基づいて上司が基準日12月31日で業績評価を行う。評定結果は希望すれば本人開示される。この評価が翌年度の昇給に跳ね返るという人事考課制度の一環だ。

 提出する書類には「目標・成果シート」と「自己採点シート」と「異動申告シート」の3種類がある。当初申告は「目標・成果シート」のみ。上司とも相談しながら、今年度の職務目標・能力開発目標・(監督職については指導育成目標も追加)を設定して記入する。2回目は3種類全て提出。各シートに目標の取組状況と成果、年度末に向けた取組、仕事の成果とプロセスについての自己採点、希望する職務、活用して欲しい能力等について記入する。3回目は「異動申告シート」以外の2種類を提出。各シートには1年間を振り返り、設定した目標の成果と反省、同じく1年間の仕事の成果とプロセスについて自己採点を行い記入する。最終報告以外は上司との面接がセットだ。最終申告については次年度の当初申告面接のときに確認がされる。

 4月1日現在、といっても配付されるのはいつも今頃だし、12月1日付けも異動事務等の関係から11月中旬だし、最終報告は特に面接がなく提出だけなのだが、3月の上旬あたり。・・・かなり頻繁に書いているような気がする。もちろん提出するだけの人間でもこう思うのだから、これをとりまとめる職員がこの仕事にとられるエネルギーたるやいかに・・・、と思うと本当にクラクラする。この組織は、実にこうした内部管理に関する仕事が多い、と思う。民間企業で言えば営業と同じ比重なのだろうか。

 25年前に勤め始めたときに自己申告制度がちょうど開始されたように思う。組合はその使途について戦々恐々としていたようだが。業績評価とリンクされるようになったのは大分経ってからだった。最初は4枚複写(人事部用、局人事用、所属用、本人控)で手書きだったのが(私は筆圧が弱いので、控えの4枚目になると実に写りが悪くて困った経験がある。)、いつのまにかPCで作成になって久しい。ちょっとした訂正も楽だし、保存も更新も俄然便利になった。

 なかなか管理職と直接話すことがない、という若手職員には日頃の思いを伝える良い機会だろう。以前よりきちんと面接時間も取られシステマティックになってきていると思う。昔は「はい、特に何もないね。ではやったことにしよう・・・」「えっ・・・?」みたいにパスされてしまうこともあったから。

 病気になってから、毎回その経過については自由記載欄に書かざるを得ない。完治している、ということならノーコメントでもよいのだが。現在治療中であり(今後も生きている限り治療が終了することはないし)、またいつ休みをとるかわからないという状況なのだから。分かっておいて頂かないとご迷惑をかけることになる。

 自分では自己紹介の一部のようにすっかり慣れたけれど、いきなり「再発乳がん、両肺多発転移、縦隔リンパ節転移、胸骨鎖骨転移、局所再発によりホルモン剤内服に加え、毎週通院で点滴治療中・・・」という文言を、全く健康な担当者がいきなり目にしたら、さぞや驚くだろうな、と思う。「一体全体、なんでこの人まだ仕事なんかしてんの?大丈夫?もうすぐ死んじゃうんじゃないの?」ぐらい思われても不思議ないけれど。
 ただ、こんな診断書を頂く身でも治療が奏功していれば普通にちゃんと(週4日ではあっても)働けるのだ、ということを伝える良い例にはなっているのでは、と勝手に解釈している。

 もちろんこんなポンコツになってもこうして勤め続けさせていただけるだけで、やはり感謝しなければならない、ということは重々承知の上なのだが。


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2010.5.16 将来の夢

2010-05-16 09:35:27 | 日記
 息子も中3になり、今年はキャリアデザインのための進路アンケート等があるという。将来彼が何の職業に就くかはわからないが、「子どもの頃、何になりたかった?」と聞かれて思い出してみた。

 小学校の高学年から中学校に入った頃、恥ずかしながら漫画家になりたかった。本を読むのはもちろん好きだったけれど、少女漫画が好きで毎週発売日に本屋さんに飛んでいっては大事に抱えて帰り、家で時間も忘れて読んでいた。幼稚園の頃から読んでいたから、難しい漢字や言葉も、結構漫画から覚えたように思う。
 お絵描きから派生したレベルだったのでお目目ぱっちり、お星様きらきらのイラストを描いていた。雑誌の読者からのお便り頁のイラスト(はがきの裏に描く程度)には何度も投稿し、ほぼ毎回掲載されていた。はがきを出すと掲載されるのが待ち遠しくて、発売日になると本屋さんに飛んでいって、載っていることがわかると、にやにやしながら買って帰り、ちょっとした図書券とか記念品が贈られてくるのも嬉しかった。
 当時、私とあまり年の違わない中学生、高校生の若い漫画家が多くデビューしており、今考えれば笑えるほど甘ちゃんであるが、なんだか自分にも出来そうな気がして、後にも先にも1度だけ16頁を書いて、ある出版社に送った。当然何の賞にも入らずに没。その後オリジナルなストーリーも浮かばなかったし、それっきりになった。

 やはり中学生の頃、小説家になりたい・・・というにはおこがましいけれど、ちょっとした物語を書いていた時期もあった。
 あの時のノートが見つかったら、恥ずかしくて舌でも噛みそうで、どうしてよいかわからない、という感じ。まさか実家には残っているまい、と思うのだが、若干不安である。(というのも、先日第九の演奏会で着た黒のロングスカートは、なんと高校時代から大学時代に着ていた当時のもの。実に30年選手である。なんとも物持ちの良いエコな母である。「もしかして、(あのスカート)まだおいてある?」と聞く娘も娘なのだが・・・。)

 いずれにせよどちらの職業に就くにも、才能も努力も圧倒的に不足していたので、今に至っている。

 思うに、哀しいかな、オリジナリティはないけれど、やはり何か“書く”ことに関わっていたかったのだな、と思う。レベルも形も全く違うが、この年齢になってこうして治療日記を中心とした身辺雑記を書く機会を得られたことは、やはり夢が叶ったことなのだと思う。幸せなことである。

 オリジナルな小説は書けなくとも、誰しも書こうと思えば随筆もどきは書ける、ということか。負け惜しみで一番好きなことは職業にしない方がいい、などと言ってみたこともあるが、やはり産みの苦しみに携わる職業は本当に大変だ。自分を晒し、文字通り心血を注いで身を削って書くのだろう。

 もちろんどんな職業にも貴賤はないし、その大変さにおいて変わりはないと思う。ただ、やはり“自分が好きなこと”に少しでも関われていれば辛いときでも頑張れるのかな、とも思う。“自分としてはそれほど苦しまずなぜか上手にできること”と、“仕事としてきちんと努力して続けられること”は違う、というのも事実だけれど。

 息子には彼の好きなことにちょっぴりでも関わりつつ、そしてそれを少しでも活かせる仕事に就いて貰えればこんなに嬉しいことはない。
 それには、地味な小さな努力を厭わずに愚直なまでにやっていく、という日々の積み重ねが何より大切なのだと思うけれど。いかんせん“努力が嫌い”と大きく顔に書いてある息子である。
 中間試験10日前というのに、今日は大荷物の応援グッズとともに、東京ドームまで野球観戦に出かけてしまった。

 一昨日、鈴木俊一元都知事が亡くなった。享年99歳。
 健康に何よりも気を使い、ご夫妻揃ってお元気でいらっしゃると伺っていたので、11月の100歳の誕生日を迎えられるのだろう、と思っていた。
 もう20年以上前、2年ほど近くでお仕えてしていたことがある。高校の大々先輩でもあり、“地方自治の神様”と称される方だったが、身近にいるととてもシャイで寡黙で、それでもごくたまにお見せになる笑顔がとてもチャーミングな方だった。まだ大組織のイロハのイもわかっていなかった私にとって、この組織において意思決定がどのように行われるのか、幹部たちの謦咳に触れることが出来たのは、やはり何ものにも変え難い貴重な経験であった。
 昨年白寿のお祝いの会のお誘いを頂いたが、体調と相談して欠席していた。もしかするとこうした集まりも最後かもしれない、とは言われていたのだけれど。
 最後にお目にかかったのは10年以上前。勤務先の大学に視察にお見えになった時だった。10年以上も経って私の顔をご覧になり、「おや」というお顔をされた。その時は少し足取りはゆっくりになっていたが、矍鑠と歩いていらした。

 ひとつの時代が終わったような気がする。合掌。

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2010.5.14 ストレスのない生活

2010-05-14 20:19:33 | 日記
 先日、職員向けのサイトを見ていたら、社会のために活動したいという人に向けた呼びかけ文章に目が留まった。
■管理職の方■
 最近、自分を磨くことを怠っていませんか?肩書を外した場合でも、組織や社会で魅力ある人材といえる自信がありますか?組織の肩書を外していただき、自由な議論ができる場を提供しています。そこでは最高の講師陣と意識あるメンバーとの交流から大きな刺激を受けられます。若い方の参加が多いため、管理職の方の豊かな経験と組織を変える力を特に必要としています。
■中堅職員以上の方■
 仕事でもプライベートでも充実していますね。でも「子育てが大変だ」とか「いい仕事を任されているから」と言って、自分を成長させない言い訳にしていませんか?家族はあなたの努力や頑張っている姿を期待しているかもしれません。グループツールで情報交換などにより、忙しい方でも参加できますし、ライフスタイルに合わせて参加できます。将来のために自分を磨き、今のうちに社会変革のための経験・実績や今の仕事では得られない人脈を作っておきませんか?
と。

 特に“肩書きをはずした場合でも、組織や社会で魅力ある人材と言える自信がありますか?”の部分でひっかかった。私も仕事上の名刺を持ってはいるけれど、殆ど渡していないので、今の肩書きはあくまで直接仕事をする人たち用のごくごく最小限のものだ。
 かつて参加した同窓会等のプライベートの集まりでどんどん名刺を配られたりすると、ちょっと引いてしまうこともあった。もちろん民間企業に勤めていたり、自らが起業家だったりという立場と、私のような公務員という立場は全く異なるので比べようもないのだが。

 ふと、自分に引き寄せて考える。
 これまで仕事とは一切関係のない肩書き不要の交流というと、居住団地での役員や、保育園、小学校、学童クラブという息子を介してのつながりだけだった。 そして、もう一歩踏み込んでプライベートでもお付き合いをしていこう、という方とは残念ながら出会わなかった。(出会っていたのかもしれなかったけれど、それを深めていく時間も余裕もなかった、というほうが正しいのかもしれない。)中学入学後は、それこそ息子が地域と離れてしまったので、身近にいろいろ情報交換できるお母様はいないに等しい。

 が、最近「患者会」という新たな交流の場が出来た。
 これには当然肩書き不要。今、何をしていようとこれまで何をしてこようと基本的に一切関係ない。軸は同じ病気の患者であるということ。患者として魅力ある人材、というのも変な話だが、実に皆さん活動的で魅力的。身の処し方など学ぶところが一杯ある。中にはちゃんと患者会としての名刺を作ってお渡し下さる方もいて、すごい・・・、とびっくりした。

 誰しも当然いろいろな顔を持っているし、いろいろな交流の場とつながっていたいのだろう。人間は決して一人では生きられないのだから。

 この病気になるまでは、仕事プラス息子中心で、自分のこと(可哀想ながら夫も含む。)は知らず知らずに後回しになっていた。 さすがに最近は自分の時間、自分の好きなことに使う時間を大切にさせてもらうようになったから、いろいろなことを我慢している、というストレスは殆どない。もちろん治療のためにあきらめなければいけないことは沢山あるけれど、それは致し方ないことで、ストレスとはまったく別のものと受け止めている。

 (病気になる前には)このまま定年になって地域とも殆どつながりがないと、定年後長い時間を過ごす居場所がなくなる働き蜂の男性と全く変わりない、いや、かえって女性であるから(女性はきちんと地域で根を張っている人たちが多い中で浮いてしまうということで)より性質(たち)が悪いかも・・・と思うこともあった。
 逆に、今はやりたい放題やっているな・・・、という(家族に対する)負い目がちょっとだけある。それでも、ストレス一杯で眉間に皺をよせて無理やり頑張ってキリキリ、イライラしているより、家事や雑事はうまいこと放り投げてでも、ニコニコ笑っているほうが家族ともども免疫力アップなのだろうな、と勝手に都合の良い解釈をしている。

 今では、これまで生きてきて好きでやってきたことの中から、体調と相談しつつ細々と再開を考えている合唱もそうだし、患者会とのつながりもそう。もちろん仕事も家族も私にとって掛け値なくとても大切なものだけれど、それだけで100パーセントにはしないつもりだ。

 新しいことを始めること、自分を磨くことをあきらめず、もちろんあまり頑張りすぎず、ちょっぴりだけでも欲張る気持ちを保ちながら、少しでも楽しい毎日を送ることこそ、今の自分にとって一番ストレスのない大切な生活だ、と思っている。


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2010.5.12 普段言えないこと

2010-05-12 18:38:47 | 日記
 今日は午後から息子の授業参観と保護者会だった。
 年間予定表を見たときに「水曜日は通院日なので、時間が間に合えば休みを取り直す必要がないから行きたいけれど、月初めで採血やらレントゲンやらがあるから、たぶん間に合わない。申し訳ないけれど休みをとって行ってもらえないかしら。」と、夫にお願いしていた。
 結局、私は出張の会議が入ったことで通院日は一昨日の月曜日に繰り上げたのだが、出席できないことは変わりなかった。

 昨年は病気休職明けすぐで、休みがなくて行けなかったし、一昨年は夫も私も仕事の都合でどうしても行けなかった。そんなわけで、私はいまだに中学校になってからの息子の授業参観をしたことがない。息子に聞いたらこれが最後だということなので、一度も参観せずに中学校が終わってしまう。とんでもない母である・・・。

 今回息子に「私は残念だけど会議で行けないので、お父さんに行って貰います。」と伝えたところ、やけにうろたえていたので訝しく思っていた。

 担任の先生から「ちょうど母の日も近いし、日ごろお母さんたちに言えないけれど、言っておきたいことを手紙に書くように。」との指示があり、その手紙をサプライズとして保護者会で渡す、ということだったようだ。
 息子は私宛に書いたものを先に夫に見られてはちょっと・・・、ということで慌てたらしい。

 彼の普段言えないけれど言いたいこと、は下記のとおり。
 封筒に入った〔Mother’s Day〕と飾り文字の小さなカード。左下隅にはカーネーションの絵。
「いつも迷惑かけてごめんなさい。がんに負けないで長生きしてください。」とカードの上5分の1くらいに2行だけ。〔From “名前”〕 とあった。
 またしても、やられたなあ・・・、である。

 ついでに先日の実力テストの結果もしっかり返されていた。
 これについては、1年間ノートすらとらなかったのだから・・・、と覚悟していたが、昨年の同じ時期と奇しくも同じ順位。いやはや、なんとも理解に苦しみ、どうしたものか、である。
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2010.5.10 ハーセプチン92回目

2010-05-10 20:00:32 | 治療日記
 今日は、ショートのかつらを被って出かけた。そろそろ自毛デビューの準備をしたいが、職場に被っていくとまたミディアムロングには戻れないので、試しに通院から、ということで。が、通勤時間なので致し方ないとはいえ、最寄り駅で早速職場の関係者に会ってしまいちょっとがっくり。
 月初めの採血、レントゲンの後に診察だったが、採血の待合が既に椅子に座れないほどの混雑だったので、受付後、先に胸部レントゲン撮影に回った。撮影後、採血に戻り30分ほど待った。内科受付後、診察室に入ったのは病院に入ってから3時間ほど経って、既にお昼を回っていた。
 それにしても毎週通っていると、先週来なかっただけで(わずか10日間なのに)とても久しぶり、という感じがするのは不思議。

 先生から「咳はその後どうですか。」と問われ、「大丈夫です。それ以外も特に変わったことはありません。」とお答えする。レントゲンの結果は、やはり右、左とも影がはっきりして大きくなっている感じ。(いよいよ薬のチェンジか・・・)と思ったところ、通常は腫瘍マーカーの結果がわかるのは翌週なのだが、待ったかいがあって今回はデータが出ていた。先月より2割弱下がって正常範囲内に戻っていた。先生がおっしゃるには「咳が続いていて、レントゲンの影と腫瘍マーカーの結果が3つ揃ったら薬を変えよう、と決めて家を出たのですが、また、判断に悩みます。」とのこと。「次の薬はヒスロンだと思いますが、これまでフェマーラ、アロマシンともそれほど長く効いていないのでこれでヒスロンが効かない、となると次の薬はどうなりますか?」と質問する。「ハーセプチンプラス抗がん剤(ナベルビン)か、アンスラサイクリン系の抗がん剤になりますが、体への負担が大きいので。」とのこと。ヒスロンも体重増加とムーンフェイスが副作用。この病気にとって肥満は大敵なのに・・・と複雑な気持ちになる。

 ようやく明日で職場復帰1年になる。これまで年休でしのいでいたが、すでに残日数は風前の灯。やっと次回からは病欠が取れることになるのだが、実に綱渡りの1年だった。前回、今日診断書を受け取れるようお願いしていたばかりで、また程なく更なる上乗せのきつい治療というと、仕事を続けていくのにちょっと辛い・・・、というのが本音だ。もちろん、そんなことは言っていられない事態になれば治療優先は重々承知の上だが。
 それでも3つ(肺の影、腫瘍マーカー、咳)のうち2つ(腫瘍マーカー、咳)が改善されていたので、あと1ヶ月粘ってみましょう、とアロマシンを1ヶ月処方して頂いた。

 処置室に移動すると、点滴椅子は少なくともあと1時間以上は空かない、ということで、院内のレストランで昼食をとる。1時間ほどして戻ってはみたが、まだ空いておらず、ベッドなら・・・、ということで今日はベッドで(体操座りで)点滴を受けることにする。待ち時間から頭痛があり、点滴開始前に頭痛薬を飲んだ。

 途中で30分ほど横になってしまったので、今日は2冊のみ読んだ。
 1冊目は桐野夏生さんの「東京島」(新潮文庫)。「キリノ版創世記! 孤島には31人の男とたった一人の女」との帯。それにしてもいやはやすごい想像力と筆力!圧倒されながら一気読み。極限状態の心理描写にいつも驚かされる。解説の佐々木敦さんも書いておられるが、「実に怪物的な想像力と筆力を兼ね備えた彼女のビブリオグラフィにおいても疑いなく特異なポジションを占める。読んでしまったことが、読者にいかなる衝撃を惹き起こし、いかなる余韻を与えるか、いかなる忘却不能な記憶を生じさせるか、その意味でこの小説がもつ力は、あまりにも量り知れない。」 完璧なラストは読み始めには予想もつかない。堪能した。今夏映画化というが、いったいどう映像化するのかまた気になってしまう。
 2冊目は和田秀樹さんの「医者をめざす君たちへ 知っておかなければ損する『現実と未来』」(PHP文庫)。「『医学部を出れば安泰』という考え方が根強いが、本当にそれでいいのか。医学部に合格するコツ、医局の実態、将来の医療ニーズまで詳細に解説」という裏表紙とブラックジャックの表紙の絵を見て、手に取った。毎週病院にお世話になっている身としては興味深く読んだ。とてもとても現場の先生方の働き方を見ていると、偏差値が高いから・・・などとは言っていられないと痛感する。

 点滴終了後、会計で30分ほど待ち、さらに薬局で30分ほど待ち・・・で、今日はいつもの終業時間に電車に乗った。実に8時間勤務。往復ともラッシュで疲労困憊。今週は明日から連続4日の出勤なので、長そうだ。
 さすがに帰宅後、すぐに家事に立てず、夫と息子の帰りが遅いことを良いことに、横になってしまった。

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