ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.5.25 生老病死 ~生まれてきてくれてありがとう

2010-05-25 20:48:38 | 日記
 大人になってしまうと、乳幼児の頃のように何歳何ヶ月という年齢の数え方はなかなかしなくなるし、冗談でなく、自分も含めて父母がいくつだったかしら・・・と、ふと考えることもある。
 もちろん父母が○歳のときの子どもということで、自分の年と父が父に、母が母になった年を足して、ああ、いくつだった、と確かめたり出来るけれど。

 かつて職場の大先輩のお姉様が、何かのときに「あら、私っていくつだったかしら・・・」とおっしゃっていたのを「え・・・そんな、自分の年を忘れるなんて・・・本当?!」と訝しく思ったけれど。自分がその年に近づくにつれて、別にとぼけていたわけでもなんでもなく、本当だったんだ、と実感する。

 そんな私に、今、自分が「何歳何ヶ月」としっかり教えてくれるのが毎週の点滴の指示書。17日を過ぎるとちゃんと前の月には○歳10ヶ月だった数字が○歳11ヶ月になっている。ああ、もう11ヶ月、来月が誕生日だなあ、と思う。

 先日来、息子が保育園児だった頃から小学校に上がりたてで、土日のたびにあちこちに小旅行をした頃のビデオを夫が楽しそうに見ている。10年近く前、勉強もテストも受験も何にも関係なくてただ元気でいてくれればいいと、とてもお気楽だった頃。本当に丸くてちっちゃくて、実に鼻ペチャで短足でもあるけれど、それもご愛嬌。
 どうして今はこんなになってしまったんだろう・・・、と素朴な疑問が湧いてくるほどだ。(今や「お金頂戴」「けち」しか言わない・・・。)

 当時、男の子にしてはお喋りが上手(要はただの“口から先に生まれたお喋り坊主”)で、ちょっと見は女の子にも間違えられそうな子どもだった。(赤ちゃんの頃に比べれば、当然のことながら何かしたり、何か喋ったりするたびに)「お兄ちゃんになったねえ・・・」などと目を細めていたものだが、今改めて聞けば、ボーイソプラノというか実に高音で、ピーチクパーチク。(親ばか丸出しだが)とにかく可愛い声でコロコロと喋っている。
 その頃、母が「この子は声が可愛いわ・・・」としみじみ言っていたけれど、今の声変わり途中の凄みの効いた声を聞いていると同じ子どもとはにわかに信じがたい。
 本人も自分の喋り方、もろもろのしぐさを見つつお腹を抱えて笑い転げていた。

 私たちのところに生まれてきてくれて本当にありがとう、と思う。
 「本当に沢山楽しませてもらったよね・・・」と私。もちろんビデオの中では夫も私も断然若くて健康そのもの。
 当時は、この子が成人するまで生きられるだろうか・・・などとはゆめゆめ考えたこともなかった。「この頃の記憶がなければ、今のあの不機嫌で生意気な生き物には耐えられないよなあ・・・」と夫。しみじみ語り合い、写真だけじゃなくてビデオがあって、生きた声が聞けて、動きがわかって元気な姿を残しておけるものがあって、本当に良かった、と実感。

 そう、生老病死。みんなこうして大人になって、老いていくのだなあ、と48歳11ヶ月の私は思う。

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2010.5.23 第9回あけぼのハウス講演会参加

2010-05-23 21:26:14 | あけぼの会
 今日は朝からあいにくの雨だったが、第9回あけぼのハウスで渡辺亨先生(浜松オンコロジーセンター長・腫瘍内科医)の講演会に参加してきた。
 講演会は先着100名、1時半からの開始だったが、1時過ぎに到着すると、既にランチ会から参加されていた方たちで殆どの席が埋まっており、まもなく開始。間に合って良かった・・・と胸をなでおろした。

 第1部は「再発を抑える最新のホルモン剤・抗がん剤について」、 第2部は「セカンドオピニオンを得る前に知っておくこと」という演題だった。
 冒頭第1部は、乳がんはER(ホルモン受容体)、Her2タンパク受容体の有無により4,5種類に分類されるという前提条件、乳腺の構造等についてのおさらい。その都度質疑応答を繰り返して頂きつつ、Her2、CT画像の見方、アロマターゼ阻害剤の仕組などについて分かり易く説明された。
 第2部では、セカンドオピニオンを得ようと思うときを “今受けている治療あるいは提案されている治療でよいのか”“示された選択肢から自分で選ぶ場合”“治療に納得がいかない場合”“説明が不十分で不安”“夢の治療があるのでは”等のパターンに分けてお話された。
 民間療法については百害あって一利なし、わけのわからないものは現に服用している薬が効くのを抑えてしまう物質を含む可能性も大きいとのことだ。また、病気や治療を「知っている」ということと、病気や治療を「理解している」ということは違うことで、自分の病気のタイプと治療については知っておく必要があるが、理屈までは理解する必要はない、とのお話に納得した。また「主治医に(セカンドオピニオンが)頼みにくい」と思うこと事態がおかしいとおっしゃっていた。その都度どんどん手が挙がり、一問一答が繰り返された。

 私は再発・転移時に自分としてはかなりきつい精神状況の下(自分の再発と息子の中学受験がまさにどんぴしゃ重なっていた)、セカンド・オピニオン、サード・オピニオンを取りに走り回った経験があるので、これからセカンドオピニオンを取ろうかどうしようか、と迷っている状況ではないが、当時のことをいろいろ思い出しながら興味深く聞いた。

 初発時は、近所のクリニックが紹介状を書いてくれたこの地域では大きな総合病院の外科外来。病院のHPで調べると、主治医は消化器外科専門であり、乳腺専門医ではなかった。それでも乳がん治療の実績もある程度あり、寡黙な穏やかな先生だったので、信頼して3年近く通った。先生は「早期なのですぐにどうこうなる段階ではないし、まだ十分に時間があるから、切る前にセカンドオピニオンを取って頂くことに関してはこちらは全くかまわないけれど、どうしますか。」と言ってくださった。当時の私は恥ずかしながら全くの不勉強で、目前に大きな仕事も控えていたので、とにかく早く切って欲しかったし、(切ればある程度おしまい、と思っているほど実に認識が甘かったのだ。)主治医の第一印象が悪くなかったので、自分の勘を信じてこの先生と頑張っていこう、と思った。

 しかし、術後1ヶ月半にわたる放射線治療も終わり、70日ぶりに職場復帰をし、2週に1度だった通院が、月1になり、さらには2ヶ月に1度になっていく。いつ行っても待合室には患者が溢れ、とてもお忙しそうな中、話らしい話は殆ど何も出来ないし、ちょっと気になったことをメモして行っても、いちいち1ヵ月半前にはこれこれこうで、それでも2週間前にはこうなって・・・とはなかなか言い出し難かった。

 再発・転移の告知の時、主治医から「(再発・転移は)間違いないと思います。すぐに入院して、抗がん剤治療を開始するしかないと思うが、セカンドオピニオンはどうしますか。」と聞かれ、正直迷った。それでも唯一ひっかかったのは、使用予定の抗がん剤の組み合わせをその場ではっきり教えてくださらなかったこと。(その頃には私も少しは勉強していたので)抗がん剤の組み合わせにより副作用もいろいろ違うし、何を使うのかその場で明確に示されないまま“全てお任せ、即入院”はどうしても納得できなかった。

 いずれにせよ息子の受験が既に始まっていたので、落ち着くまで2週間は入院が厳しい旨お話して、2週間後に入院予約をして、一旦病院を出た。「今までの経緯もあるし、遠い病院にはこれからずっと通い続けられるか分からないし、無理して転院しなくてもいい。・・・それでも高校のメーリングリストには医療関係者が多いので、一応SOSを出して意見を聞いてみる。」と言う私に、夫は「今の判断はこれから長く生きられるかどうかの大事な分岐点ではないのか。」と言い、息子の受験で頭が一杯で安易に結論を出しそうな私を留めてくれた。
 そして帰宅後、すぐに高校時代のメーリングリストに助けを求め、医師である友人から「一旦治療を始めてしまったらなかなか戻れない。今、決めた方が絶対に良い。」とわざわざ電話で背中を押してもらい、受験の合間に2つの病院からセカンドオピニオン・サードオピニオンを得ることができた。

 そして、その後十分に納得して治療を受けてきた今の私がある。
 この病気は主治医とのお付き合いが長くなる。特に再発したら、ある意味生きている限りずっと、である。少しでも不安があれば治療に良い影響があるわけがない。私は思い切ってセカンドオピニオンを得て、転院して本当に良かった、と思う。今では万一主治医が転勤されれば、その病院まで追っていくだろう、とさえ思っている。

 主治医は「今後抗がん剤投与のため白血球(中の好中球)が下がった場合、その後来院しても抗がん剤が投与できず、結果として好中球増加の注射をするためにだけの来院に往復3時間をかけるのは大変だから、そういう時には、元の病院が一番近いし、その注射だけでも引き受けてもらえれば良いと思う。それには今後も元の病院と関係を切らずにいた方が良いから・・・」と、今でも元の主治医に経過を連絡してくださっている。本当にありがたいことだ。
 もちろん私は最初の主治医と喧嘩別れをしたわけでない。きちんと挨拶をし、セカンドオピニオンを頂きに行く病院名も医師名も明確に告げて紹介状を2通頂き、フィルム等の貸与についてのお礼と今後何かあった時にもどうかよろしくお願いしたい、という手紙も書いて転院したので、関係がぷっつり切れたとは思っていない。

 講演ではその後、予定にはなかった「第3部 姉を看取って」というお話があった。何ということだろうか。わずか3日前の20日夜、先生のお姉様が再発乳がんでお亡くなりになったとのこと。2000年6月にご自身で見つけられ、リンパ節に12/13の転移があったそうだ。その2年後の10月に左鎖骨リンパ節、肝臓、骨転移。以来8年間ホルモン治療、抗がん剤治療を繰り返し、このゴールデンウィーク明けから肝不全が悪化、2週間の入院で永眠されたという。先生は時折声を詰まらせながらお話になり、思わずもらい泣きをしてしまった。
 当初からリンパ節転移があったので、予後が悪いのは明確であったが、出来るだけのことはやった、医師と患者でなく、家族として(抗がん剤治療中の脱毛等の辛い姿を)見ることを経験したと話された。2年後の再発に際しては来るべきものがきた、と冷静に受け止め、出来ることを1つ1つ行った。姉は全面的に弟(先生)に任せ、全く心配していない、と言っていた。姉だからと特別な治療を施したわけではなく、30年の医療者としての経験に基づき、局面々々で最良と思われる治療をしてきた。最期は自宅で看取るということも考えたが、母が高齢で介護に限界があった。ホスピス発祥地である浜松であるのにホスピスは紹介状を要するなど敷居が高く、現実問題として「来るな」と言われているようであった。臨終にも立ち会ったが、やはり主治医がきちんと宣言をしないと次のステップに進めない、と目頭を押さえながらお話をされた。
 再発治療は「しぶとく、あきらめず、あわてず」ではあるが、痛みが出てからの緩和治療にスムーズに移行し、さらには終末期医療にシームレスに移行する安心、安全、安楽の医療体制がないということを実感し、それを構築する必要があると思い、オンコロジーケアハウスの設立を考えている、とのこと。たまに「先生の家族だったらどう治療されますか。」と質問されることがあるが、これはまったくナンセンスなことであり、家族であるなどは関係なく、患者は皆同じである。一番良いと思う治療をしていくのだ、とおっしゃった。
 乳がんが再発したことは確かに運は悪かったかもしれないが、不幸ではない、やる手立てはある、と実感して得がたい経験をした、とお話を結ばれた。
 
 まだ初七日も終わっていない状況であろうに、その後更に30分も相談の時間もとってくださり、先生は本降りの雨の中、浜松までお帰りになった。本当に感謝の言葉もない。心から「ありがとうございました。」と言ってお見送りした。

 お話の後、会長さんがご挨拶。「再発して8年(生きる)、すごい時代になりました。」とおっしゃった。私が患者になって6年目。再発して2年半。この間ですらもの凄い医療の進歩を感じる。そう、再発したって8年どころかこれから10年、20年生きられるかもしれない。再発治療中の事務局Tさんの言葉にはそんな信じる力を感じた。

 また今日も沢山の元気をもらえて嬉しく思う。
 会場がちょっと自宅から遠いのが玉に瑕なのだが、本当に行きたい、行くべきだという気持ちがありさえすれば(そして送り出してくれる夫と息子に感謝しつつ)、距離は関係ないのだな、と思う。それは毎週通う病院も同じことだ。
 転院し、こうして納得して治療が受けられていることを本当に幸せに思う。
 そしてあれこれと先を思い煩うよりも、新たな事態に直面してから考える。それからで十分間に合うし、これが一番。今の正直な気持ちだ。


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2010.5.22 1年半ぶり自毛街歩き

2010-05-22 17:49:49 | かつら
 今日は2ヶ月ぶりでかつらのお手入れに出かけた。
 昨日に引き続き外はすっかり夏空。「だいぶ暑いので、出来れば思い切ってかつらをとってみたいのだけれど・・・」と相談。「うーん・・・」と担当さん。「(私が)本当にいいならやるけれど(かなりのショートになるけれど)、やってみる?今のかつらの長さになるにはあと1年以上はかかるから、どこかで決断しないとね。」ということで、ほぼ1年半ぶりに美容院でのシャンプーカットブローとなった。
 本当に他人(ひと)にシャンプーしてもらうと気持ちが良いものだ。すっかりリフレッシュすることができた。

 ホルモン剤(女性ホルモンを抑制するアロマターゼ阻害剤)を飲んでいるので、トップとフロントは特に伸びが遅いそうだ。この部分は女性ホルモンが関係しているという。なるほど、それで男性は頭頂部が薄くなっていくのだ、と実に合点がいった。だから女性は年齢を重ねても、男性のような禿げ方はしないのだ、と。逆に、禿げない男性はそれなりに女性ホルモンがある、ということか。ホルモンとは実に不思議だ。

 確かに男性ホルモンが関係しているサイドや後ろについては、私も昔のようなしっかり太い髪の毛が伸びているのに、前と上(つむじあたりはあまり自分では見えないのだが、今日鏡を見せてもらったらかなりつむじが大きく目立っていた。髪の毛が少ない、ということだ。分け目はつけないほうが良いとのこと。)は、チリチリとした細い髪の毛で長さがかなり短い。これは結局のところ切ってしまわないと直らないそうだ。それをなるべく目立たないように沢山切りすぎないように・・・、と今の状況で出来る限り、というスタイルに仕上げてくれた。

 これからもホルモン剤を飲み続けていくということは、ホルモン剤が効いているということだし、ホルモン剤を飲まなくなるということはつまり抗がん剤だけの治療になる、ということだから、やはりホルモン剤は飲み続けていられたほうが良い。薬を飲んでいてもあと2年くらいすれば、元のとおりになるだろうとのこと。長い時間だ。

 こんなこと言って見た所で仕方ないことは百も承知の上だけれど、病院での「髪は抜けるけれど、また生えてきますからね。」という説明だけでは絶対足りないと思う。確かにまた生えてくるけれど(中には生えてこない人もいるらしい。)、実際に自分の髪の毛で外に出られるようになるまで1年半から2年かかる、ということは誰も教えてくれない。もちろん命あっての話だから、とはわかっていても、である。2年かかってやっと元通りになって、また脱毛する治療・・・となったら、と思うとやはり哀しい。

 さて、すっかり今風のショートヘアにして頂き、なんだか別人になったようだ。「それにしても自分ではここまで綺麗にブロー出来ないなあ・・・」と言ったところ、「これからは1センチ伸びてもだいぶブローしやすくなるから、普段仕事に行っているときはかつらをかぶりつつ、土日の休みは自分でだんだんブローに慣れるようにしていくといいかも。また、次回はカラーを入れると髪の毛が扱いやすくなるかもしれない。」とのアドバイスを頂いた。あわせてかつらも別室でシャンプーブロートリートメントしてもらって手元に帰ってきた。生き返ったかつらは袋に入れてもらって、思い切ってブローしてもらった自毛で店を出た。

 外に出た。かつらなしで街を歩いたのは実に1年半ぶり。勿論そんなこと他の誰も気にしていないのだけれど、なんだか本当に久しぶりに5月の爽やかな風を自分の頭皮で直接感じて、風にさらされるとちょっと頼りないような気がして、手を触れるとすぐに自分の皮膚で。隔靴掻痒ではないけれど、かつらの上から頭を掻いてもイライラするばかりだったので、とても嬉しくて、涙が出そうになってしまった。
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2010.5.21 朝ごはんの効用

2010-05-21 18:51:28 | 日記
 先日、息子の保健体育の授業で抜き打ちの朝食喫食調査があったらしい。なんと「ボクが一番バランスよく品数が多かった。」というので驚いた。

 恥ずかしながら、我が家では朝からご飯を炊いて和食のおかずを作って、という準備はとても出来ない。子どもの頃からご飯よりパンや麺類が好きだし、当然「朝はパン食」でずっと過ごしてきたので、結婚してからも子どもが出来てからも、土日のブランチ以外朝におかずらしいおかずなどはない。仮に頑張って作っても誰も時間がなくて食べないだろうし、お昼のお弁当とかぶってしまうのもなんだから、ということで良しとしている。

 基本はパン(夫と息子はたまにシリアル)、紅茶、ジュース、牛乳、ヨーグルトに果物1,2種類のみ。私は「乳がんと牛乳」を読んで以来、牛乳とヨーグルトを抜いているのでさらに寂しい。

 それが本当に一番?という感じ。その後、先生から「あとは、たんぱく質が入っていれば満点!」と言われたそうだ。それは承知の上。温泉卵をつけるなりハムチーズトーストくらいにはしてあげたいものだが、息子を見ていると、朝の時間帯(起きてから家を出るまで30分弱)にはとてもそんなに食べられそうにない。殆どの子がパンと牛乳だけだったり、味噌汁とご飯だけだったらしい。パンだけとか抜き、という子も。

 遠くから通っている子も多いので、お母様たちも「もっときちんと食べさせたい・・・」とは思っても、実際のところとても余裕がないのだろう。息子はドアツードアで一時間ほどだが、近い方に入るようだ。おそらくうんと早起きで、余裕できちんと食事をしてこられる、なんていう男子中学生は珍しいのだろう(と、我が息子を目の当たりにしていると、そうだ・・・と信じたい。)。

 その後、おまけの話があって、「君はこの中で一番ちゃんと朝ごはんを食べているようだから、成績もきっと良いのだろう。」と言われたそうな。「学年順位は?」と聞かれ「○○番です。」と答えると、「ふーん(少しがっかり・・・)。」。「じゃあこの前の朝の10分間テストはどうだった?」で「満点が○回でした。」「ほう(ちょっと持ち直し)。」。最後に「で、部活は?」と聞かれたそう。
 先生のシナリオとしては「(きちんと朝ごはんを食べて成績も良く)運動部でレギュラー活躍!」が最も期待していた答えだったようだが、息子が「鉄研・・」と答えたとたん、クラス中爆笑だったそうだ。

 なんとも、先生の理想の授業には役立たなかったようで・・・。
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2010.5.19 ハーセプチン93回目、ゾメタ36回目

2010-05-19 19:05:42 | 治療日記
 今日は午後遅くに雨、という予報だったが、家を出るときに既にパラパラと雨。
 内科受付から30分ほど待って診察室へ。前回は月曜に変更していたので9日ぶりの通院だ。

 ちょうど先週の水曜日の朝、久しぶりに通勤時間帯に電車に乗ったところ、降りる時、突然左胸が肋間神経痛(なったことはないのだが)のようにズキンと痛み、息をするのも、ちょっと左手を動かすにも響いて酷く痛んだことをご報告。「このままどんどん痛くなったら病院かも・・・」、とかなり不安になったが、何とかお昼には落ち着き、それっきり。何だったのだろう・・・という感じだ。それ以外は特に変わったことはありません、とお話する。
 先生がおっしゃるには「ホルモン治療中ではあるけれど、骨折していたら腫れるだろうし(骨折ではないでしょう)。経過観察ですね。かつて飲んでいたノルバックスは骨に対して女性ホルモン的な働きをするけれど、今飲んでいるアロマターゼ阻害剤はエストロゲンを抑えるので、自然に減少するより早く(エストロゲンが)減少すると言われています。そのため、骨の痛みやこわばりがあるが、だからといって両者を比較した場合、統計学的に明らかに(アロマターゼ阻害剤の方が)骨折のリスクが高いとまでは言えない。よほど食生活がひどいということがなければ、(転倒に)気をつけるといっても大腿骨骨折で寝たきりになるほど、という年齢ではないでしょう。」と一緒に笑って終了。

 処置室へ移動して、点滴椅子残り1台に陣取る。ちょうどそこにある1台が修理中とのことで、今日は旧式のものが代わりに置かれていた。足を伸ばした状態でリクライニングできず、お行儀が悪かったけれど、椅子をお借りして足を投げ出した。去年酷く足が浮腫んで以来、ずっと足を下げているとどうも浮腫みやすくなってしまったようだ。
 今日はアンラッキーなことに刺針でやけに痛みがあり、針を抜いた後もなんとなく鈍痛があった。
 点滴が無事4本終了して、会計後外に出ると、すっかり本降りになっていた。遅いランチをして帰宅したのは結局いつも仕事から帰るのと変わらない時間になった。

 今日は3冊読めた。
 1冊目は桂望実さんの「明日 この手を 放しても」(新潮文庫)。19歳で視力を失った妹と兄の12年間の軌跡。吉田伸子さんの解説のとおり、性格のまったく噛み合わない兄と妹が家族2人になって、ゆっくりと変わっていく。人は変わるのだ。いくつになっても変われるのだ、と。中途失明の描写についても胸を打たれたが、不思議と読後はとてもじんわりと温かかった。
 2冊目は大西正夫さんの「放射線医療 CT診断から緩和ケアまで」(中公新書)。ここのところ病気についての勉強がちょっと不足、と思って手に取った。「でも・しか医療から第一選択肢へ」とあるように、がんの三大治療は手術、化学療法、最後の途が放射線治療。それがいまや最初の選択肢になりつつある。「見えない光で診る、治す、癒す」と帯にあったが、私も術後放射線治療でリニアック25回50グレイをかけている。微小ながん細胞は死滅した、はずだったのだが。今後もお世話になるかもしれない、ということで興味深く読んだ。
 3冊目は岸本葉子さんの「からだのじてん」(中公文庫)。「腹筋、足裏、皮膚、耳、爪、顎・・・。パーツ一つひとつに耳を澄ませ、体の部位にまつわる俗説や言い回しと日常のトラブルを織り交ぜながら、カラダとココロの悲喜こもごもを語る異色エッセイ」という裏表紙のとおり、実に面白く一気読み。

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