大人になってしまうと、乳幼児の頃のように何歳何ヶ月という年齢の数え方はなかなかしなくなるし、冗談でなく、自分も含めて父母がいくつだったかしら・・・と、ふと考えることもある。
もちろん父母が○歳のときの子どもということで、自分の年と父が父に、母が母になった年を足して、ああ、いくつだった、と確かめたり出来るけれど。
かつて職場の大先輩のお姉様が、何かのときに「あら、私っていくつだったかしら・・・」とおっしゃっていたのを「え・・・そんな、自分の年を忘れるなんて・・・本当?!」と訝しく思ったけれど。自分がその年に近づくにつれて、別にとぼけていたわけでもなんでもなく、本当だったんだ、と実感する。
そんな私に、今、自分が「何歳何ヶ月」としっかり教えてくれるのが毎週の点滴の指示書。17日を過ぎるとちゃんと前の月には○歳10ヶ月だった数字が○歳11ヶ月になっている。ああ、もう11ヶ月、来月が誕生日だなあ、と思う。
先日来、息子が保育園児だった頃から小学校に上がりたてで、土日のたびにあちこちに小旅行をした頃のビデオを夫が楽しそうに見ている。10年近く前、勉強もテストも受験も何にも関係なくてただ元気でいてくれればいいと、とてもお気楽だった頃。本当に丸くてちっちゃくて、実に鼻ペチャで短足でもあるけれど、それもご愛嬌。
どうして今はこんなになってしまったんだろう・・・、と素朴な疑問が湧いてくるほどだ。(今や「お金頂戴」「けち」しか言わない・・・。)
当時、男の子にしてはお喋りが上手(要はただの“口から先に生まれたお喋り坊主”)で、ちょっと見は女の子にも間違えられそうな子どもだった。(赤ちゃんの頃に比べれば、当然のことながら何かしたり、何か喋ったりするたびに)「お兄ちゃんになったねえ・・・」などと目を細めていたものだが、今改めて聞けば、ボーイソプラノというか実に高音で、ピーチクパーチク。(親ばか丸出しだが)とにかく可愛い声でコロコロと喋っている。
その頃、母が「この子は声が可愛いわ・・・」としみじみ言っていたけれど、今の声変わり途中の凄みの効いた声を聞いていると同じ子どもとはにわかに信じがたい。
本人も自分の喋り方、もろもろのしぐさを見つつお腹を抱えて笑い転げていた。
私たちのところに生まれてきてくれて本当にありがとう、と思う。
「本当に沢山楽しませてもらったよね・・・」と私。もちろんビデオの中では夫も私も断然若くて健康そのもの。
当時は、この子が成人するまで生きられるだろうか・・・などとはゆめゆめ考えたこともなかった。「この頃の記憶がなければ、今のあの不機嫌で生意気な生き物には耐えられないよなあ・・・」と夫。しみじみ語り合い、写真だけじゃなくてビデオがあって、生きた声が聞けて、動きがわかって元気な姿を残しておけるものがあって、本当に良かった、と実感。
そう、生老病死。みんなこうして大人になって、老いていくのだなあ、と48歳11ヶ月の私は思う。
もちろん父母が○歳のときの子どもということで、自分の年と父が父に、母が母になった年を足して、ああ、いくつだった、と確かめたり出来るけれど。
かつて職場の大先輩のお姉様が、何かのときに「あら、私っていくつだったかしら・・・」とおっしゃっていたのを「え・・・そんな、自分の年を忘れるなんて・・・本当?!」と訝しく思ったけれど。自分がその年に近づくにつれて、別にとぼけていたわけでもなんでもなく、本当だったんだ、と実感する。
そんな私に、今、自分が「何歳何ヶ月」としっかり教えてくれるのが毎週の点滴の指示書。17日を過ぎるとちゃんと前の月には○歳10ヶ月だった数字が○歳11ヶ月になっている。ああ、もう11ヶ月、来月が誕生日だなあ、と思う。
先日来、息子が保育園児だった頃から小学校に上がりたてで、土日のたびにあちこちに小旅行をした頃のビデオを夫が楽しそうに見ている。10年近く前、勉強もテストも受験も何にも関係なくてただ元気でいてくれればいいと、とてもお気楽だった頃。本当に丸くてちっちゃくて、実に鼻ペチャで短足でもあるけれど、それもご愛嬌。
どうして今はこんなになってしまったんだろう・・・、と素朴な疑問が湧いてくるほどだ。(今や「お金頂戴」「けち」しか言わない・・・。)
当時、男の子にしてはお喋りが上手(要はただの“口から先に生まれたお喋り坊主”)で、ちょっと見は女の子にも間違えられそうな子どもだった。(赤ちゃんの頃に比べれば、当然のことながら何かしたり、何か喋ったりするたびに)「お兄ちゃんになったねえ・・・」などと目を細めていたものだが、今改めて聞けば、ボーイソプラノというか実に高音で、ピーチクパーチク。(親ばか丸出しだが)とにかく可愛い声でコロコロと喋っている。
その頃、母が「この子は声が可愛いわ・・・」としみじみ言っていたけれど、今の声変わり途中の凄みの効いた声を聞いていると同じ子どもとはにわかに信じがたい。
本人も自分の喋り方、もろもろのしぐさを見つつお腹を抱えて笑い転げていた。
私たちのところに生まれてきてくれて本当にありがとう、と思う。
「本当に沢山楽しませてもらったよね・・・」と私。もちろんビデオの中では夫も私も断然若くて健康そのもの。
当時は、この子が成人するまで生きられるだろうか・・・などとはゆめゆめ考えたこともなかった。「この頃の記憶がなければ、今のあの不機嫌で生意気な生き物には耐えられないよなあ・・・」と夫。しみじみ語り合い、写真だけじゃなくてビデオがあって、生きた声が聞けて、動きがわかって元気な姿を残しておけるものがあって、本当に良かった、と実感。
そう、生老病死。みんなこうして大人になって、老いていくのだなあ、と48歳11ヶ月の私は思う。