ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.10.26 エキストラベッドは誰が寝る?

2010-10-26 18:42:51 | 日記
 息子が大きくなって添い寝が出来なくなって久しい。家族で旅行をするときには当然トリプルルームを一部屋予約する。2人では結構広いと思える部屋でも3人となると、エキストラベッドが入って応接セットが押しやられていたり、ソファがベッドに変えられていたり、とにかく狭くなってしまう。それでも息子が我が家で一番小さかった頃は、ごく普通に彼がエキストラベッドやソファベッドで寝ていた。

 だが、今では痩せっぽちとはいえ上背だけは夫を越しつつあるから、では誰がエクストラベッドで寝る?というと、私には実に分が悪いことになる。3人の中で私が身長も体重も一番小さくて軽いのだから、私が寝るのが一番道理にかなっている。息子は寝相が悪いので大きなベッドで寝ることを主張し、私もこういうときは病弱者であることを主張し、で、今や体重が一番重い一家の主であるべき夫がエキストラベッドに寝てくれている。夫は腰痛持ちでもあるから、しっかりとしたレギュラーベッドが入っているトリプルルームならまだしも、ちょっと軟らかいソファベッドなり幅の狭いエキストラベッドを目の当たりにすると(うーん、悪いな・・・)、と思いつつ、でも私もあれで寝るのはちょっと・・・と。

 居候の息子に「君はこの宿泊に金銭的には仕方ないとしても、家族の一員としてなんらの貢献もしていないのだから、遠慮がちにあれ(エキストラベッド)に寝るのが道理ではないか。」と水を向けても「お母さんはお父さんのイビキに悩まされるから、少しでも離れるために僕が真ん中に入ってあげるのが一番。」と理屈にも抜かりない。

 そんなわけで、今のところ息子と私はエキストラベッドの難を逃れているけれど、やはり私が寝るのが一番穏当なところだろうな、とぼんやりと思っている。いや、それよりなにより、息子が私たち両親と一緒に旅行に同行して、真ん中のベッドに大の字で寝てくれる時間はもうそう長くはないのかもしれない・・・。

 こんなことを書くのも、秋の旅行シーズンたけなわで、いろいろなチラシやパンフレット、新聞広告がやけに目に留まるから。根っからじっとしていられない遊び好きなのだなあ、と苦笑する。休みもとれないし、通院もあるし、もちろん息子の学校もあるから、決して遠くへは行けないことはわかっているけれど、1泊でもいいから旅行に行きたいなあ、と思う今日この頃である。

 昨日は帰宅後も胸痛がひどく、ちょっと怖かった。喉を押しつけられるような、締め付けられるような圧迫感がずっと続いてドキドキした。たまたま夫が休みをとっており、夕食の支度をしてくれたので、息子が帰ってくるまでは横になり、早目に入浴してさっさと寝てしまった。
 今はなんとか落ち着いている。それでもここ数日、食後は胃に血液がいって虚血性貧血になるのか、すぐフラフラして気持ち悪くなり、冷や汗をかくことがある。季節の変わり目なのか更年期障害なのか、困ったものである。

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2010.10.25 「転移」

2010-10-25 18:50:07 | 読書
 土曜日に久しぶりに図書館に寄り、10冊の制限いっぱい借りてきた。そのうち3冊は病気関係の本で、この3冊だけ土日で読んでしまった。

 1冊目は川上ますみさんの「にぃにのことを忘れないで -脳腫瘍と闘った8年間―」(文芸社)。去年の24時間テレビで放映されたスペシャルドラマは見た。開成中に入学、中1、中2と優等賞をもらうほどの好成績。きつい練習で評判の硬式テニス部で活躍。中3になった春、15歳で発病、その後高3の冬、大学受験直前の再発、3浪後、大学進学、そして、二度目の再発。8年間の壮絶(といってしまってはあまりに垢にまみれた言葉なのだが・・・)な闘い。こんなに勉強が好きな浩輔君が、闘病のために何度も大学受験をあきらめなくてはならなくなる。本当に神様はなんて意地悪なのだろう。それでもこうした子どもの闘病記を読むと、勝手なものでやはり病気になったのが息子でなく、自分で本当に良かった、と思う。

 2冊目は尾関良二さんの「僕は慢性末期がん『余命半年』の宣告どおりに死にたくない人におくる本」(文春新書)。47歳でスキルス胃がんで余命半年と宣告された1958年生まれの広告代理店を起業した男性の闘病記。余命宣告を受けても、その通りに死ぬとは限らない、と治療の日々をユーモラスに振り返り、前向きながん生活を説く、というもの。この本が出た時には既に告知後3年半近く経過し、現在治療継続中とあったが、その後、どうなさっているのか、読みながらとても気になった。よせばいいのに検索したところ、本が出る直前に亡くなっていることがわかって、うなだれてしまった。

 そして3冊目が中島梓さんの「転移」(朝日新聞出版)だ。
 アマゾンの紹介文によると「2009年5月26日、栗本薫=中島梓氏が、56歳の生涯を閉じた。2008年、すい臓がんが肝臓に転移し、抗がん治療をしながら、大ベストセラー「グインサーガ」や「東京サーガ」シリーズを精力的に執筆し続けた。その合間に最期の闘病記となる本書を2008年9月から2009年5月の意識を失う直前まで書き続けた。天才作家であり、主婦であり、母であった一人の女性の闘病の日々を克明に描いた命の証。」とある。

 ずいぶん前に乳がんを経験され、克服なさったことは知っていたが、恥ずかしながら彼女のベストセラーを読んだこともなかったし、亡くなって訃報欄に接して初めて転移性のすい臓がんで闘病されていたことを知った。

 冷静な筆致の中の日々の心の揺れ、前向きになろう、少しでも明るく捉えようとしつつも、日々酷くなる便秘、下痢、浮腫み、痛みなど、体の不調を前にしたやるせなさ。朝起きて、ごく小さな体調の良さを感謝する気持ち、お洒落をして出かけることの喜び、もう着ることも出来ないくらい沢山持っているにもかかわらず新しい着物を買って華やぐ女心、自分は殆ど食べることができなくとも家族のために食事を作り、自分の体のためにいかに栄養をとるか工夫を重ね、少量でも美味しいものを食べる楽しみ、実のお母さまとの葛藤などなど・・・とても書き切れないほど胸に迫るものがあった。

 こうしていろいろな方の闘病記を読むにつれて、本当に最後は皆、同じ気持ちになるのだ、と思う。
 亡くなる1ヵ月半前の日記で、下らぬストレスについて書いてあるくだり。とてもうまく患者の気持ちが記してあるので、長いけれどまとめつつ引用させて頂く。
“メールで文通をしていた知人から『自分も33キロやせた』という話がメインに書いてある。私がガンで劇痩せするのとダイエットとは意味が違う。こうしたお見舞いメールに自分のことばかり書いてある人はけっこうよくいる。とにかくこちらがガンだとか病気だとか云うことを認めようとしない、あるいは軽く見ようとする、ということで決して『相手中心』の話にしようとしない。最終的にはいつのまにか『自分の話』になっている。
 もうひとつは『実は私の80歳の父も○○癌で』『私の母も先日癌で・・・』、読んでいるとそれはお気の毒であるけれども、しかし私もなんとなくともに80歳代に追放されたような、一挙にその人の父母の世代に追いやられるような気を起こさせるような人。
 そしてもう一つは『自分が認めてやっているからな』というような、なんというか上から上からものを言う人だ。これは別段メールとか手紙に限らないけれども、ことに文字というものは、感じのいい文章を書くのがとても難しい、気をつけなくてはいけない。基本的には、ひとは、ひとのことなんかどうでもよいのだ。・・・結局いまは3人に2人がガンにかかるという世の中で、ガンなど珍しくもなんともない。ああ、あの人もそうなんだ、というくらいが関の山だ。べつだん、ひどく冷たいものに世間を見て生きてゆこうとも思わないけれども、ひとが『好意』だと思って見せてくれるものであったりするものが、病人当人にとっては、好意でもなんでもなく、ただの押し付けであったり、共感の押し売りであったりすることも多い、ということは自戒しておくべきだろう。そういうときによくお茶の『淡交』という言葉を思い出す。そう、世の中は『淡交』でいいのだ。濃く深い交わりをする相手、などというものはこの世にほんの数人いればいい。”

 それにしても昏睡状態に陥る3日前までパソコンのキーをたたき、冷静に日々を綴る強靭な精神力。それが叶わなくなった後、判読が難しいほど乱れた手書きでの2日間の日記。記録魔と自身を称する彼女の最期を想うと、本当に切ない。私もどちらかと言えば記録のための記録をするようなところがあるので、わかる、といってはおこがましいのだけれど・・・。奇しくも30年間連れ添ったご主人のがんの手術が終わったのが昏睡状態に入る20日ほど前。ご主人の入院・手術がどれだけのダメージであったのだろう、と思わざるを得ない。

 こうして毎日ブログを書きつつ、私はいつまで書き続けることが出来るだろう、と考えることがある。かりに入院しても、書きたいと思える限り、そして書くことがあり書くことが出来る限り、書き続けていきたいと思う。
 出先でも使えてブログを更新できる軽くて小さなパソコンをボーナスが出たら買いたいな、と思案しているところである。

 今日はここのところ忘れていたのに、久しぶりになにやら胸の圧痛が酷く、息苦しさを感じる。どうしたのだろう。今だけのことなら良いのだが・・・。

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2010.10.24 500色の色鉛筆、その後

2010-10-24 17:22:54 | 日記
 昨年6月に通販を始めた頃はずーっと先のことだと思っていた500色の色鉛筆。全てが揃うまで、早くも残り後3ヶ月になった。もう425色が揃っていることになる。“飾る”棚も合わせて準備していたのだが、取り寄せてみて初めて、一度飾ってしまうと飾るだけで取り出して使うことが出来ないことがわかった。そ、そんな・・・という感じ。パンフレットを見るだけでは、出し入れ自由で飾っておけるものだと思っていたのに・・・。

 商魂たくましいというか、そういう需要があって当然なのだろうけれど、今度は“使う”ための25箇所に分かれた小さいボックスが新しく発売になった。飾るだけか、ずっと使い続けていくか(ただ鉛筆削りで削ってしまうほど使って長さがまちまちになって、あとは美しく飾れなくなってしまうだろうから)、一度だけ使ってから飾るか、それが問題で、悩んでいる。だからといってあと1セット買い揃えるとなると、また20ヶ月かかるのでどうかと・・・。

 ところで、以前にこの色鉛筆を一緒に揃えている友のことを書いた。この秋から息子さんは新しい一歩を踏み出したとのこと。もちろんこれからも2人にとっていろいろ辛いことはあるだろうけれど、友人も少し吹っ切れた様子。ずっと気になっていたので、本当に安堵した。

 年末には、息子が部誌の電車乗車記を書くために(受験生なのに、本当に大丈夫なのだろうか・・・という一抹の不安は残る。中学受験のときは元旦1日しか休みがなかったのに。)出かけて行くところがたまたま彼女の郷里だ。私たちは“青春18切符”で延々と大回りをして現地に到着予定の息子には同行せず、新幹線で現地で落ち合うことにしている。ちょうど彼女の帰省にあわせて、久しぶりにみんなで会えることを今から楽しみにしている。

 結局、迷った末、“使う”ための小さなボックスを申し込んだ。一通り使うことを楽しんでから飾る、私の好きな一粒で2度美味しい、にすることにした。

 体調であるが、夜中にふくらはぎが2度ほど攣り、とても辛かった。起床後も今度は足の裏が酷く攣ってしまい、大騒ぎ。昨日は2ヶ月ぶりにリフレクソロジーに出かけた。知らず知らずのうちにカテーテルとポートを入れた首と右胸部分をかばっているのが足裏にも出ていたようで、首、胸、上半身に疲れがたまっている、とのこと。また、抗がん剤をデトックスするために大車輪で働いているのか腎臓も疲れているらしい。しっかりほぐしてもらい、すっかり体が緩んだ。帰宅してからは夕食後に本を読みつつ、なんとどのくらいぶりか記憶にないほど久しぶりにうたた寝をしてしまった。
 夜寝る前に水分をしっかりとり、靴下を履いて暖めて寝れば足が攣ることはあまりなかったのだが、これもナベルビンの副作用かどうか、次回の外来で先生に確認してみようと思う。

 今朝も目覚ましをかけずにたっぷり眠った。猛暑の間の睡眠不足が今頃になって響いているらしい。
 金曜日に校外模試が終わってすっかりまた気分が緩んでしまった息子は、お友達と朝から出かけたので、こちらは家事が実にはかどった。

 昼からとても久しぶりに骨盤調整ヨガに参加し沢山の気持ちよい汗をかいた。帰りに夫と「ナイト&デイ」を観てきた。開演10分前に待ち合わせしていたのに姿が見えず、携帯は鳴らしても出ず、まさか、と思って自宅に電話したところ、うとうとしていたとのこと。あわてて家を出て、なんとか本編が始まる時間には間に合ったけれど、人騒がせな人だ。

 映画自体は荒唐無稽といえば荒唐無稽なお話だったけれど、息もつかさぬジェットコースター・ムービーという感じの2時間弱。齢50近くになったトム・クルーズとアラフォーのキャメロン・ディアスの体を張った演技にはちょっと気の毒な感じもしたけれど、十分楽しめた。

 明日はお天気が悪そうだ。そしてその後は冷え込むらしい。今週で10月も終わりだ。

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2010.10.23 ビデオと写真

2010-10-23 07:03:00 | 日記
 先日、夫が息子の小さいときの家族旅行のビデオを見ながら呟いた。
 「こんなふうにビデオを見ていると、そこに出てくる人のことを忘れることなんてできないよね。」と。「そうそう、私がいなくなったら、私が元気に出てくるビデオなんかじーっと見ていちゃだめだよ~。」と答える。

 カメラで撮った写真の人は動かないし、喋らない。そしてその一瞬の構図は写真とともに覚えていても、その前後のことについては時間とともになんとなく忘れていくものだろう。けれど、ビデオの中の人は動くし、喋る。二次元であることに違いはないけれど、声も、そしてその佇まいすらなんとなく伝えてくれる。だから、一瞬のことだけでなくその前後のことなどもしっかり思い出してしまう。

 高校時代に続けて亡くなった3人の祖父母の声を、私はもうはっきりは思い出せない。
 昔のことだからビデオなどなく、テープに残った声はあったけれど、録音状態はあまり良くなかった。なんとなく、こんな感じだったかな、と写真を見ながら思う程度だ。ただ、身近に仏壇があるわけでもアルバムがあるわけでなし、申し訳ないけれど30年以上前のことになると、そうそう年中思い返すわけでもない。もちろん記憶に刷り込まれた一瞬一瞬のことはふと思い出すことはあるけれど・・・。

 息子が産まれて以来撮ってきた写真のフィルムは一体何本になるのだろう。
 5冊セットの紙焼き写真の差し込み式アルバムの№は200には満たなかったけれど、とにかく1日1本近くのペースで撮っていたと思う。デジカメに変えてパソコンで保存をするようになるまでは、日常のスナップ以外にも旅行のたびにきちんと独立したアルバムを作って資料も一緒に貼り付けて整理していた。「このままでは納戸の床が抜ける!」と夫に説得され泣く泣くあきらめてデジカメ・パソコンに移行した。
 それと同時に日々や旅行を撮影したビデオも200本を数える。

 写真でもビデオでも、撮ってしまうとそれで満足してしまい、その後繰り返し取り出して見るということはそうはない。まして、パソコンの画面で見る写真は何かもの足りなく感じる。それでも、たまに昔のビデオを取り出してみることがある。
 夫は結構何時間でも嬉しそうに見ているが、私は見始めるときりがないし、あっという間に時間が経ってしまって他のことが出来なくなるので、なるべく見ないようにしている。それでも、息子の小さい頃の可愛いしぐさやお話しする様子を見ては「ああ、可愛かったなあ・・・(それに比べて今は一体何なんだ、が言外に含まれている)」とため息をつく。
 だめだ、だめだ、そんな過去を懐かしんでばかりの後ろ向きなことをしていたら。とにかく、今を受け入れて前を向いて生きなくては・・・と思う。

 夫は「じゃあ、おれが先に死んでも、あなたはビデオ見てくれないの?」と聞く。
 それは別として、やはり遺された連れ合いがビデオを見てため息と涙に暮れる毎日を送っては欲しくない、と強く思う。今は亡き愛する人が声を出して喋る、笑う、怒る、歩く、走る・・・・そんな画像をずっと見ていては忘れようと思っても忘れられないではないか。もう、決して生きて戻ってこない、となったらゆっくりとでもそれを受け入れて忘れること、生きている人のその先の人生をきちんと送ることがやっぱり大切である、と思う。 
 もちろんあの時、ああしていたら、こうしていたら、という後悔の言葉が全く出てこない人はいないだろうけれど、私が先に逝ったら、夫のグリーフケアを誰がしてくれるのだろうな、ということが気になる。息子に託すにはちょっとハードルが高そうだし。
 でも、次第に忘れている時間を長くして気持ちのソフトランディングをするためには、やはりビデオは写真に比べてあまりに残酷なもののように思えてならない、というのは夫婦ともに一致した意見である。

 今日は息子は多摩川の河川敷でごみ拾いのボランティア活動。これまた去年はインフルエンザの学年閉鎖で中止となった行事で2年ぶり2回目のことだ。

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2010.10.22 夕食の意味

2010-10-22 21:32:09 | 日記
 昨夕、疲れた体に鞭打って食事の支度を始めようとしていたら、息子から「たまには夕食はカップラーメンがいい!」と言われた。(夕食作らなくていいんだ、ラッキー!)というより、(なんで・・・)と思った。
 そして息子が生まれて以来、よほど具合が悪かったり、私が不在の時以外デリバリーもとらず、ほかほか弁当やスーパーのお惣菜ばかりの夕食にしたこともなくやってきたことに一体どういう意味があったのだろう、としばし考えこんでしまった。

 仕事から帰ってきて、一度座って休んでしまうともう動くのが嫌になるのでそのまま台所に立つ。が、当然治療中の今、その何でもないことがこれまでにも増してしんどい。それでも、職住近接であり、今は殆ど残業もしていないので、私が帰宅してから、夫が都心から帰ってくるまでにたっぷり1時間はある。息子もお腹をすかせて帰ってくるので、おやつでお腹を膨れさせない前に、夕食の支度を整えて3人で揃って食卓を囲んできた。

 が、カップラーメンの夕食がいいと言う。私が作る食事よりもカップラーメンがいい、と。学校のお友達の中には食事を自分の部屋に持ち込んで1人でする子もいるという。そのお宅ではそういうことが許されているのか。長時間労働のお父さんたちは毎日家族と食卓を囲むことなど出来ないのかもしれない。だから、皆バラバラに個食しているのだろうか。
 3人で毎日の食卓を囲むことの有難みは息子には全く届いていないようだ。自分にとっては当たり前すぎて、有り難みも何もない、ということか。

 週2回の塾の日は息子の帰宅が8時半近くになるので、彼を待っていると食事は9時頃になる。あまり夜遅くに食事をすると、翌朝胃が持たれて調子が悪くなるけれど、それでも夫と私は2人で待っている。さすがに居残り指導などでなかなか”帰るコール(古いですね)”がないと待ち切れずにもう食べちゃおうか・・・、と言うこともあるが、せっかく今まで待ったのだから、やはり3人で食べよう、と待つ。

 そういう気持ち-3人で食卓を囲むということを大切にする気持ち-が、全く通じていなかったのだな、と哀しくなった。この先2人のためにどれだけ食事を作り、どれだけ一緒に食卓を囲むことが出来るかわからないから今を大事にしたい、という私の気持ちが。

 とりあえず「今日はもうご飯も炊き始めてしまったし、急に3人分を2人分にはできないから、一緒に食べて、明日カップラーメンがいいならそうしてあげる。」と言いつつ、割り切れない思いが残った。
 本当にそれだけの夕食で、いいのだろうか。夫からも食事中いろいろ話をしてもらった後、もう一度確認したけれど、やはり夕食はカップラーメンがいいと言い張った。
 もちろん、カップラーメンの食事なんか絶対だめ、とは言わない。昔に比べて種類も豊富だし、美味しくなったし、土日のお昼にちょっと食べるというのは十分ありだと思う。それでも1人で留守番しているわけでなく家族が揃っていて、他の家族が手作りの夕食を食べているのに、育ち盛りの子の夕食がカップラーメンだけでいいはずがない、と私は思う。息子はそういう夕食をしたことがないからそういう夕食に憧れるのだろうか。

 有り難みというのはそのものがなくなってからわかるものなのだ、とすれば、手作りの夕食が有難いということに気付くのは私が夕食の支度を出来なくなって、否でも応でもカップラーメンや冷凍食品等の夕食が続くことになってからでしかないのか、と切なく思う。

 今日は強い意志を持って私と夫の分だけ手作りの夕食、息子にはおかずも分けずにシンプルにカップラーメンだけの夕食にした。当然1つでは足りず、2種類を食べていた。
 それにしても、すっかり夕食作りのモチベーションが下がってしまった。昨日、今日と2日続けてなんとも砂を噛むような食事だった。

 さて、ナベルビン投与後の体調であるが、昨日はお腹の気持ち悪さは殆どなかったけれど、熱っぽい感じだった。測っても実際に熱があったわけではなかったのだが・・・。
 前回は金曜日の午後から体中が痛くてだるくて横になりたいほどだったが、今日は殆どなんともなかった。やはり8割の量ということが効いているのだろうか。
 夕方の打ち合わせが長引いて、結局1時間ほど残業までしてしまったが、帰宅後夕食の支度も洗濯も何とかこなせた。ちょっぴり自信がついた。
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