昨夜、帰宅した夫から聞いた話である。
あと2、3分で我が家に到着するという歩道橋で、小さな男の子が1人、パジャマ姿でトボトボ歩いていたのだという。
周りを見ても大人と一緒のふうではない。1人、寒空の下、パジャマにズック、という出で立ちだったそうだ。
近寄って「僕、どうしたの? 1人なの? どこへ行くの?」と聞いたところ、「駅の方、お母さんが具合が悪くて・・・、迎えにいくの・・・」とポツポツ話し始めたという。
パジャマ一枚で(良く見ると下着は着ていたそうだが)上着も羽織らず・・・。
「○野◎太郎、5歳だよ。」と名乗り、住んでいる場所の地名も言えたそうだ。そこから夫と出会った歩道橋まで歩くのに、子どもの足では10分は優にかかるだろう。しかも辺りは既に真っ暗だ。普通、その地域に住んでいれば駅まではバスか車だと思う。
「じゃあ、おじさんが駅まで一緒に行ってあげる。」と、夫は今来た道を戻り出したという。駅までの道々、◎太郎君はとても人懐っこく色々話してくれたそうだ。
聞けば、お昼は幼稚園で食べたけれど、夕飯はまだで、お母さんが具合が悪くてリハビリで・・・と。
「おじいちゃんやおばあちゃんはいないの? 誰と住んでいるの?」と訊けば「3人だよ。」と。「お母さんとお父さん?」と訊き返すと「お母さんと僕と猫。」だという。更に「パジャマだけで寒くないの?」と訊くと「大丈夫、これあったかいんだよ。」とパジャマをひっぱって得意そうに見せたという。
そしてまもなく駅に到着し「お母さんとは待ち合わせしているの?」と言うと、「駅じゃなくて・・・あ、あっちだ!」と駅向こうのショッピングモールを指差したそうだ。お母さんに逢えるまで改札で待とうか、埒が明かなかったら駅前の交番に届けようかと考えていた夫が確認すると、そこには確かにリハビリテーション科のクリニックが。
◎太郎君は以前お母さんに一緒に連れてこられたことがあって覚えていたらしい。フロントで事情を話して「○野さんは来ていますか?」と訊くと「いらしていましたが、30分ほど前に帰られました。」と。「電話番号が判れば自分から連絡してもいいですよ。」と申し出たが、「あとはこちらで連絡します。」と引き取ってくれたらしい。
そして夫は再び帰途についたという。
その話を息子と聞いて、顔を見合わせた。
冬の夜、5歳の男の子は、大好きなお母さんが出かけてしまい、なかなか帰ってこないし、お腹はすいてくるし、どうにもこうにも不安になって着の身着のままで家を出たのだろう。そう思うと胸が締め付けられる思いだ。彼にとって1人の時間は5分が1時間にも思えたのではないか。夫は思わずぎゅーっと抱きしめたくなってしまった、と言っていた(もちろんそんなことしたら誘拐犯に思われるかもしれないから大変でしょう、と息子と言ったのだけれど・・・)。 「お家の鍵は?」と訊いたらキョトンとしていたというから、おそらく鍵も閉めずに出てきたのだろう。
男の子の話から、子供を抱えて頑張るシングルマザーの姿が見えてくる。
シングルマザーが子育てをするのは本当に大変なことだというのは想像に難くない。たとえ体調が悪くても、自分のことは当然後回しになるだろう。
子供を不安にしない、というのは母親であれば第一に考える。◎太郎君がどれだけ不安になるかはお母さんが誰より判っている筈だ。それでも◎太郎君を一人置いたままリハビリに出かなければならなかったお母さんの辛さと孤独を思うと、これまたどうにもやるせない。1時間でも2時間でも預かってくれるご近所の方やお友達はいなかったのだろうか。
翻って、息子が5歳だった頃を思い出した。
保育園児だったから、必ず私か夫がお迎えに行っていた。どうしても都合がつかない時には、実家の両親にSOSを出していた。年度末、年度始めの繁忙期には、今は施設に入所している義母が泊りこみで来てくれていた。少なくとも保育園児の間、息子は1人でお留守番をしたことはない。
だから私は、決して1人で息子を育ててこられたわけではない。日中は保育園に全面的にお世話になり、普段は夫と2人で、2人ともどうしようもない時には祖父母の協力のもと、仕事を続けてくることが出来たわけだ。
そんなわけで、息子が初めて鍵を開けて1人でお留守番をしたのは1年生になってからのことだ。
小学校が終わると学童クラブに通っていた。そこでは保護者のお迎えがあれば5時45分まで預かってもらえたけれど、お迎えに来られない時には5時に1人で帰らせます、という方針だった。
私は職住近接だったから、定時に何もかも放り出して自転車を飛ばせば間に合う時間だったけれど、これが都心での仕事であれば、どう考えてもフルタイムで働いていてこの時間までに東京西部の端っこに戻ってくることが出来るわけがない。もちろん、そこで働く指導員の方たちの事を思えば、無理はいえなかったけれど、あぁ、フルタイム相手ではないのだな、と唇を噛んだことは一度や二度ではない。
だから、隣の号棟にある集会室で開かれていたお習字教室や学研教室に入れたり、我が家の下の階にいらしたピアノの先生のところに通わせたり、と少しでも息子が1人でお留守番をしなくて済むように、日々の受け皿を探して何とか切り抜けた。
この話を聞きながら息子は「小学生になっていたって、僕はお母さんが帰ってくる予定時間をちょっとでも過ぎればとても不安だった。」と言っていた。
夫はクリニックで名乗ったわけではないから、その後、◎太郎君のお母さんやクリニックから連絡はなく、2人が無事に家に帰ったかどうか定かではない。
けれど、◎太郎君は一体どれほど心細かっただろう、と思うと私までぎゅーっと抱きしめたくなってしまう。
◎太郎君が寒空の中をパジャマ姿でお母さんに会いに行くなどということが二度とないよう、二人の幸せを願わずにはいられない、なんとも考えさせられた出来事だった。
さて、ようやく木曜日。あと1日頑張れば週末である。
あと2、3分で我が家に到着するという歩道橋で、小さな男の子が1人、パジャマ姿でトボトボ歩いていたのだという。
周りを見ても大人と一緒のふうではない。1人、寒空の下、パジャマにズック、という出で立ちだったそうだ。
近寄って「僕、どうしたの? 1人なの? どこへ行くの?」と聞いたところ、「駅の方、お母さんが具合が悪くて・・・、迎えにいくの・・・」とポツポツ話し始めたという。
パジャマ一枚で(良く見ると下着は着ていたそうだが)上着も羽織らず・・・。
「○野◎太郎、5歳だよ。」と名乗り、住んでいる場所の地名も言えたそうだ。そこから夫と出会った歩道橋まで歩くのに、子どもの足では10分は優にかかるだろう。しかも辺りは既に真っ暗だ。普通、その地域に住んでいれば駅まではバスか車だと思う。
「じゃあ、おじさんが駅まで一緒に行ってあげる。」と、夫は今来た道を戻り出したという。駅までの道々、◎太郎君はとても人懐っこく色々話してくれたそうだ。
聞けば、お昼は幼稚園で食べたけれど、夕飯はまだで、お母さんが具合が悪くてリハビリで・・・と。
「おじいちゃんやおばあちゃんはいないの? 誰と住んでいるの?」と訊けば「3人だよ。」と。「お母さんとお父さん?」と訊き返すと「お母さんと僕と猫。」だという。更に「パジャマだけで寒くないの?」と訊くと「大丈夫、これあったかいんだよ。」とパジャマをひっぱって得意そうに見せたという。
そしてまもなく駅に到着し「お母さんとは待ち合わせしているの?」と言うと、「駅じゃなくて・・・あ、あっちだ!」と駅向こうのショッピングモールを指差したそうだ。お母さんに逢えるまで改札で待とうか、埒が明かなかったら駅前の交番に届けようかと考えていた夫が確認すると、そこには確かにリハビリテーション科のクリニックが。
◎太郎君は以前お母さんに一緒に連れてこられたことがあって覚えていたらしい。フロントで事情を話して「○野さんは来ていますか?」と訊くと「いらしていましたが、30分ほど前に帰られました。」と。「電話番号が判れば自分から連絡してもいいですよ。」と申し出たが、「あとはこちらで連絡します。」と引き取ってくれたらしい。
そして夫は再び帰途についたという。
その話を息子と聞いて、顔を見合わせた。
冬の夜、5歳の男の子は、大好きなお母さんが出かけてしまい、なかなか帰ってこないし、お腹はすいてくるし、どうにもこうにも不安になって着の身着のままで家を出たのだろう。そう思うと胸が締め付けられる思いだ。彼にとって1人の時間は5分が1時間にも思えたのではないか。夫は思わずぎゅーっと抱きしめたくなってしまった、と言っていた(もちろんそんなことしたら誘拐犯に思われるかもしれないから大変でしょう、と息子と言ったのだけれど・・・)。 「お家の鍵は?」と訊いたらキョトンとしていたというから、おそらく鍵も閉めずに出てきたのだろう。
男の子の話から、子供を抱えて頑張るシングルマザーの姿が見えてくる。
シングルマザーが子育てをするのは本当に大変なことだというのは想像に難くない。たとえ体調が悪くても、自分のことは当然後回しになるだろう。
子供を不安にしない、というのは母親であれば第一に考える。◎太郎君がどれだけ不安になるかはお母さんが誰より判っている筈だ。それでも◎太郎君を一人置いたままリハビリに出かなければならなかったお母さんの辛さと孤独を思うと、これまたどうにもやるせない。1時間でも2時間でも預かってくれるご近所の方やお友達はいなかったのだろうか。
翻って、息子が5歳だった頃を思い出した。
保育園児だったから、必ず私か夫がお迎えに行っていた。どうしても都合がつかない時には、実家の両親にSOSを出していた。年度末、年度始めの繁忙期には、今は施設に入所している義母が泊りこみで来てくれていた。少なくとも保育園児の間、息子は1人でお留守番をしたことはない。
だから私は、決して1人で息子を育ててこられたわけではない。日中は保育園に全面的にお世話になり、普段は夫と2人で、2人ともどうしようもない時には祖父母の協力のもと、仕事を続けてくることが出来たわけだ。
そんなわけで、息子が初めて鍵を開けて1人でお留守番をしたのは1年生になってからのことだ。
小学校が終わると学童クラブに通っていた。そこでは保護者のお迎えがあれば5時45分まで預かってもらえたけれど、お迎えに来られない時には5時に1人で帰らせます、という方針だった。
私は職住近接だったから、定時に何もかも放り出して自転車を飛ばせば間に合う時間だったけれど、これが都心での仕事であれば、どう考えてもフルタイムで働いていてこの時間までに東京西部の端っこに戻ってくることが出来るわけがない。もちろん、そこで働く指導員の方たちの事を思えば、無理はいえなかったけれど、あぁ、フルタイム相手ではないのだな、と唇を噛んだことは一度や二度ではない。
だから、隣の号棟にある集会室で開かれていたお習字教室や学研教室に入れたり、我が家の下の階にいらしたピアノの先生のところに通わせたり、と少しでも息子が1人でお留守番をしなくて済むように、日々の受け皿を探して何とか切り抜けた。
この話を聞きながら息子は「小学生になっていたって、僕はお母さんが帰ってくる予定時間をちょっとでも過ぎればとても不安だった。」と言っていた。
夫はクリニックで名乗ったわけではないから、その後、◎太郎君のお母さんやクリニックから連絡はなく、2人が無事に家に帰ったかどうか定かではない。
けれど、◎太郎君は一体どれほど心細かっただろう、と思うと私までぎゅーっと抱きしめたくなってしまう。
◎太郎君が寒空の中をパジャマ姿でお母さんに会いに行くなどということが二度とないよう、二人の幸せを願わずにはいられない、なんとも考えさせられた出来事だった。
さて、ようやく木曜日。あと1日頑張れば週末である。