朝日新聞の医療サイト、アピタルで「がんとつきあう」という連載を書いている辻さんのコラムに唸らされたので、以下ご紹介させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
「ありがたいけれど、いらだちもする」・「がんとつきあう」筆者から 辻外記子(つじ・ときこ)(2013年1月9日)
今回の「がんとつきあう」は、家族の心のケアについて取り上げました。
診断されれば、患者さん本人が大変なのはもちろんですが、「第二の患者」の家族にとっても心身共に、つらい日々が始まります。
取材に協力してくれた、妻ががんを患う男性は、こう打ち明けてくれました。
「大変だね」と親類から言われても、反応に困ってしまう。ありがたいけれど、いらだちもする。「あなたは体調の良い妻しか知らない」という言葉をのみ込んでしまうんです。本当に大変なこと、他の人にはわかんないですよね。
側にいるからこそ、一番不安定な患者を、支えなければならない。仕事や看病に忙しく、患者会などで仲間を探す時間もない。
「そうですよね」。相づちに続く言葉が見つからず、私は口ごもってしまいました。
周囲の何げない言葉が、患者の家族や遺族を傷つけてしまうかもしれない。そんな想像力を働かせることができる人が増えるように、と記事を書きました。
(転載終了)※ ※ ※
「ありがたいけれど、いらだちもする」この表現に唸った。うまい。言い得て妙だ。何よりこれは経験した人にしか言えない言葉。本当にそうだからだ。気遣ってくれる方たち、本当に有難いと思う。
けれど、「元気そうですね。」と言われれば「元気だから今ここにいられるのです。具合の悪い時は家で寝ているしかないのです。」と言いそうになり、口ごもる。
「なんだ、元気そうじゃない。ふっくらしちゃって。」と言われ「薬の副作用で浮腫んでいるのです。」とも言えず、ヘラヘラ笑ったこともあった。
だからといって「具合悪そうですね。」「大変そうですね。」と言われれば、やっぱりそう見えてしまうのね・・・と、また落ち込むのだろうが。かように患者は(私だけ?)わがままな生き物だ。
そうしたわがままな生き物(私のことです。)に付き合い、さらに、患者が元気だったら自分がやらなくて済む家事もろもろを引き受けなければならない配偶者なり家族は、第二の患者。本当に大変だと思うし、申し訳なくも思う。
まだ今のように普通の生活が出来ているうちは良い。けれど、今後もっと進行して、今出来ていることが一つずつ出来なくなって、出来ないことが増えていったら・・・と思うと、滅入るだけなので考えないことにするしかない。だからこそ、今の生活が少しでも長く続けられるように日々治療を続けているのだけれど。
夫は「大丈夫、あなたが寝たきりになってもオムツだって何だって替えてあげるから」と言ってくれる。けれど、そんな事態を想像するにあまりに情けなくて辛くて涙が出そうだ。もちろん、その時になったらそんなことを言ってはいられないのだろうけれど。先日ご紹介した「男おひとりさま道」での、上野さんの妻から見た夫の介護ボランティアのくだりと、それに対する田原さんの反応を思い出す。
本当に大変なことは、他の人は想像しようがないだろう。わざわざ傷つけようと思って言葉をかけてくれる人はいないだろうけれど、経験しなければ判らないことは沢山ある。この病気になってそれが実感出来るようになった。だからこそ、簡単に口を開けなくなる。余計なことを言って相手を傷つけてしまうより、沈黙の方がよほどいい・・・。もちろん、無関心でいるわけではないから、それだけは伝えたいのだけれど・・・、とあれこれ思い悩んでしまう私である。
言葉を操れるようになったからこそ“人”なのだろうけれど、人を人たらしめている“言葉”という道具は何より両刃の剣だ。ほんの一言の言葉に心底から救われることもあれば、たった一言の言葉に打ちのめされることもある。そのことをいつも自分に言い聞かせている。
さて、夫は新年会で夕食不要、私は久しぶりの残業ということで今日も夫婦“てんでんこ”。思いのほか夫の帰宅が早く、私の方が後になった。一人で適当な夕食を済ませ、今日も主婦休業である。
※ ※ ※(転載開始)
「ありがたいけれど、いらだちもする」・「がんとつきあう」筆者から 辻外記子(つじ・ときこ)(2013年1月9日)
今回の「がんとつきあう」は、家族の心のケアについて取り上げました。
診断されれば、患者さん本人が大変なのはもちろんですが、「第二の患者」の家族にとっても心身共に、つらい日々が始まります。
取材に協力してくれた、妻ががんを患う男性は、こう打ち明けてくれました。
「大変だね」と親類から言われても、反応に困ってしまう。ありがたいけれど、いらだちもする。「あなたは体調の良い妻しか知らない」という言葉をのみ込んでしまうんです。本当に大変なこと、他の人にはわかんないですよね。
側にいるからこそ、一番不安定な患者を、支えなければならない。仕事や看病に忙しく、患者会などで仲間を探す時間もない。
「そうですよね」。相づちに続く言葉が見つからず、私は口ごもってしまいました。
周囲の何げない言葉が、患者の家族や遺族を傷つけてしまうかもしれない。そんな想像力を働かせることができる人が増えるように、と記事を書きました。
(転載終了)※ ※ ※
「ありがたいけれど、いらだちもする」この表現に唸った。うまい。言い得て妙だ。何よりこれは経験した人にしか言えない言葉。本当にそうだからだ。気遣ってくれる方たち、本当に有難いと思う。
けれど、「元気そうですね。」と言われれば「元気だから今ここにいられるのです。具合の悪い時は家で寝ているしかないのです。」と言いそうになり、口ごもる。
「なんだ、元気そうじゃない。ふっくらしちゃって。」と言われ「薬の副作用で浮腫んでいるのです。」とも言えず、ヘラヘラ笑ったこともあった。
だからといって「具合悪そうですね。」「大変そうですね。」と言われれば、やっぱりそう見えてしまうのね・・・と、また落ち込むのだろうが。かように患者は(私だけ?)わがままな生き物だ。
そうしたわがままな生き物(私のことです。)に付き合い、さらに、患者が元気だったら自分がやらなくて済む家事もろもろを引き受けなければならない配偶者なり家族は、第二の患者。本当に大変だと思うし、申し訳なくも思う。
まだ今のように普通の生活が出来ているうちは良い。けれど、今後もっと進行して、今出来ていることが一つずつ出来なくなって、出来ないことが増えていったら・・・と思うと、滅入るだけなので考えないことにするしかない。だからこそ、今の生活が少しでも長く続けられるように日々治療を続けているのだけれど。
夫は「大丈夫、あなたが寝たきりになってもオムツだって何だって替えてあげるから」と言ってくれる。けれど、そんな事態を想像するにあまりに情けなくて辛くて涙が出そうだ。もちろん、その時になったらそんなことを言ってはいられないのだろうけれど。先日ご紹介した「男おひとりさま道」での、上野さんの妻から見た夫の介護ボランティアのくだりと、それに対する田原さんの反応を思い出す。
本当に大変なことは、他の人は想像しようがないだろう。わざわざ傷つけようと思って言葉をかけてくれる人はいないだろうけれど、経験しなければ判らないことは沢山ある。この病気になってそれが実感出来るようになった。だからこそ、簡単に口を開けなくなる。余計なことを言って相手を傷つけてしまうより、沈黙の方がよほどいい・・・。もちろん、無関心でいるわけではないから、それだけは伝えたいのだけれど・・・、とあれこれ思い悩んでしまう私である。
言葉を操れるようになったからこそ“人”なのだろうけれど、人を人たらしめている“言葉”という道具は何より両刃の剣だ。ほんの一言の言葉に心底から救われることもあれば、たった一言の言葉に打ちのめされることもある。そのことをいつも自分に言い聞かせている。
さて、夫は新年会で夕食不要、私は久しぶりの残業ということで今日も夫婦“てんでんこ”。思いのほか夫の帰宅が早く、私の方が後になった。一人で適当な夕食を済ませ、今日も主婦休業である。