昨夜遅くから雪という天気予報ははずれ、今朝は冷たい小雨。昼過ぎにはすっかりお天気になり、柔らかい陽射しに変わった。夜明けはそれほど早くなっているわけではないが、毎日、確実に日の入りが遅くなっている。
今朝の朝日新聞朝刊・天声人語が心に残ったので、以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
天声人語(2012年1月22日)
「家族は悲しみを抱きながらも仕事をし、食事を摂(と)り、時に泣き、笑い、生きてゆかねばなりません」。57歳の夫に自死で先立たれた女性の手記である。「でも日々の何気(なにげ)ない生活の中で、突然襲ってくる悲しみがあります。皿洗いをしている時、洗濯物を取り込んでいる時……」▼遺(のこ)される者に済まないと思うなら、踏みとどまる望みもある。死ぬ覚悟を転じればいくらでも出直せるはずだ――これらは、自殺を知らないゆえの小理屈だという。未遂者によれば、何やら黒いものに追われて、それどころではないらしい▼去年の自殺者が15年ぶりに3万人を割り、2万7766人に減ったそうだ。とはいえ日に76人。61年ぶりに4500人を切った交通死の、まだ6倍を超す▼希望は東京、神奈川、大阪などの都市圏で、予防の試みが効き始めたことだ。健康や生計に悩む人と専門機関を、役所の窓口でつなぐゲートキーパーが好例だろう。社会全体で「気づき」「頼れる」環境づくりが続く▼おととい101歳で亡くなった詩人、柴田トヨさんの「くじけないで」に、次の一節がある。〈陽射(ひざ)しやそよ風は/えこひいきしない/夢は/平等に見られるのよ〉。ずっと若い人が、同じ感性を持てぬ理由はない▼人間には、自らいたわればトヨさんのように、100年を超えて輝く力が備わっている。くじけずに全うする天寿は、愛し、愛された者への小さな花束ともなろう。心まで冷える冬は、誰にも巡り来る日だまりを飛び石にして。
(転載終了)※ ※ ※
数日前の、自殺者が3万人を割ったという記事に目が留まった。15年連続3万人を超えていたということは、言葉が出ないほどの重い事実だ。
ご主人に自死で先立たれたという女性の手記には、辛さを通り越したやるせなさが込み上げてくる。大切な人が亡くなっても、遺された家族が皆その後を追えるわけではないし、悲しみを堪えて日々の暮らしを続けていかなければならない。けれど、ふとした時に突然襲ってくる悲しみに、文字通り体が引き裂かれる思いなのではないか・・・と想うと心が震える。
遺される方が辛い、ということは以前このブログで書いたけれど、冷静に考えてみれば遺される方には自分の辛い気持ちを表現する術があるからであって、逝ってしまったら誰も自死以降の辛さを伝えることが出来ないから、それが表に出ないだけなのかもしれないとも思う。
確かに、死ぬ気になれば何でも出来るだろう、というのはこちら側の勝手な言い分で、追い詰められて万策尽きて死を選ぶしかなかった人には、届くことがない言葉かもしれない。
自殺してはいけない、ということも以前書いた。やはり生を受けた限り、たとえどんなに辛くとも天寿を全うしなくては、と思う。生きているのではなく、生かされている身だ。どんな状況でも必ず生かされている意味がある。生きていることが辛くても、人は生かされている限り、自らその生を断ち切ってはならないと思う。
98歳で初めての詩集を出した柴田トヨさんが老衰で亡くなった、という訃報記事を見つけた時にも小さな声が出た。はにかんだ表情がとても可愛らしい(といったら失礼かもしれないけれど)方で、「くじけないで」の詩集に続く第2集「百歳」も拝読した。
昨年来、医師からは3回も「もうもたない。」と言われながら、びっくりするほど頑張り続けて天寿を全うされた、という息子さんの言葉も読んだ。最期まで決してくじけずに天に召されたその姿は、神様のように安らかだったのだろう。
さて、今年になってインフルエンザ厳戒態勢で見舞い禁止令が出ていた義母の施設で、ようやく厳戒令が解かれたと義妹から連絡があった。週末は見舞いに行く予定だ。
昨年6月以来、毎月ショートステイを繰り返す形で施設に入所している義母も、いよいよ正式入所の順番が近くなってきたという(今回のインフルエンザで亡くなった方が一人いらっしゃるそうだ。ショートステイ棟から入居棟に移動出来るということは、つまり入居者の方が亡くなるという事実が何とも重いことだ。)。
義母はこの春92歳を迎える。一昨年の12月に倒れるまでは誰より元気印だった義母が、こうした晩年を迎えるということは、家族にとっても何より本人にとっても想定外のことだったかもしれない。義母の母(夫の祖母)は、夫と私が結婚する間際、94歳で天寿を全うした。
その母に「追いつけ、追い越せ」と常に言っていた義母にも天寿を全うしてほしい、と思う。
そして、私も最期までくじけずに病と共存しながら私の天寿を全うしたい、と思う。
今朝の朝日新聞朝刊・天声人語が心に残ったので、以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
天声人語(2012年1月22日)
「家族は悲しみを抱きながらも仕事をし、食事を摂(と)り、時に泣き、笑い、生きてゆかねばなりません」。57歳の夫に自死で先立たれた女性の手記である。「でも日々の何気(なにげ)ない生活の中で、突然襲ってくる悲しみがあります。皿洗いをしている時、洗濯物を取り込んでいる時……」▼遺(のこ)される者に済まないと思うなら、踏みとどまる望みもある。死ぬ覚悟を転じればいくらでも出直せるはずだ――これらは、自殺を知らないゆえの小理屈だという。未遂者によれば、何やら黒いものに追われて、それどころではないらしい▼去年の自殺者が15年ぶりに3万人を割り、2万7766人に減ったそうだ。とはいえ日に76人。61年ぶりに4500人を切った交通死の、まだ6倍を超す▼希望は東京、神奈川、大阪などの都市圏で、予防の試みが効き始めたことだ。健康や生計に悩む人と専門機関を、役所の窓口でつなぐゲートキーパーが好例だろう。社会全体で「気づき」「頼れる」環境づくりが続く▼おととい101歳で亡くなった詩人、柴田トヨさんの「くじけないで」に、次の一節がある。〈陽射(ひざ)しやそよ風は/えこひいきしない/夢は/平等に見られるのよ〉。ずっと若い人が、同じ感性を持てぬ理由はない▼人間には、自らいたわればトヨさんのように、100年を超えて輝く力が備わっている。くじけずに全うする天寿は、愛し、愛された者への小さな花束ともなろう。心まで冷える冬は、誰にも巡り来る日だまりを飛び石にして。
(転載終了)※ ※ ※
数日前の、自殺者が3万人を割ったという記事に目が留まった。15年連続3万人を超えていたということは、言葉が出ないほどの重い事実だ。
ご主人に自死で先立たれたという女性の手記には、辛さを通り越したやるせなさが込み上げてくる。大切な人が亡くなっても、遺された家族が皆その後を追えるわけではないし、悲しみを堪えて日々の暮らしを続けていかなければならない。けれど、ふとした時に突然襲ってくる悲しみに、文字通り体が引き裂かれる思いなのではないか・・・と想うと心が震える。
遺される方が辛い、ということは以前このブログで書いたけれど、冷静に考えてみれば遺される方には自分の辛い気持ちを表現する術があるからであって、逝ってしまったら誰も自死以降の辛さを伝えることが出来ないから、それが表に出ないだけなのかもしれないとも思う。
確かに、死ぬ気になれば何でも出来るだろう、というのはこちら側の勝手な言い分で、追い詰められて万策尽きて死を選ぶしかなかった人には、届くことがない言葉かもしれない。
自殺してはいけない、ということも以前書いた。やはり生を受けた限り、たとえどんなに辛くとも天寿を全うしなくては、と思う。生きているのではなく、生かされている身だ。どんな状況でも必ず生かされている意味がある。生きていることが辛くても、人は生かされている限り、自らその生を断ち切ってはならないと思う。
98歳で初めての詩集を出した柴田トヨさんが老衰で亡くなった、という訃報記事を見つけた時にも小さな声が出た。はにかんだ表情がとても可愛らしい(といったら失礼かもしれないけれど)方で、「くじけないで」の詩集に続く第2集「百歳」も拝読した。
昨年来、医師からは3回も「もうもたない。」と言われながら、びっくりするほど頑張り続けて天寿を全うされた、という息子さんの言葉も読んだ。最期まで決してくじけずに天に召されたその姿は、神様のように安らかだったのだろう。
さて、今年になってインフルエンザ厳戒態勢で見舞い禁止令が出ていた義母の施設で、ようやく厳戒令が解かれたと義妹から連絡があった。週末は見舞いに行く予定だ。
昨年6月以来、毎月ショートステイを繰り返す形で施設に入所している義母も、いよいよ正式入所の順番が近くなってきたという(今回のインフルエンザで亡くなった方が一人いらっしゃるそうだ。ショートステイ棟から入居棟に移動出来るということは、つまり入居者の方が亡くなるという事実が何とも重いことだ。)。
義母はこの春92歳を迎える。一昨年の12月に倒れるまでは誰より元気印だった義母が、こうした晩年を迎えるということは、家族にとっても何より本人にとっても想定外のことだったかもしれない。義母の母(夫の祖母)は、夫と私が結婚する間際、94歳で天寿を全うした。
その母に「追いつけ、追い越せ」と常に言っていた義母にも天寿を全うしてほしい、と思う。
そして、私も最期までくじけずに病と共存しながら私の天寿を全うしたい、と思う。