今日も穏やかないいお天気。暖かな連休2日目になった。
午前中、夫と息子は揃って電車で二つ目の美容院へカットに出かけた。私はその間、昨日予約していたNHK・BSプレミアムドラマ「忘れないで夢を~漫画家やなせたかしと妻・暢(のぶ)~」を観た。このドラマ枠のキーワードは「感動&泣ける」だそうだが、まさしくご夫婦の愛と絆を温かく描いた1時間で、その余韻に酔いしれた。
やなせさんが御年93歳で、現役でお仕事をされているのは皆さんご承知のとおり。コミケには行かないまでもアニメ大好きな息子によれば、「手塚治虫先生を“手塚君”と呼べる唯一の漫画界のレジェンド」だそうだ。その才能を信じ、支え続けた奥様・暢さんとの愛の日々を描いたドキュメンタリードラマだ。
やなせさんといえば、私の年代で一番記憶にあるのは「僕らはみんな生きている」の歌詞を作った方。何度口ずさんだかしれない。漫画家としてはなかなか芽が出なかった40代の頃、その歌が生まれたエピソードも紹介されていた。
そして何より、優しいヒーロー・アンパンマンには息子が本当にお世話になった。彼は保育園でアンパンマンの紙芝居を何度も見せてもらったのだろう。我が家でも床の間に乗って紙芝居ごっこをしてくれた。私と夫をその前に座らせて、彼は先生の役である。
「今日はパンパンマン(アンパンマンと言えなかった。)の新しい紙芝居です。」という口上から入り、「バタ子さんが池に落ちました。ジャムおみさん(これまたジャムおじさんと言えなかった。)が助けてあげたです。ばいきんマンがヘイヘイホー・・・」等、舌足らずで、何とも可愛さ満開(すみません。親ばかです。)だったが、何度聞いてもいつもと同じストーリーだったので、「先生、それは前と同じで、新しくないです~」などと園児役の夫や私が突っ込むと、泣き出して地団太踏んで怒ったっけ。今も思い出して笑顔になるほど懐かしい日々だ。
ドラマは20代半ば、高知県の雑誌編集部での奥様との出会いから、70歳近くになって描いた絵本「アンパンマン」がアニメ化されて大ブレイクするまで・・・。しかし、運命は残酷だ。その遅い成功と同時に奥様が乳がんの肝転移で余命3か月を宣告される。その後、奇跡的に5年間を生きた奥様が1993年に75歳で亡くなるまでを丁寧に描いていた。それにしても、乳がんで亡くなっている著名人の奥様が多いことに改めて驚かされる。
文京区にある奥様の墓碑に刻まれたやなせさんの詩、「生まれる時はひとりだったし 死ぬ時もひとりだもの 今ひとりだってさびしくない でもすこしさびしい なぜだろう」が映し出された時には胸が詰まり、涙が滲んだ。
「柳瀬君の赤ちゃんを産みたい」と逆プロポーズをしつつ、結局、お子さんは授からなかったお二人だった。いつも元気に明るくやなせさんを支え、山登りが大好きだった奥様に、もしもこの後出会ったら何とおっしゃいますか?というインタビューに、「元から体が弱かった僕がその後20年近く元気で働いているのは、君の命をもらったからだね。」と答えていらしたやなせさん。生涯現役でこの後も仕事を続けられるのだろうと、元気と勇気を頂いた。
それにしても、アンパンマンのマーチの歌詞にこんな思いがあったとは。やなせさんがアンパンマンで伝えたかった“真のヒーローは自己犠牲の上に成り立っている”というメッセージ。奥様にとってアンパンマンは、不遇の時代にも“困ったときのヤナセ頼み”と言われるほど、頼まれると断れず身を挺して相手のために頑張ったやなせさんそのものだったのだろう。やなせさんに車いすを押されつつ、病院の屋上で「私が生まれてきたのはあなたと一緒に夢を追うため。」という台詞も心に残った。
やなせさんの作詞による「アンパンマンのマーチ」、こうした背景を知ってから読むとまた心に響くものがある。下記にご紹介したい。特にアニメでは歌われないという3番の歌詞は、私には乳がんで逝った奥様へのオマージュにも聞こえる。
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
(1番)
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
今を生きる ことで
熱いこころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい君は
いけ!みんなの夢 まもるため
(2番)
なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのはいやだ!
忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも
そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい君は
いけ!みんなの夢 まもるため
(3番)
時ははやく すぎる
光る星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ!みんなの夢 まもるため
さて、カットしてさっぱりしてきた2人と自宅最寄駅で合流してランチ。息子がぶっきらぼうにピンクとラベンダー色のスイートピーとポピーの蕾の花束をビニール袋のまま差し出した。「結婚記念日だから」と。
スイートピーは夫の好きな花だ。(はあん、これは夫が買って息子に渡してくれたんだよね。)と思ったが、一日早い結婚記念日の花束、有難く嬉しくダイニングテーブルに飾った。
午前中、夫と息子は揃って電車で二つ目の美容院へカットに出かけた。私はその間、昨日予約していたNHK・BSプレミアムドラマ「忘れないで夢を~漫画家やなせたかしと妻・暢(のぶ)~」を観た。このドラマ枠のキーワードは「感動&泣ける」だそうだが、まさしくご夫婦の愛と絆を温かく描いた1時間で、その余韻に酔いしれた。
やなせさんが御年93歳で、現役でお仕事をされているのは皆さんご承知のとおり。コミケには行かないまでもアニメ大好きな息子によれば、「手塚治虫先生を“手塚君”と呼べる唯一の漫画界のレジェンド」だそうだ。その才能を信じ、支え続けた奥様・暢さんとの愛の日々を描いたドキュメンタリードラマだ。
やなせさんといえば、私の年代で一番記憶にあるのは「僕らはみんな生きている」の歌詞を作った方。何度口ずさんだかしれない。漫画家としてはなかなか芽が出なかった40代の頃、その歌が生まれたエピソードも紹介されていた。
そして何より、優しいヒーロー・アンパンマンには息子が本当にお世話になった。彼は保育園でアンパンマンの紙芝居を何度も見せてもらったのだろう。我が家でも床の間に乗って紙芝居ごっこをしてくれた。私と夫をその前に座らせて、彼は先生の役である。
「今日はパンパンマン(アンパンマンと言えなかった。)の新しい紙芝居です。」という口上から入り、「バタ子さんが池に落ちました。ジャムおみさん(これまたジャムおじさんと言えなかった。)が助けてあげたです。ばいきんマンがヘイヘイホー・・・」等、舌足らずで、何とも可愛さ満開(すみません。親ばかです。)だったが、何度聞いてもいつもと同じストーリーだったので、「先生、それは前と同じで、新しくないです~」などと園児役の夫や私が突っ込むと、泣き出して地団太踏んで怒ったっけ。今も思い出して笑顔になるほど懐かしい日々だ。
ドラマは20代半ば、高知県の雑誌編集部での奥様との出会いから、70歳近くになって描いた絵本「アンパンマン」がアニメ化されて大ブレイクするまで・・・。しかし、運命は残酷だ。その遅い成功と同時に奥様が乳がんの肝転移で余命3か月を宣告される。その後、奇跡的に5年間を生きた奥様が1993年に75歳で亡くなるまでを丁寧に描いていた。それにしても、乳がんで亡くなっている著名人の奥様が多いことに改めて驚かされる。
文京区にある奥様の墓碑に刻まれたやなせさんの詩、「生まれる時はひとりだったし 死ぬ時もひとりだもの 今ひとりだってさびしくない でもすこしさびしい なぜだろう」が映し出された時には胸が詰まり、涙が滲んだ。
「柳瀬君の赤ちゃんを産みたい」と逆プロポーズをしつつ、結局、お子さんは授からなかったお二人だった。いつも元気に明るくやなせさんを支え、山登りが大好きだった奥様に、もしもこの後出会ったら何とおっしゃいますか?というインタビューに、「元から体が弱かった僕がその後20年近く元気で働いているのは、君の命をもらったからだね。」と答えていらしたやなせさん。生涯現役でこの後も仕事を続けられるのだろうと、元気と勇気を頂いた。
それにしても、アンパンマンのマーチの歌詞にこんな思いがあったとは。やなせさんがアンパンマンで伝えたかった“真のヒーローは自己犠牲の上に成り立っている”というメッセージ。奥様にとってアンパンマンは、不遇の時代にも“困ったときのヤナセ頼み”と言われるほど、頼まれると断れず身を挺して相手のために頑張ったやなせさんそのものだったのだろう。やなせさんに車いすを押されつつ、病院の屋上で「私が生まれてきたのはあなたと一緒に夢を追うため。」という台詞も心に残った。
やなせさんの作詞による「アンパンマンのマーチ」、こうした背景を知ってから読むとまた心に響くものがある。下記にご紹介したい。特にアニメでは歌われないという3番の歌詞は、私には乳がんで逝った奥様へのオマージュにも聞こえる。
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
(1番)
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
今を生きる ことで
熱いこころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい君は
いけ!みんなの夢 まもるため
(2番)
なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのはいやだ!
忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも
そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい君は
いけ!みんなの夢 まもるため
(3番)
時ははやく すぎる
光る星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ!みんなの夢 まもるため
さて、カットしてさっぱりしてきた2人と自宅最寄駅で合流してランチ。息子がぶっきらぼうにピンクとラベンダー色のスイートピーとポピーの蕾の花束をビニール袋のまま差し出した。「結婚記念日だから」と。
スイートピーは夫の好きな花だ。(はあん、これは夫が買って息子に渡してくれたんだよね。)と思ったが、一日早い結婚記念日の花束、有難く嬉しくダイニングテーブルに飾った。