仕事に行かない日だと思うと、いきなり朝起きるのが辛い。そうはいっても息子は普段どおり学校がある。お弁当は不要なのをいいことに、往生際悪くいつもより20分ほど遅くまでベッドで粘った。
今日はEC治療開始後、夫とともに久しぶりに義母の見舞いに行くことになった。義妹宅の近くにある特別養護老人ホームまでは、電車を4回乗り継いで往復6時間かかる。
息子を送り出した後、洗濯機を回し、帰宅後を考えて夕飯の支度を整えておく。
10時に家を出て、2つの電車に2時間ほど揺られ、乗換駅で夫と昼食を済ませた後、さらに3つ目の電車に30分弱揺られる。4つ目の電車に乗り継ぐ駅まで義妹夫婦が迎えに来てくれて、4つ目の電車には乗らずに済む。最後に乗るこの電車が30分から40分に1本というダイヤで、これが厄介なのだ。
義妹宅で一服させて頂いた後、施設へ向かう。入口で面会者用のウイルス・ブロッカーのペンダントをつけ、マスクを装着する。
職員の方たちは相変わらずお揃いの半袖アロハシャツで、何とも薄着だ。義母の部屋に行くと、昼食後のお昼寝から起こしてもらう頃。外は風が冷たく頬がキリキリするほどだったが、施設内は室温24℃、湿度も24%とかなり乾燥していた。すぐにおやつのゼリーが届けられ、職員の方に車いすに移動させて頂いておやつの時間。さすがに喉が渇いていた様子で、美味しそうにほぼ完食していた。
左側が麻痺しているせいか、どうしても顔が右方向にばかり傾いてしまい、なかなか視線が合わない。言葉も殆ど発することがなく、義妹や夫が何か問いかけても頷くだけ。首を縦に振っても横に振ることはない。
1時間ほどいて「また来るからね。」と手を握って4人で部屋を後にした。
その後、来月には正式入所できるだろうという入居棟を見せて頂いた。ダイニングルームでは、リハビリも兼ねているのか懐メロを歌ったり、風船で遊んだりする入居者の方たちでかなり賑やかだった。 部屋から出た義母は、車いすで相撲中継を見られるように姿勢を整えてもらっていたが、表情は殆ど変わらない。
義妹は義母が今の状況を「分かっていない」と言うが、義弟は「いや、分かっている」と意見が割れている。
夫がぽつりと「分かっているのかな。もしちゃんと分かっているのなら、それで泣き言も不平も言わないというのは本当に凄い精神力だな。」ともらした。
確かに今の自分の状況が冷静に分析出来ているなら、これほど辛いことはないだろう。もちろん、その時々で瞬間的に分かる時もあるようだけれど、継続的に分かっているとは思えないように感じた。それに、子供たちの顔は分かっても、名前は忘れてしまっているようだ。
だんだん認知度が低くなるからこそ、延々と続く変化のない毎日を苦にせずにいられるのだろうと思いたい。本当に穏やかな白い顔をしていた義母だった。
そして、また3時間近くかけて帰宅し、9時間の外出になった。
息子は塾から帰ったばかりだと言い、一人の時間を愉しもうとしていたところ、思いのほか早く帰宅した私たちにちょっと不満そう。
3人揃って夕食を摂ったが、夫は、なんだか食欲がない、と体調が優れない様子。確かに自分の母の具合の悪い姿を見て、元気が出る息子はいないだろうけれど・・・。
毎回見舞いに行く度にとても複雑な気持ちになる。
私も久しぶりの日帰り長旅だった。思いのほか体調が良く頭も痛くならなかったし、胸痛もそれほどではなかったのでほっとした。
今日は早く休みたいと思う。
今日はEC治療開始後、夫とともに久しぶりに義母の見舞いに行くことになった。義妹宅の近くにある特別養護老人ホームまでは、電車を4回乗り継いで往復6時間かかる。
息子を送り出した後、洗濯機を回し、帰宅後を考えて夕飯の支度を整えておく。
10時に家を出て、2つの電車に2時間ほど揺られ、乗換駅で夫と昼食を済ませた後、さらに3つ目の電車に30分弱揺られる。4つ目の電車に乗り継ぐ駅まで義妹夫婦が迎えに来てくれて、4つ目の電車には乗らずに済む。最後に乗るこの電車が30分から40分に1本というダイヤで、これが厄介なのだ。
義妹宅で一服させて頂いた後、施設へ向かう。入口で面会者用のウイルス・ブロッカーのペンダントをつけ、マスクを装着する。
職員の方たちは相変わらずお揃いの半袖アロハシャツで、何とも薄着だ。義母の部屋に行くと、昼食後のお昼寝から起こしてもらう頃。外は風が冷たく頬がキリキリするほどだったが、施設内は室温24℃、湿度も24%とかなり乾燥していた。すぐにおやつのゼリーが届けられ、職員の方に車いすに移動させて頂いておやつの時間。さすがに喉が渇いていた様子で、美味しそうにほぼ完食していた。
左側が麻痺しているせいか、どうしても顔が右方向にばかり傾いてしまい、なかなか視線が合わない。言葉も殆ど発することがなく、義妹や夫が何か問いかけても頷くだけ。首を縦に振っても横に振ることはない。
1時間ほどいて「また来るからね。」と手を握って4人で部屋を後にした。
その後、来月には正式入所できるだろうという入居棟を見せて頂いた。ダイニングルームでは、リハビリも兼ねているのか懐メロを歌ったり、風船で遊んだりする入居者の方たちでかなり賑やかだった。 部屋から出た義母は、車いすで相撲中継を見られるように姿勢を整えてもらっていたが、表情は殆ど変わらない。
義妹は義母が今の状況を「分かっていない」と言うが、義弟は「いや、分かっている」と意見が割れている。
夫がぽつりと「分かっているのかな。もしちゃんと分かっているのなら、それで泣き言も不平も言わないというのは本当に凄い精神力だな。」ともらした。
確かに今の自分の状況が冷静に分析出来ているなら、これほど辛いことはないだろう。もちろん、その時々で瞬間的に分かる時もあるようだけれど、継続的に分かっているとは思えないように感じた。それに、子供たちの顔は分かっても、名前は忘れてしまっているようだ。
だんだん認知度が低くなるからこそ、延々と続く変化のない毎日を苦にせずにいられるのだろうと思いたい。本当に穏やかな白い顔をしていた義母だった。
そして、また3時間近くかけて帰宅し、9時間の外出になった。
息子は塾から帰ったばかりだと言い、一人の時間を愉しもうとしていたところ、思いのほか早く帰宅した私たちにちょっと不満そう。
3人揃って夕食を摂ったが、夫は、なんだか食欲がない、と体調が優れない様子。確かに自分の母の具合の悪い姿を見て、元気が出る息子はいないだろうけれど・・・。
毎回見舞いに行く度にとても複雑な気持ちになる。
私も久しぶりの日帰り長旅だった。思いのほか体調が良く頭も痛くならなかったし、胸痛もそれほどではなかったのでほっとした。
今日は早く休みたいと思う。