週初の長野での盛大な告別式に参加した翌日、口蹄疫に揺れる宮崎での会合に一人羽田を出発。羽田は天気晴朗なれど到着の宮崎空港は荒れ模様。鹿児島空港へ変更かもとの社内アナウンスを聞かされ、揺れる機体で玄界灘の白浪を横目に夕刻時に何とか無事着陸。
ホテルまでのタクシーの中で宮崎情報を仕入れ、遅れて着く相方の到着を待つ。八時過ぎからホテル近くの鶏料理居酒屋「鳥の里」に。スッチーのネエチャン達も使っているという店だそうだ。3階の座敷に案内され、まずは生ビールと宮崎と霧島のそれぞれの地鶏の炭焼き、南蛮揚げ、鳥刺を注文。ビールの後は宮崎といえば焼酎。期待してメニューを見るが品が少ない。数少ない推奨の「ひむか」を頼むが、なんと「鳥の里」とのラベル。どこにも「ひむか」なる名称がない。まあいいかと鳥を肴にボトルを空ける。炭火焼きも鳥刺も宮崎地鶏し霧島地鶏の二種類を頼むがいずれにしても歯ごたえなど霧島に軍配が上がる。旨い鶏料理を肴に酒が進む。相方は初めての宮崎、オジンは一度来たきりで青島の思い出が僅かに残るだけだ。当時は20代の前半、鹿児島にえらい時間をかけて向かった覚えがある。
「鳥の里」のボトルを二人で半分ぐらい飲み、この日は店の前で別れてオジンはホテルへ。前日の長野の疲れが残っているためか体調がイマイチである。翌日の会合と飲み会もあり自粛モード。
翌朝は午後からの会合の前に午前中一杯かけて宮崎市内を徒歩で状況調査。いまいち活気に乏しいのは口蹄疫の影響か。午後からの会合も無事拍手で終わり、続く懇親会で宮崎牛とマンゴーを食す。宮崎牛のコーナーでは長蛇の列だ。懇親会後、博多から来たもう一人の仲間と中央通りのスナック「ハンサムガール」に。空港からタクシーの運ちゃんに教えてもらった店だ。まだ八時と相当早いが店はオープンしている。面倒くさくなくていいだろうと、一番乗りの店のカウンターに3人が座る。運ちゃんのフレコミではこの界隈では良心的で女性の量・質もいいとの事。最初からの当日初の女の子と夜も深けるにつけ店の女性も4~5人になる。ママさんの気遣いも分かり居心地がいい。店では「赤霧島」を出してくれる。会社近くの品川の店でのキープは「黒霧島」、今さっきのホテルでの懇親会では「白霧島」をコンパニオンさんに運んでもらう。、一応、芋焼酎「霧島」を制覇。
さても翌日、福岡に向かう相方達と別れ一人大阪へ。宮崎空港では久しぶりのボンなんとかというプロペラ機で伊丹空港へ。行きは荒天、帰りは天気晴朗のもと青島を眼下に見て初めての観光気分。伊丹に着き肥後橋のホテルへ荷物を預けて午後から予定の打ち合わせへ大阪の支店に。
打ち合わせ後に支店の仲間と肥後橋の焼トン「まるじゅう」へ。支店への行きがてらに大阪風で興味を引いた店である。バットが受け皿で串ではあるが串カツではない。メニューは通天閣界隈の串カツ屋のそれで部位の全てがありそうだ。少ない日本酒のメニューから三重の銘柄と店のオリジナル焼酎をボトルで注文。肴はキャベツのお通しに、やきとんのくび、ちぐち、ほーす、ふーせん、たま、さえずり、しびれ、ほっぺ、ちれ、こめかみ、など等すべてを食すわけにもいかず取りあえず東京では珍しいものから頼む。レバーとガツの刺身は少し薄手だが実に美味である。
翌日、村野での会議に出席。夕方、六時近くに終了、京阪に乗り京都までようやく到着。駅弁とビールを購入する間もなく新幹線に飛び乗りようやく五日ぶりに東京へ帰れるとホットするもつかの間、隣の子供の我侭なおしゃべりに横浜までつき合わさせる。
ところで旅行期間、ホテルでLANは使えても電源を持ってこなかったPCは3日目にダウンして重いばかりであった。メールの確認もできないのは不安だ。
それにしても、前からオジンが諸悪の根源として思っていた二世、三世の世襲ボンボン宰相はようやくにして終了した。菅首相の世襲政治の打破とイラ菅の政治力に期待する。JRA(日本競馬会)に代表される財団法人や福祉法人などの法人への政治家や尊いご家系の子息・親戚の最優先就職枠の撤廃など、少数の高級官僚など以上に事業仕分けでキチットしてくれることが庶民派宰相たる所以である。
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