恒例の全国総会と研究発表会、業界展示会が高松市で開催。前日に疾風のように通り抜けた台風の影響もなく、無事に羽田をフライト。雲海の上を一路高松へ。雲海を抜けると突然現れた小豆島を眼下に見ながら、溜池の多い香川の高松空港に着陸。空港からホテルまでの道すがら、他の多くの地方都市のような閉塞感はなく活気ある街に意外性を感じつつホテルへ。
到着当日は予定なし、三時近くにホテルにチェックインした後、一両の電車がいやに長い「琴電」に乗り「栗林公園」へと向かう。緑深い「紫雲山』を背景に6つの池と13の築山を巧みに配し、江戸初期の回遊式庭園として国の特別名勝に指定されている。栗林公園は、高松藩主松平家の別邸として、歴代藩主が修築を重ね300年近く前に完成した。黒松を主体とした木石の雅趣に富む庭園である。「栗林公園」入り口でボランティアさんから声を掛けられ興味深い解説付きの案内で回る。何故に栗林公園が三大庭園に指定されないのか生い立ちを聞く。一千本もの見事な手入れの行き届いた松とともに一歩一景といわれる変化に富んだ美しさを醸し出している。背景の山と手入れの行き届いた見事な黒松に囲われた庭園の池の風景は一服の絵を見ているようである。途中「夫婦松」があり赤松の根本から黒松と赤松に分かれた雌雄同一の不思議な松であった。約一時間、公園の半分であったが丁寧な説明を受け、幕末から明治の初頭の歴史に翻弄された公園の生い立ちを知る。
ホテルに戻り、夜は職場の幹部職員や仲間と「ぴかでり屋」で前夜祭の飲み会に参加。約2時間半の飲み放題、料理はご当地名物の鳥中心。懇談も二時間半、堀こたつではなく座布団は厚手だか長いと足が痛くなる。もう一軒との声もある中、体調イマイチの状況なので明日からの三日間の体力温存でホテルへ戻る。
二日目はの朝、「瓦町」から琴電に乗り終点の「高松築港」へ。高松城址の堀端が終点である。JR高松駅のロータリーを回り込み、目指すは総会会場のコンベンションの「サンポートホール」に入る。三階席までほぼ満席で、二階左翼の張り出し席に確保する。オペラの貴賓席のような場所だ。午前中の総会・セレモニーを終えたのち、興味を引いた研究発表のブースをアチコチと移動する。
二日目の夜は、総会のレセプションで会場は隣接する「サンポートホテル」へ。満員の会場は同一階の大宴会場を二つ使用しても尚且つ満員。仲間を探すのに四苦八苦。その中でも懐かしい顔を探し出し旧交を温める。レセプションの半ば過ぎには、参加者も他の寄り合いへ参加するためか、会場も相当空いてきた。締めまで見守り会場を後にするも、なぜか飲み足りない。ホテルに到着後、隣室の仲間を誘いホテル近くの「寅や」へ入る。カウンターに座り、焼酎「黒霧島」のロックと、高松名物と言われる「骨付き鳥」を注文。 やはり爺さんには日本酒だ、燗酒を飲みながら「あーでないこーでもない」と高松の夜が更けていった。
三日目は、台風の影響で一日短縮となった業界の展示会の開始。ホテルから日本有数の長い商店街である「高松中央商店街」を歩いて会場へ。約20分は朝の運動には丁度良い感じである。会場での朝礼の後、いよいよ展示会開始である。パンフレットを配ったお客が来てくれることを祈りつつ、待つこと数時間、ボチボチと知り合いの顔も音連れてくれて、主要な顧客もブースに立ち寄ってくれた。まずは一安心と気になる研究発表の会場へと向かい、会場をアッチコッチと移動する。
夜は「OB会」が予定されているので、体力をつけるべくアーケードの中のうどん屋さんで「さぬき饂飩」でスロースタート。近くのアーケード下の「魚屋さん北島商店」が会場である。一階は目立たないが二階の宴会場は二部屋あり20人以上の会は可能だ。
翌日は高松四日目の最終日、午前中でブース来訪者、研究発表も概ね終了。早めに食事をして一人「高松城址・玉藻公園」へと向かう。研発参加者が少ないうちの昼時は城址来訪は少ない。65歳以上は無料で一人静かな高松城址を散策。海水が入り込む城址のお堀の「城船体験」(500円)も一人占め、船頭さんとマンツーマンの解説付き。高松城天守閣跡の特殊な「石垣」の作りに感嘆しつつ、船べりに集う黒鯛、真鯛へ撒き餌を撒きながらお殿様気分で約30分の遊覧となる。
追: 帰りは行きと同じく「高松空港」からの3時半のフライトで羽田へ。あろうことか、同乗の飛行機の自分の席の一列前のエコノミーに尊敬する勲一等旭日章のご仁が座っておられた。席がなかったのか予定を変えたか、はるばる北の大地から高松の地まで後輩指導にいまだ頑張っている元気なご様子に感服した。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます