40歳女性、たとえばこの夏のこと。
夫がテーブルに置きっぱなしていたケータイを何気なく手に取って、ついメールを読んでしまった。
女性同僚と頻繁なやりとり、返信・返信・返信・・・たぐり続けて止まらない。
幸いそこに不倫の影はない。他の男女の会食をアレンジする「キューピッド役」を二人で引き受けているらしい。そうした役回りが間違いを生むことは往々あるけれど、嫉妬深い自分の目で仔細にチェックしても、この二人にそうした懸念はなさそうだ。
その時期の夫の挙動を思い出してみても、疑わしい行動やそわそわした様子など何もなかった。
消去もせずメールを放置してあることが、何よりの証拠ではないか。
何と愚かな自分、10年越しの交際を経てお互いに完全な信頼を築き、結婚して二児を生しても色あせることなく、言葉こそきついが決してよそ見などしない優しい夫ではないか。
そう考える頭に反して手が勝手に動き、気がつくとメール相手の女性に電話していた。
相手の当惑した様子が、自己嫌悪をいっそう募らせた。
夫は驚き、渋い顔をしたが、その様子からも隠しごとのないのはよく分かった。
責めもせず、これまでよりもマメに「帰るメール」などしてくれるようになった。
自分の嫉妬深さはよく分かっていたけれど、こんなにひどいとは。
そう思いながら、あの日以来、心の鎮まることがない。
ふと気づくと不快な想像をして、自分で自分の苦痛を掻き立てている。
夫は苦労の甲斐あって仕事上の大きなチャンスをつかみかけており、近頃毎日帰りが遅い。
仕事と分かっていても不安は募り、子供たちを寝かしつけた後は夜の長さが身につらい。
夫の仕合せが、自分には苦の種になっている。
私、どうしちゃったんだろう?
***
「眠れないんですか?」
「一睡もできないわけではないんですけど、眠りが浅くてしょっちゅう覚めてしまって」
「食欲は?」
「いちおう食べてはいます」
「体重が減ったりとか?」
「7kg減りました」
「7kg?いつと比べて?」
「そのメールの件から」
「一か月半で7kg減ったってことですか」
「そう、ですね」
スリムな長身、7kg足したところで肥満体には程遠い。
過剰な体重が7kg是正されたということではありえない。
「念のためにうかがうけれど、『消えちゃいたい』と思ったりすることはありませんか?」
「あります」
手が動いてバッグからハンカチを取り出した。
「自分、いなくてもいいんじゃないかって」
「でも、子どもさんたちの顔を見ると」
「そうです、そんな勇気もないし。でも、何だかやる気が失せてしまって、家事に身が入らないんです。そんな自分が情けなくて・・・」
***
症候論的には立派な major depression であるとして。
たとえばこんなケースを「ストレスからうつ病になった」と解釈することが、何とはなしの常識として通用していないか。
あるいは、嫉妬深い性格の弱点が「メール」に刺激されて生じた、了解可能な心理過程と考えたがる習慣が。
その可能性がないとはいえないけれど、その後の経過は了解の道筋をはっきり逸脱している。
そもそもそんなカラクリなら、夫と出会ってから15年も経つうちに一度や二度はそうした事件が起きていたはずだ。
「ストレスから」は余計なことで、あっさり「うつ病」と見たてるが良い。
「メール」は「きっかけ」であって「原因」ではないとする。
「きっかけ」と「原因」の違いを解説するのは難しいが、例示することはさほど困難ではない。
この弁別はスコラ的なものではなく、すぐれて実践的なものだ。
原因探しの不毛な努力と、罪責感の拡大再生産を防ぐという、実践的な目的に関わっている。
***
「私の性格が悪いんでしょうか?」
「そうじゃありませんよ、女性が嫉妬深いのはあたりまえです。それだけ大事なものを守ろうとしてるんだから。それに、こんなこと初めてなんでしょう?」
「そうなんです、自分でも何が起きたんだかわからなくて。」
「頭の中で妙なところのスイッチが入っちゃったんです、そう考えたらいいし、そうなんだと思いますよ。」
「スイッチですか?」
「スイッチです、世の中では『うつ病』なんて呼んでいるスイッチですよ。それを切り替えていきましょう。」
***
念のために付記すれば、このタイプのうつ病は増えてもいないし減ってもいない。
最近急増しているのは了解連関のカタマリである適応障害型の事例だ。
それがあまりに目立つため、こうした昔ながらのうつ病に罹った人々は、過剰に了解されていい迷惑を被っている。
僕としてはそんなふうに見る。

デューラー『メランコリア』(銅版画、1514年)
夫がテーブルに置きっぱなしていたケータイを何気なく手に取って、ついメールを読んでしまった。
女性同僚と頻繁なやりとり、返信・返信・返信・・・たぐり続けて止まらない。
幸いそこに不倫の影はない。他の男女の会食をアレンジする「キューピッド役」を二人で引き受けているらしい。そうした役回りが間違いを生むことは往々あるけれど、嫉妬深い自分の目で仔細にチェックしても、この二人にそうした懸念はなさそうだ。
その時期の夫の挙動を思い出してみても、疑わしい行動やそわそわした様子など何もなかった。
消去もせずメールを放置してあることが、何よりの証拠ではないか。
何と愚かな自分、10年越しの交際を経てお互いに完全な信頼を築き、結婚して二児を生しても色あせることなく、言葉こそきついが決してよそ見などしない優しい夫ではないか。
そう考える頭に反して手が勝手に動き、気がつくとメール相手の女性に電話していた。
相手の当惑した様子が、自己嫌悪をいっそう募らせた。
夫は驚き、渋い顔をしたが、その様子からも隠しごとのないのはよく分かった。
責めもせず、これまでよりもマメに「帰るメール」などしてくれるようになった。
自分の嫉妬深さはよく分かっていたけれど、こんなにひどいとは。
そう思いながら、あの日以来、心の鎮まることがない。
ふと気づくと不快な想像をして、自分で自分の苦痛を掻き立てている。
夫は苦労の甲斐あって仕事上の大きなチャンスをつかみかけており、近頃毎日帰りが遅い。
仕事と分かっていても不安は募り、子供たちを寝かしつけた後は夜の長さが身につらい。
夫の仕合せが、自分には苦の種になっている。
私、どうしちゃったんだろう?
***
「眠れないんですか?」
「一睡もできないわけではないんですけど、眠りが浅くてしょっちゅう覚めてしまって」
「食欲は?」
「いちおう食べてはいます」
「体重が減ったりとか?」
「7kg減りました」
「7kg?いつと比べて?」
「そのメールの件から」
「一か月半で7kg減ったってことですか」
「そう、ですね」
スリムな長身、7kg足したところで肥満体には程遠い。
過剰な体重が7kg是正されたということではありえない。
「念のためにうかがうけれど、『消えちゃいたい』と思ったりすることはありませんか?」
「あります」
手が動いてバッグからハンカチを取り出した。
「自分、いなくてもいいんじゃないかって」
「でも、子どもさんたちの顔を見ると」
「そうです、そんな勇気もないし。でも、何だかやる気が失せてしまって、家事に身が入らないんです。そんな自分が情けなくて・・・」
***
症候論的には立派な major depression であるとして。
たとえばこんなケースを「ストレスからうつ病になった」と解釈することが、何とはなしの常識として通用していないか。
あるいは、嫉妬深い性格の弱点が「メール」に刺激されて生じた、了解可能な心理過程と考えたがる習慣が。
その可能性がないとはいえないけれど、その後の経過は了解の道筋をはっきり逸脱している。
そもそもそんなカラクリなら、夫と出会ってから15年も経つうちに一度や二度はそうした事件が起きていたはずだ。
「ストレスから」は余計なことで、あっさり「うつ病」と見たてるが良い。
「メール」は「きっかけ」であって「原因」ではないとする。
「きっかけ」と「原因」の違いを解説するのは難しいが、例示することはさほど困難ではない。
この弁別はスコラ的なものではなく、すぐれて実践的なものだ。
原因探しの不毛な努力と、罪責感の拡大再生産を防ぐという、実践的な目的に関わっている。
***
「私の性格が悪いんでしょうか?」
「そうじゃありませんよ、女性が嫉妬深いのはあたりまえです。それだけ大事なものを守ろうとしてるんだから。それに、こんなこと初めてなんでしょう?」
「そうなんです、自分でも何が起きたんだかわからなくて。」
「頭の中で妙なところのスイッチが入っちゃったんです、そう考えたらいいし、そうなんだと思いますよ。」
「スイッチですか?」
「スイッチです、世の中では『うつ病』なんて呼んでいるスイッチですよ。それを切り替えていきましょう。」
***
念のために付記すれば、このタイプのうつ病は増えてもいないし減ってもいない。
最近急増しているのは了解連関のカタマリである適応障害型の事例だ。
それがあまりに目立つため、こうした昔ながらのうつ病に罹った人々は、過剰に了解されていい迷惑を被っている。
僕としてはそんなふうに見る。

デューラー『メランコリア』(銅版画、1514年)