2013年10月7日(月)
慣れているようで土地勘がないというのは、たとえばこういうこと。
和歌山で仕事と言ったら「遠いね」と妻、「遠いわね」と義母。
遠いのか・・・?
遠かった。
8時に宝塚を出て、9時21分に天王寺で「くろしお」に乗る。
シートの背に何かの広告で「和歌山は旅の原点」とある。
熊野詣のことを指しているらしい。僕は神武東征のことを思った。
奈良へ入るとき、はじめ東行して果たさず。
太陽(=天照大御神)に向かっていくのが良からずと悟り、迂回して熊野路をとって成功した。
その途の半ばが今日の仕事場である。
昨日ほど暑くはないが、陽ざしがきつい。
線路脇の樹木が大きな櫛の歯になってリズミカルに陽光を遮り、強い明滅をつくり出す。目を閉じてもまぶた越しに脳が叩かれる。
通路をはさんで右側のおじさんは、読み終わった新聞を足下に広げて敷き、その上に靴下裸足で寛いでいる。
懐かしいな、昔は皆がやっていた正しい新聞紙の活用法だ。
O君が涼しい季節に旅先で野宿したとき、路上生活者らしいおじさんが近寄ってくるので、すわと身構えた。
そしたらおじさんは、
「じかに地べたに寝たら風邪引いちまう。これを敷いただけでずいぶん違うから、やってみな」
と、新聞紙を分けてくれたそうな。
左隣のおじさんも靴を脱いでいる。五本指ソックス、ずいぶん普及した。
右側のおじさんは、和歌山駅で降りる時に新聞をていねいに畳んで、座席の前の網につっこんでいった。
丁寧とぞんざいの不思議なバランス。
やがて太平洋が目の前に広がった。
ふだらく渡海のことなど思う。
それに平家の公達の誰だったか、戦場を逃れ熊野灘で入水した者があったっけ。
若い白人のカップルが、イヤホンを分けっこして仲良く居眠り。
「太平洋」に注意を喚起する車内放送も分かっていないのだろうが、わざわざ起こして教えてやるのも無粋というもので。
田辺駅、向こうのホームの駅舎の壁に、田辺ゆかりの人々の写真が10葉ほども貼ってある。
遠見で全部は分からないが、南方熊楠は当然として、武蔵坊弁慶もそうなのか。
碁打ちがいる、誰だあの輪郭は、高川 格?
本因坊9連覇の高川秀格は田辺の産だったか。
いずれもごっつい人々だ。
何となく分かる感じの太平洋。
『タイタンの妖女』
カート・ヴォネガットの描く息子たちは、どれもこれもイカレてるか凶暴か、何しろロクなものがいないが、この作品のクロノも相当なものだ。
作者自身、は生涯に数十人の養子をとって育て続けた。
作品は作者の何を投影しているんだろう?
11時28分、無事に白浜駅着。
初対面のO牧師が、「歓迎石丸昌彦先生」と書いた小さなホワイトボードを掲げて迎えてくださった。
さて、仕事だ。
慣れているようで土地勘がないというのは、たとえばこういうこと。
和歌山で仕事と言ったら「遠いね」と妻、「遠いわね」と義母。
遠いのか・・・?
遠かった。
8時に宝塚を出て、9時21分に天王寺で「くろしお」に乗る。
シートの背に何かの広告で「和歌山は旅の原点」とある。
熊野詣のことを指しているらしい。僕は神武東征のことを思った。
奈良へ入るとき、はじめ東行して果たさず。
太陽(=天照大御神)に向かっていくのが良からずと悟り、迂回して熊野路をとって成功した。
その途の半ばが今日の仕事場である。
昨日ほど暑くはないが、陽ざしがきつい。
線路脇の樹木が大きな櫛の歯になってリズミカルに陽光を遮り、強い明滅をつくり出す。目を閉じてもまぶた越しに脳が叩かれる。
通路をはさんで右側のおじさんは、読み終わった新聞を足下に広げて敷き、その上に靴下裸足で寛いでいる。
懐かしいな、昔は皆がやっていた正しい新聞紙の活用法だ。
O君が涼しい季節に旅先で野宿したとき、路上生活者らしいおじさんが近寄ってくるので、すわと身構えた。
そしたらおじさんは、
「じかに地べたに寝たら風邪引いちまう。これを敷いただけでずいぶん違うから、やってみな」
と、新聞紙を分けてくれたそうな。
左隣のおじさんも靴を脱いでいる。五本指ソックス、ずいぶん普及した。
右側のおじさんは、和歌山駅で降りる時に新聞をていねいに畳んで、座席の前の網につっこんでいった。
丁寧とぞんざいの不思議なバランス。
やがて太平洋が目の前に広がった。
ふだらく渡海のことなど思う。
それに平家の公達の誰だったか、戦場を逃れ熊野灘で入水した者があったっけ。
若い白人のカップルが、イヤホンを分けっこして仲良く居眠り。
「太平洋」に注意を喚起する車内放送も分かっていないのだろうが、わざわざ起こして教えてやるのも無粋というもので。
田辺駅、向こうのホームの駅舎の壁に、田辺ゆかりの人々の写真が10葉ほども貼ってある。
遠見で全部は分からないが、南方熊楠は当然として、武蔵坊弁慶もそうなのか。
碁打ちがいる、誰だあの輪郭は、高川 格?
本因坊9連覇の高川秀格は田辺の産だったか。
いずれもごっつい人々だ。
何となく分かる感じの太平洋。
『タイタンの妖女』
カート・ヴォネガットの描く息子たちは、どれもこれもイカレてるか凶暴か、何しろロクなものがいないが、この作品のクロノも相当なものだ。
作者自身、は生涯に数十人の養子をとって育て続けた。
作品は作者の何を投影しているんだろう?
11時28分、無事に白浜駅着。
初対面のO牧師が、「歓迎石丸昌彦先生」と書いた小さなホワイトボードを掲げて迎えてくださった。
さて、仕事だ。