散日拾遺

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小説家の面白さ/南部と織田/サウルとダビデ/奢り・驕り・傲り

2013-10-27 07:22:50 | 日記
2013年10月27日(日)

ラジオ体操の後、日曜の朝は「著者に聞きたい本のツボ」だ。

山本文緒が15年ぶりの長編「なぎさ」を発表したというんだが、僕はこの作家を知らない。
それでも聞いているうちに何だか引き込まれた。

「登場人物の誰それは・・・と考えているんだと思います」
といった表現は、作家は当たり前にするけれど面白いことだ。
書き手のつくりだした登場人物が、書き手から離れて固有の運動を始め、転じて書き手に語りかけてくる。
書き手はその言葉に耳を傾けて、記録する。
こんなことができたら、さぞ面白かろう。

いっぽうでは、
「こういう人(ここでは「地域の御隠居さん」)がいたらいいなと思って書きました」
と言ったりもする。
登場人物を送り出すところまでは、書き手の趣向次第なのだ。

司馬遼太郎が「小説を書くには、マヨネーズを作るほども厳密さが要らない」とどこかで語っていたな。
時代小説を書くに必要な膨大な考証を想像し、不思議な気持ちがしたものだ。

*****

「本のツボ」に続いては、「今日は何の日?」

1931年(昭和6年)の10月27日、南部忠平(1904-1997)と織田幹夫(1905-1998)がそれぞれ世界新記録を出した。南部は三段跳び、織田は走り幅跳びである。
以下は Wiki から。

【織田幹夫】
1928年(昭和3年)のアムステルダムオリンピックでは日本選手団の主将として出場するとともに、8月2日に行われた三段跳決勝の2回目に15m21cmを記録し日本人初の金メダルを獲得した。(注:アジア人としても個人競技初。)なお、金メダルは銀台金張メダルなのが規定のはずだが織田が受賞したメダルは銅台金張メダルである。1931年(昭和6年)、早稲田大学を卒業し朝日新聞社入社。同年10月27日、当時の三段跳の世界記録(15m58cm)を樹立した。

【南部忠平】
1931年(昭和6年)10月27日には神宮競技場(東京)で走幅跳7m98(+0.5)の世界記録を樹立。この記録は相当にレベルが高く、70年以上を経た2013年現在でもいまだに日本歴代13位に位置している。故に40年近く日本記録として残り、1970年(昭和45年)6月7日に小田原市城山陸上競技場で山田宏臣(東京急行電鉄)が8m01を跳ぶまで破られなかった。現在でもこの記録をマークすれば、日本選手権優勝もあり得る。当時は土の助走路でスパイクも旧式であった。現在のタータン(全天候型トラック)と最新のスパイクの性能を考えると、いかに南部の記録が突出していたかがわかる。

・・・1931年のこの日に出た世界記録については、織田が三段跳び、南部が走り幅跳びである。
しかし、1932年のロサンゼルス五輪で南部が金メダルを取ったのは、三段跳びだった。
つまり、アムステルダムとロサンゼルスの二大会連続して、日本人選手が三段跳びのチャンピオンになったわけだ。

織田は広島県、南部は北海道の出身とある。
生まれ年は一年違いで、没年も同順の一年違い。競技が重なっているばかりか、同学年で早稲田大学陸上部の僚友でもあった。南部は大阪毎日新聞の運動部長を勤め、織田は朝日新聞。何かと比べてみたくなるし、比べられたことだろう。

Wiki の織田の項に、「同学年の南部忠平とは、早大時代から兄弟よりも仲がいいと言われ、お互い切磋琢磨し大きな業績を残した」とある。まことに祝福された友人だ。

そこであらためて、円谷と君原を思う。
彼らも祝福され得たはずだった。

*****

中高生にダビデ即位の話。

2週間前、サウルが王位に就く話を小学科で担当した。
何が同じで何が違うか。

二人とも無名の若者の中から神に選ばれて玉座に登った。
いずれも人間的な魅力と弱さをもち、美徳とともに悪徳を帯びていた。
ただ、サウルは己を神とする誘惑に打ち勝てず、ダビデはこの誘惑からは終始、身を遠ざけていられたのだ。

しかし、それも人が自分では選べないものだとしたら・・・

*****

「奢る」ことと「驕る」こと、字の違いが面白い。
前者は物質的な浪費、後者は情動における慎みのなさを想像させるが、それでいいのかな。

もうひとつ、「傲り」もあった。
尊大・傲慢、権力をほしいままに行使する」ことか。

三者にして一体か。
王侯貴族だけの弊ではない。