散日拾遺

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呉音と漢音、そうだったのか!

2013-10-14 20:15:25 | 日記
2013年10月14日(月)

この年になって、こんなことも知らないということが、いくらでもある。
それがしかし、いくつもの情報が足並みそろえてやってきて、声を揃えて教えてくれるとなると、これはこれまた嬉しくて・・・何を言ってるの?

漢字の音読みと訓読みの二重構造にしきりにこだわるけれど、音読みと言っても一通りではないこと周知の通り。いわゆる呉音と漢音だ。
僕はこれにまったく注意を払っておらず、中国は広いから発音にも多系統あって不思議ないわな、ぐらいに考えていた。

ふと注意を喚起されたのは、先日来ゆっくりゆっくり読んでいる『日本書紀』の、詳細をきわめた例の補注。

 古事記・万葉集と日本書紀の万葉仮名は、その依拠する中国の字音に相違がある。古事記は、百済を経由して伝来した、五、六世紀ごろの、揚子江下流地域の発音に拠っている(=呉音、石丸注)。書紀は、これに後れること百年以上の、北方中国の長安・洛陽の地方の発音に拠っている(=漢音、同)。従って、両者の間には、子音にも、母音にも、多くの相違点がある。(『日本書紀(一)』岩波文庫、P.320)

これで初めてピンと来た。
五、六世紀ごろの揚子江下流は、東晋(317~420)とこれに続く南朝が栄えた地域だ。
ここから発して百済を経由して伝えられた文字のセットが、日本人の初めて手にした「漢字」である。
これに後れること百年以上、つまり六、七世紀以降の北方中国とは、言うまでもなく隋(589~618)と唐(618~907)だ。後漢滅亡からおよそ400年を経て、久々に中国全土を統一した隋唐帝国の出現は、政治的な事件であるとともに文化的な変容をも意味しただろう。
古事記・万葉集と日本書紀の字音の違いは、中国史上のこの遷移に連動している。

連動とは、どんな連動だろう?単に伝わった時期の先後の問題、先に伝わった呉音が古事記に反映され、ついで新たな正統として伝わった漢音が日本書紀に反映される、それだけの違いだろうか?
成立年代を見てみる。
古事記は712年、日本書紀は720年に選上された。万葉集は大したもので、最も新しい歌は759年の収録とされるが、編集の開始はほぼ百年前に遡る。何と堂々たる進め方ではないか。
その開始時点の用字法を継続したとすれば、万葉集が最も古い形を(従って、より古い呉音を)残しているのは当然として、古事記と日本書紀の成立にはわずか8年の違いしかない。年代だけで説明するのは難しそうである。

そこで日本書紀の補注を読み進めると、こんな記載に出会った。

 このように、書紀の仮名が依拠する字音は、古事記・万葉集とは相違が大きいが、それは書紀が、当時の中国の首都の所在地の発音を手本としたからである。書紀の字音は、当時の北方中国の発音をかなり微妙な点まで反映しているところがあり、北方中国語を熟知している人が編修に参与していることを推測させる。そして、おそらくその人は日本人ではないだろうと大野晋はいう。(前掲書、P.322)

本当に、わくわく、ぞくぞくしてくる。
そうだとすれば、古事記と日本書紀の字音に関する違いは、後者の編集に際して、ある外国人(おそらくは長安・洛陽あたりから出た中国人)が新たに加わったことによって生じた、そういう理屈になる。
その人物は、遣隋使・遣唐使の帰国に際し招かれて同道した者に違いない。何という名のどういう人(たち?)だったのか。
きっと調べた研究者がいるんだろうな。

***

情報が連れ立ってやってきたというのは、またしても碁の話、週刊『碁』の連載記事のことである。

大阪商業大学・学長の谷岡一郎氏が、『囲碁十九路盤の起源』という著作を上梓した。
2013年3月発行なのに、アマゾンでは早くも品切れで中古本が¥3,450から出ている。
出版界はどうなってるの、というのは脱線で、その「ハイライト」記事から抜粋する。

 現在「碁」の中国語の発音は、日本人には「キィ/チィ」と聞こえます。囲碁は「ウェイキィ」です。もともと棊も棋も碁も同じ字ですから、不思議ではないわけですが、この発音は「漢音」と呼ばれる発音で、隋王朝の601年に統一され、唯一正式な発音と決められたわけです。
 「碁」を「ゴ」と発音したのは南北朝における南朝、特に呉地方のこと。漢音に対して「呉音」と呼ばれます。現在なら杭州と呼ばれるあたりで、東晋の首都建康はここに位置したのですが、王羲之が内史(知事)を務めていた会稽(かいけい)も目と鼻の先です。
 漢音も呉音も日本に複数のルートで、もしくは複数の時代に入っています。たとえば「其」のツクリをもつ「期」は「キ」が漢音の読みでこれが普通ですが、「最期」や「一期一会」など、「ゴ」と発音することもあり、これが呉音のヨミです。呉音の読みは主として仏教用語で多かったようです。
 ともかく「碁」の文字は、「中国南部(呉地方)から、発音統一以前に日本に伝わった」と考えてよいでしょう。でなければ碁には「キ」の発音が残ったはずですから。

「棋」というと多くの日本人は「将棋」を先に考えるが、「琴棋書画」は君子のたしなみと言われたように、もともと「棋」は「碁」のことだった。「ことだった」というより、そもそも同じ字だったというのである。

それが「碁(ゴ)」と呼ばれるのは、南朝から伝わった呉音を反映しており、隋唐帝国が中国を再統一する以前の古い層に連なっているということ、「碁」は古事記・万葉の字音に属し、「棋」は日本書紀の族であること、何でこういうことがこんなに気持ちを昂揚させるんだろうか。知って嬉しくてたまらない。

***

「ゴ」の音と「キ」の音、比べてみるに「ゴ」は丸くて柔らかく、「キ」は角張っていて鋭い感じがしないだろうか。
それはそのまま、揚子江下流の肥沃で海洋的な風土と、黄河上流の峻嶮で山岳的なそれとを象徴するように思われる。

「物語に見る人格類型」の話がもう少し進んだところで、パールバックの『大地』に触れる予定だ。主人公の王一家が飢饉にあって南方に逃れた時、そこに見出した対照が連想される。

いろいろなものが、こうしてつながってくる。



気の利いた言い回し/物語に見る人格類型 ②

2013-10-14 10:38:44 | 日記
2013年10月14日(月)

うららかな秋の好日、二日後には近来稀な暴風雨が襲来するとは信じられないようだ。

水曜日には重要な校務でコース教員に全員集合がかかっているが、日程再考の協議メールが往来している。それぞれの立場やものの考え方がよく現われ、それはそれで面白い。

卒論生や修論生は、台風よりも確実に迫りくる締め切りの圧力を感じつつ、刻苦勉励。
中のひとりの寄越したメールが、気の利いた文面である。

 あいかわらず、ウチにある安物の掃除ロボットのように、あちこちの壁にぶつかり、段差に身動きとれなくなりながら、もがいています。

このセンスを活かして書けば、きっと面白い論文ができるだろう。
グリーフワークに関する聞き取り調査を精力的に進めている、九州在住の院生だ。

こちらも負けずに作業を進めるよう。

*****

『物語に見る人格類型』(承前)

 私自身がこれに初めて触れたのはニキビ面した中学生時代のことで、それも保健体育の教科書の中だったと記憶する。教科書はとうにどこかへ行ってしまったが、載っていた図版はここに掲げたものといくらも違わなかったはずだ。そこに要約されるクレッチマーの気質・体型理論が義務教育のカリキュラムに含まれたのは、誰のどういう判断に基づいてであったのか、今となればそちらに興味を引かれる。それはさておき、これを見た中学生たちが互いの体型を揶揄し合いながら、誰は躁うつ気質、彼は分裂気質などと品定めに興じたことは言うまでもない。
 中学生、殊に男子生徒の場合はまだまだ発達途上であるから、親譲りの/持って生まれた体型素因がいまだ明らかに表現されていない場合が少なくない。私もそのように未分化で未熟な男子の一人であった。やや小柄で旺盛に食べるいっぽうで活発に動き、やせても肥ってもおらず、さりとて特に筋肉質というのでもなかった。おおかた顔の丸さや言動のにぎやかさから、躁うつ気質とでも言われたことであろう。言われてまずはおもしろがり、あるいは怒った振りをしてみせ、自分にも体型や気質があることを知らされて誇らしくも侮蔑的にも感じ、果たして自分はそんな風だろうかと少しは考えたかもしれない。
 他の多くの知識と同じく、中学生には使いこなすべくもない早すぎる玩具の贈与であり、だからこそ中学あたりで触れておくのが相応なのだろう。後になってふと思い出し、何かのヒントをそこに見つけるような「叡智」のひとつと言えるかもしれない。

 クレッチマーが『体格と性格』を著したのは1921年、著者が33歳の時である。この早熟の泰斗には、既にいわゆる「敏感関係妄想」にかかわる著作があった。その邦訳を見れば彼の思想は単純な心理主義というようなものではなく、むしろ心身の各層に広く目配りしながら精神現象を理解する立体的・複合的視座への指向が現われている。福永らが1986年に編んだ解説書の副題に「こころとからだの全体理論」とあるのは、まことに適切な表現と思われる。
 著作として、他に『ヒステリーの心理学』『医学的心理学』『精神医学論集』『天才の心理学』等が挙げられており、中でも『天才の心理学』は『体格と性格』以上に人口に膾炙しており岩波文庫に邦訳が入っている(内村祐之訳)。「天才は遺伝の過程において、ある才能に恵まれた家系が退化し始める時に、出現しがちなものである」という一節など、記憶に妙に鮮やかだ。(邦訳 P.40)
 『天才の心理学』の第一部第3章は『体格と性格』の著者自身による援用になっており、そこで循環気質系の天才と分裂気質系の天才とが詳説されるいっぽう、てんかん気質は天才とはほとんど無縁なものと扱われているのが面白い。後でも述べるようにこれは不当というもので、クレッチマーのような大家でも予断や偏向と無縁ではないらしい。むきつけに言うなら彼自身はてんかん気質と縁のない人間であり、またあまり好きでもないものと思われる。
 
 余談はこれぐらいにして、クレッチマーの気質類型なるものをこのあたりで振り返っておく。彼自身の著作から転記するのがよいだろう。(『天才の心理学』P.92-96、抜粋)

・・・闘士型者の精神型をまず否定の面から述べると、彼らには「エスプリ」と称するものが全く欠けていて、思考過程の中に軽快な、流動的な、飛躍的なものがなく、また繊細な感受性をも欠く。全体として、闘士型者の思考方法は静かで用心深く素朴であり、もしそれが高い才能にめぐまれた人の場合には、たとえば科学上の仕事などにおける静穏な手堅さと信頼性の印象を生み出す。ほとんどすべての業績が無味乾燥で、きまじめで、多面性と幅広い付随的関心とは例外的にしか認められらい。また彼らには空想的な思弁が少ない。これに反し、偉大な研究力と徹底性とが、二、三の闘士型の研究者に強く見られる。

・・・ある調査によれば、肥満型者は約95%まで循環気質を示し、細長型者の70%以上は分裂気質を示すという結果が出ている。循環気質は快活と憂鬱という両極点の間を往来するが、その中から、軽躁型(快活で動きの多い人)、協調型(行動的な現実家、諧謔家)、陰鬱柔和型の三つの気質を区別する。これら三つの循環気質群は、ひとしく外界に対して能動的で、開放的で、社交的で、温情的である。

・・・これに対して分裂気質者は、総体に「自閉」にかたむく。すなわち、孤独な生活や、同僚からの孤立や、愛嬌を欠いたきまじめさなどが特徴的である。それゆえに、この種の人の気質は、快活と憂鬱との間ではなく、刺激性と鈍麻性との間を往来するのであるが、この中から三つの気質を区別することができる。第一は過敏者と言われるもので、神経質で被刺激的で繊細で内向的である。第二は、冷静な精力家と系統的な理論家をふくむ中間型であり、最後のものは無感覚者、冷酷者、ひねくれた変わり者、無精者、純粋な浮浪人らである。

 かような次第で、私は以下の各章においても、健者、病者を問わず、その心的素質と気質との全体を、つねに循環気質もしくは失調気質(原文は分裂気質、以下同じ)という言葉で表現することとする。またそれに相応する精神病質的中間状態を、循環病質もしくは失調病質という用語であらわし、さらにそれに相応する精神障害の場合は、循環病性もしくは統合失調症性の用語をつかうこととする。
 次にかかげる表は、本書の巻末にある肖像画と相まって、天才の体質的素因が、彼らの特殊な才能方向と主要な事績とにいかなる影響をもたらうかを示すものである。

【体質的才能型】

      <循環気質者>         <失調気質者>
 
文学者  現実主義的、諧謔作家    激情家、浪漫主義者、技巧派の作家

研究者  写実的に記載する経験家   精密な理論家、体系家、形而上学者

指導者  無遠慮な無鉄砲者、     純粋な理想主義者、
     陽気な組織者、       専制者と狂熱者、
     思慮ある調停者       冷ややかな打算家

*****

 もうひとつ、クレッチマー自身が挙げているらしい数字を書き留めておく。おそらく『体格と性格』所収なのだろうが未確認である。

   肥満型 細長型 闘士型 発育異常型 特徴なし
躁うつ病 64.6 19.2 6.7 1.1 8.4 %
統合失調症 13.7 50.3 16.9 10.5 8.6
てんかん 5.5 25.1 8.6 29.5 11.0

 躁うつ病と肥満型、統合失調症と細長型の間には、検定をかけるまでもなく相関がありそうである。てんかんと闘士型はそれほどはっきりせず、むしろ「発育異常型」の多さが目立つが、これは器質疾患に伴う症候性てんかんが含まれているためではないかと思われる。
 いずれにせよ、クレッチマーのこの報告はその後の追試で確認されていない。気質体型理論は、エビデンスをもつ学説として精神医学の中で大きく発展するには至らなかった。それにも関わらず、この説の魅力には隠然たるものがあり、誰もが一定の敬意を払うものとして長く影響を保ったのである。

 こうした説を前にして、今日の読者はどの程度の説得力をそこに認めるだろうか。

(続く)